2007年6月7日木曜日

湯川博士関連の随筆を読む

 『日本物理学会誌』2007年5月号「談話室」欄に、法橋登氏の「世界でもっとも美しい科学実験とメソトロン実験」という投稿があった。私は著者宛に、「湯川秀樹を研究する市民の会」で湯川博士についていろいろ勉強したり調べたりしている関係で、特に興味深く思った旨の感想をメールで送った(ついでに、文中のちょっとした間違いを指摘して)。氏からは返信メールに添えて、『大学の物理教育』誌に最近書かれた湯川博士関連の随筆2編のPDFが届いた。法橋氏は私の出身大学物理学科の5年先輩にあたり、湯川博士に関する記憶をできるだけ書き残して置こうとしておられるそうだ。以下に法橋氏の3編の随筆を簡単に紹介する。

「世界でもっとも美しい科学実験とメソトロン実験」
 法橋登, 日本物理学会誌 Vol. 62, p. 371 (2007)

 "Physics World" 誌の読者投票で、世界でもっとも美しい科学実験の1位に外村(とのむら)彰さんの一電子干渉実験が選ばれ、また、1943年にローマ大学で行われたメソトロンの寿命測定実験が次点の一つになったことを、ロバート・P・クリース著、青木薫訳『世界でもっとも美しい10の科学実験』(日経BP、2006)で知った、と記している。そして、外村実験の25年も前の1964年に、湯川博士がギリシャ王立協会アテネ会議での招待講演において、一電子量子干渉実験の科学史的意義を説明したことを述べている。また、1938年4月12日付けの朝永博士の滞欧(ライプチッヒ)日記が、ハイゼンベルクによる湯川理論の講義にふれていることも紹介している。

 紹介されている朝永博士の日記文には多少省略がある。私は省略された文、「ハイゼンベルクはおそろしく湯川の理論に興味を持っている」(『朝永振一郎著作集』別巻2、p. 8)にむしろ興味をひかれる。(次に紹介する随筆を読んで分かったのだが、省略は法橋氏によるものでなく、朝永博士自身のもののようだ。)

「ハイゼンベルグゼミでの朝永と湯川中間子論」
 法橋登, 大学の物理教育 Vol. 12, p. 148 (2006)

 題名に「湯川中間子論」の言葉があるが、この随筆は朝永博士の仕事と彼の滞欧日記を紹介したものである。上記「世界でもっとも…」に引用されているのと同じ1938年4月12日の日記が(同じ省略をされて)含まれている。そのため、題名に「湯川中間子論」が入ったまでのことで、法橋氏が湯川博士についても書いているのではない。法橋氏が滞欧日記を引いた元は、朝永博士の著書『量子力学I、II 』(学芸社、1951)の差し込み付録だとある。

 日記文の前には
「まつい(松井巻之助)くんがなにか軽いものを書いてくれと言うが、一向うまくいかないので、古い日記帳から、いいかげんに引っぱり出してお茶をにごす。」 という朝永博士の文がついている(私はこの文をどこかで読んだような気がする)。この随筆と、引かれた朝永博士の文から判断すると、日記文の省略をしたのは、法橋氏でなく、朝永博士自身ということになる。

 (題名中の「ハイゼンベルグ」は、普通ドイツ語読みで「ハイゼンベルク」と記すが、ここでは原著のまま記した。)

「湯川先生のラジオ放送と宗教対談」
 法橋登, 大学の物理教育 Vol. 13, p. 63 (2007)

 法橋氏は、小学生だった1940年代に、たまたま京都放送のラジオから聞こえた連続講話「目に見えないもの」で、湯川博士を初めて知ったそうだ。それから10年後、月の裏側の写真がテレビに映った年の翌年の正月番組で、湯川博士とSF作家・小松左京の対談があり、「宇宙旅行が自由にできるようになったら、ブラックホールを覗けるのではないか」という小松の質問に対して、湯川博士は「そこまで行かんでも、ここにいても分かるのが学問だ」と答えたという。宗教学者・久松真一との対談においては、悟りについての久松の説明をきいたあとの湯川博士の答えが、「私は悟らんでもよろしい」というものだったことも述べられている。湯川博士の鋭くまた達観した言葉が面白い。

2007年5月7日月曜日

日本一周クルーズ:第 10 日、神戸帰着 (Round Japan Cruise: Day 10, Return to Kobe)

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上:潮岬を通過。下左:にっぽん丸の船首。下右:にっぽん丸の煙突。各写真の拡大版はこちら。
Upper: Passing through Shiono Cape. Lower left: Nippon Maru bow. Lower right: Nippon Maru chimney. Click here to see a larger version of each photo.

 2007 年 5 月 7 日(月)。昼食が洋食の予定になっていたので、朝食に初めて和食セットを選ぶ。昨日横浜で半数以上の乗客が下船し、ダイニングルームは、いささか寂しい光景である。

 食後、潮岬を通過(写真・上)。にっぽん丸との別れを惜しみ、船首や煙突の写真も撮る(下左と下右)。

 11 時から 1 時間、スタッフと一緒にトランプやカードゲーム「UNO (ウノ)」に興じる。昨日の夕食をともにした M さん夫妻も同席。

 下船の準備をして、14 時から、神戸入港前のひとときをフェアウエル・ティーで楽しむ。15 時入港。中突堤・旅客ターミナルから JR 神戸駅への無料連絡バスで帰途につく。

(日本一周クルーズ:完)

2007年5月6日日曜日

日本一周クルーズ:第 8 日、航海日;第 9 日、横浜に寄港 (Round Japan Cruise: Day 8, Voyage; Day 9, Call at Yokohama)

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上:金華山沖を通過。下左:太平洋上の夕日。下右:ベイブリッジをくぐり、横浜へ入港。各写真の拡大版はこちら。
Upper: Passing off Kinkazan. Lower left: Sunset over the Pacific Ocean shortly after the farewell dinner began. Lower right: Passing through the Bay Bridge to enter Yokohama Port. Click here to see a larger version of each photo.

 2007 年 5 月 5 日(土)、航海日。9 時 15 分からフィットネス教室。11 時から「日比野 幸さんと皆さんで歌いましょう part 3」で、「見上げてごらん夜の星を」「四季の歌」「千の風になって」などを歌う。日比野さんが「早春賦」と「知床旅情」の曲が似ているという話をして、この 2 曲を続けて歌った。午後は昼寝と読書。15 時 30 分頃、金華山沖を通過(写真・上)。

 横浜から乗船の人たちは明日下船となるため、17 時からメインホールで、船長主催カクテルパーティーがある。船長から、笑顔をたたえながらの挨拶があり、4(フォア)ドルフィンズの演奏もある。

 引き続きフェアウェル・ディナー。写真・左は、食事を始めて間もない頃の夕日。このあと残念ながら太陽は雲に隠れ、水平線への日没の様子を見ることは出来なかった。

 19 時 30 分から 1 階シアターで、夕凪シアターと称し映画が上映されているのを始めて見る。今宵の作品は「タルサ」。原油採掘に沸くオクラホマで、破産し殺された牧場主の娘でインディアンの血を引くヒロインが原油採掘の女帝に成り上がる様子を描いた 1949 年の作品。スーザン・ヘイワード、ロバート・プレストン主演。90 分。21 時 30 分から「MALTA ジャズナイト Vol. 2」を聞く。


 5 月 6 日(日)、朝食時、第 2 日の朝に食事をともにした N さん夫妻に再会。お子さんやお孫さんたちの話などをいろいろ聞かせて貰う。10 時 45 分に、ベイブリッジ(写真・下右)をくぐって、横浜へ入港。同夫妻と別れを惜しんで写真を撮り合う。

 最後のオプショナルツァー(設定されたコースは一つのみ)「横浜洋館めぐりと崎陽軒(きようけん)本店の昼食」は、雨の中となったが、幸い、屋内の見学がほとんどで、大して支障はない。ただし、外観の写真撮影がままならなかった。11 時に港ターミナル出口に集合し、バスで出発。同ツァー参加者は、わずか 9 名。

 バスガイドの市内案内を聞きながら、ほどなく、シュウマイで有名な崎陽軒本店に到着し、紹興酒などとともに中国料理の美味を味わう。食後、外国人居住区として横浜開港当時の歴史と深く関わる山手の丘に向かい、横浜市イギリス館と外交官の家を見学。最後に、北原照久氏プロデュースの横浜人形の家を訪れる。展示されている世界の人形は 1300 体以上あるという。16 時頃に帰着。17 時出港。

 17 時 30 分から 45 分間、音楽に合わせた「かんたんエアロビクス」で、身体を動かす。夕食のテーブルで大阪・我孫子からの M さん夫妻と一緒になる。M 夫人はたいへん話し好き。

 夕食後は、20 時 30 分からナイトシアター「砂の器」を見る。原作・松本清張、出演・丹波哲郎、加藤剛、1971 年作品。容疑者と被害者の間の会話に出た東北訛りの「かめだ」という地名をヒントに、刑事 2 人が執念の捜査を続け、天才音楽家の過去に行き着く。かつて、テレビドラマでも見たが、「かめだ」が実は東北の亀田ではなかった辺りまでしか覚えていなくて、十分に楽しめた。

2007年5月4日金曜日

日本一周クルーズ:第 7 日、青森に寄港 (4) [Round Japan Cruise: Day 7, Call at Aomori (4)]

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上:藤田記念庭園内のシダレザクラ。下左:同庭園内の洋館。下右:同庭園内の池と雪見灯籠。各写真の拡大版はこちら。
Upper: Weeping cherry tree in the Fujita Memorial Garden. Lower left: Western-style building in the Fujita Memorial Garden. Lower right: A pond and a stone lantern with a tripod in the Fujita Memorial Garden. Click here to see a larger version of each photo.

 午後、藤田記念庭園を見学。弘前市出身の藤田謙一(1873–1946、実業家、日本商工会議所初代会頭)が 1919 年に別邸を構える際、東京から庭師を招いて作らせた江戸風の景趣を持つ庭園で、弘前市が市制施行百年記念事業として整備し、1991 年に開園したもの。写真・上は庭園内のシダレザクラ、下左は国指定登録文化財の洋館、下右は池と雪見灯籠。

 16 時頃、船へ帰着。20 時に出港。夜のメインショーは「日比野 幸 ソプラノコンサート part 2」。引き続き、6 階カジノコーナーでカジノをしたが、練習時の運はどこへ行ってしまったか、配付されたカジノ券を簡単に失ってしまった。同じく 6 階のミッドシップバーで軽いカクテルを味わい、ほろ酔い気分となる。

日本一周クルーズ:第 7 日、青森に寄港 (3) [Round Japan Cruise: Day 7, Call at Aomori (3)]

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上:弘前城植物園のミズバショウ。下左:弘前城外濠に泳ぐ雌雄のオシドリ。下右:弘前城外濠に沿って並ぶソメイヨシノ。各写真の拡大版はこちら。
Upper: Asian skunk cabbages in Hirosaki Castle Botanical Garden. Lower left: A couple of mandarin duck swimming in the outer moat of Hirosaki Castle. Lower right: Yoshino cherry trees lined up along the outer moat of Hirosaki Castle. Click here to see a larger version of each photo.

 植物園でミズバショウの写真(上)を撮ったあと、バスへの集合時間を気にして公園の外へ出たが、まだ少し早い。外濠に泳いでいる雌雄のオシドリや、濠に沿って並ぶソメイヨシノの写真(下左と下右)も撮る。

 昼食は、旧銀行頭取の別宅を利用した弘前「翠明荘」料亭で、美しい庭園を眺めながらの、奥膳懐石料理。ご飯はリンゴ入り。庭園は、東北では珍しい小堀遠州流の桂離宮枯山水の流れをくむものだそうだ。