2013年7月19日金曜日

2013年6月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of June 2013)

[This post is in Japanese only.]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 6 月分への感想を 2013 年 7 月 15 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. スーパームーン

 梅雨空を照らすスーパムーンも一つの風物詩としての趣があります。インターネットの The Big Picture サイトの "Supermoon 2013" と題する記事を見ますと、14 月毎に月が地球に最接近する現象で、標準的な月に比べ 30 % 明るく、14 % 大きくなる、という説明があります。そして、「世界の人々がスーパームーンを捕えようと空を見上げた」として、昇る大きな明るい月を見て歓喜する人々、ギリシャのポセイドン神殿から昇る月、自由の女神を前景としたもの、インドで祈る老婆、イスラム教会で祈る人、椰子の葉の上を照らす貴写真に似た月、沙漠の中を走る戦車を照らす月など、24 枚の写真がスーパームーンの情景を美しく捕えていました。

2. バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」(全 5 回)、宇治・京都への小旅行(全 3 回)、和歌山へのバス旅行(全 4 回)

 ご夫妻でお元気に小旅行に出かけて楽しまれたことを、お喜び申し上げます。興味深く拝見しました。

(1) 日本版 ターシャ・テューダーの世界/ターシャの庭(バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」4 )
 花フェスタ記念公園内の「世界のバラ園」の奥に「ターシャの庭」と名づけた一画がある。最初の写真は、その入り口付近の看板を中心に撮った。看板には、「日本版 ターシャ・テューダーの世界/ターシャの庭」とあり、右奥に木造の家屋が見える。そして、門のところに「ターシャ・テューダー/〜花そして自然を愛する絵本作家〜」の札がある(2 枚目の写真)。ターシャ・テューダーが 92 歳で亡くなったのは 2008 年だから、「花フェスタ 2005 ぎふ」が開催されたときには、彼女はまだ生存していたのである。庭はその後あまり整備されていないようだが(3〜5 枚目の写真)、野性的な趣きがある。この日も賑わっていた。
このように記されたいます。私も妻もターシャ・テューダーの庭には関心があり、木や草花の育て方に共感するところが多いです。NHK が 2005 年、ターシャが 90 歳の時、輝きの季節 6 月に初めて取材し、その後 1 年を追って記録した『喜びは創りだすもの ターシャ・テューダー四季の庭』の再放送を見ました(BS プレミアム、2011 年 12 月 9 日)。絵本作家時代の 1971 年にバーモント州のこの地に移り住んで、30 年間にわたり 30 万坪の広大なこの庭をつくりだした話と、その四季折々の美しさが 1 時間 50 分に詳しくまとめられていました。人気番組らしいので、NHK のプログラム相談に電話で再放送の可能性について聞きましたら、7 月 22 日 BS プレミアムのアーカイブズで 12 時から 1 時間の再放送をするとのことでした。

 ターシャが庭つくりを決心したとき、家具職人をしていた息子のセスが一人で営々と手作りで、母屋や温室、ニワトリ小屋、ヤギ舎、ハト小屋などを森に囲まれるように配置した、ターシャのコーギコテッジを造りました。セスは、母は「決心の人」で一度決心したらそれを実行する人、といい、スープのさめない距離に本人も住み、毎朝 10 時に訪れ、庭つくりを支援してきました。孫のウィンズローと若き妻も。殊に若い妻は熱心にターシャと共に庭つくりに励んでいました。

 ——思う存分庭つくりをしてみたいと、土を耕し木を植えることから始めた 30 年。庭を見て回り目で確かめていく。種から育てたのが自慢、設計はしない、ただ、好きな花を植えていく、一番美しく咲く花を選びぬいている。季節で一番適した花を植えていく。花に適した場所を探すため 3 カ所に植えて、適地を探すのに 12 年はかかる。同じ種類の花でも、土の成分によって色が異なる。pH など計って花の色調を考えて土質を変化させた。時間をかけてということは、それだけ愛情を注ぐこと。爆弾という紫紺の色鮮やかな花が雑草と呼ばれる花と共存して美しい色調をだしている。年 2 回、絵本の愛読者を招き歓談し共に楽しんでいる。自然と育った庭、だんだん年を取って来て、これからは庭を自然に返していこうと思っている、それも私らしいでしょう。「皆が助けてくれるので、絵を描き庭仕事ができた。今が一番幸せ」——と、家族の皆に感謝しているところで結んでいます。

 ターシャはシャクヤクの花が好きで、バラについては、大変よく勉強し、力を注いでいました。この放送は、最晩年のこの美しい庭とターシャの信条をまとめた傑作だと思いました。庭つくりの原点は、彼女の幼少時に接したグラハム・ベルにあったというエピソードは、ベルの知られざる一面を知り得る興味深いものでした。

 国連の人口統計では、2050 年には人口が 96 億人を超えると予測しています。このような未来に、エネルギー・資源の持続性のある世界を築かねばならないという難題が立ちふさがっています。この解決のためには、暮らし方や文化を原点から考え直すことが必要だといわれています。19 世紀の入植時代の生活に憧れ、農村のライフスタイルの生活をし、一人でこつこつと広大な庭つくりをしてきたこの生き方は、一つの回答を提示するものでしょう。

(2) プーシキン美術館展(バス旅行「プーシキン美術館展とバラの花園」5 )
 モスクワのプーシキン美術館が世界に誇るフランス絵画は、女帝エカテリーナ 2 世を初めとする歴代皇帝や貴族、大商人らによる情熱的な収集によって形成された一大コレクションである。その中の、プッサン、アングルから、ドラクロワ、ルノワール、ゴーギャン、ゴッホ、そしてピカソ、マティスまで、300 年にわたるフランス美術の変遷をたどれる 66 点が展示されていた。
という興味深い展覧会で、現在、横浜美術館で 7 月 6 日から 9 月 16 日まで展示されています。私も妻とゆっくり鑑賞したいと思っています。

(3) 宇治・京都への小旅行

 宇治(黄檗)は大学 1 回生の時 1 年間通ったところでもあり、その後時々出かけていますので、興味深く読ませていただきました。
 宇治では、JR 西日本が 10 年余り前に発行した『駅からはじまるハイキング MAP』の「4. 宇治コース:源氏物語・宇治十帖を歩く」を参考にして歩く予定だった。しかし、当日は「真夏日」の気温になる予想だったので、コースを大幅にはしょり、一部だけを歩いた。
とありました。宇治十帖は宇治周辺を中心に展開されていますね。難コースでなければ一度訪ねてみたいものです。

 また、
 京都市学校歴史博物館で見学した企画展『挿絵と表紙からみる教科書の世界』[...]。終戦直後に部分的に墨塗りして使われた戦前の教科書(同じ教科書の墨塗りされていないものとともに展示)が、軍国主義の愚かさの歴史を示していた。明治から昭和にいたる学校の歴史を資料や写真で示した常設展示も見応えがあった。
ともありました。私たちの小学校(国民学校)時代の国語、修身、唱歌については、3 歳年上の姉が朗読したり歌ったりしたのを聞いたものを合わせると、1 年生から 6 年生までの部分をうろ覚えに記憶しています。はっきりと記憶している例の一部として、「君が代少年」、「軍犬利根」、「スレンバンの少女」、「不沈艦(英国の戦艦プリンス・オブ・ウエルズ)の最後」、題名は憶えていませんが修身の教科書にあった、佐久間艇長の遺書など。これらは今読んでも当時の世相が分り、参考になると思います。もちろん、軍国主義に関係のない、「乗合自動車」、「川をくだる」、「潮干狩り」、「振子時計」などもありました。いつか京都市学校歴史博物館を訪れて、当時の記憶をたどりたいと思っています。

2013年7月18日木曜日

墓参途中の観光 3 (Sightseeing On Our Way of Visiting Graves -3-)


 越前市でのささやかな観光のあと、われわれは「かんぽの宿福井」に宿泊した。たいていの「かんぽの宿」はそうだが、この宿も小高い山の上にある。山の名は兎越(おさごえ)山という。標高 82 mで足羽(あすわ)山、八幡(はちまん)山に並ぶ足羽三山の一つをなしている。近くに「おさごえ民家園」があるということだが、訪れる時間がなかった。宿の窓からの風景を翌朝スケッチした(上掲のイメージ)。

 福井駅への宿の送迎車や金沢への列車に乗っている間には雨が降ったりしていたが、金沢到着後は雨に会うこともなく墓参が出来た。ただ、今年は新盆の時期が三連休と重なったため、野田山墓地近くの墓参用品の店では花の売り切れが相次ぎ、三軒目でようやく入手出来たという珍しい事態に遭遇した。同じ旅について長女が記したブログ記事を、こちらでご覧になれる。(完)。


After a modest tourism in Echizen City, we stayed at the hotel "Kampo no Yado Fukui." Most of "Kampo no Yado" are located on a small mountain, and this hotel was also on the mountain of the name Mt. Osagoe (82 m above sea level). This mountain is one of three Asuwa Mountains together with Mts. Asuwa and Hachiman. There is Osagoe Minka En (Osagoe Old House Garden) near the hotel, but we did not have time to visit there. Next morning, I sketched the landscape from the window of the hotel (the above image).

While we were riding the courtesy car of the hotel to Fukui Station and a train to Kanazawa, it often rained, but luckily we were not caught in the rain after arriving at Kanazawa. Because the days of bon in the solar calendar coincided with three consecutive holidays this year, flowers were sold out one after another at the shops near Nodayama Cemetery. So, we had a rare experience of getting flowers only at the third shop we entered. You can read our daughter's blog post on the same trip here (in Japanese). (End)

2013年7月16日火曜日

墓参途中の観光 2 (Sightseeing On Our Way of Visiting Graves -2-)


 「蔵の辻」の木陰で一休みしたあと、われわれは紫式部公園へ向かった。1 枚目の写真は、同公園の西門。ここは、紫式部が父藤原為時に従ってこの地に滞在していたことに因んで造られた寝殿造庭園で、文化勲章受章者の圓鍔勝三(えんつば かつぞう、1905–2003)が制作した金色に輝く紫式部像(2 枚目の写真)や、 4 基の紫式部歌碑、釣殿、泉池、自由広場、藤棚などがある。

 式部像の傍らに、美術評論家・河北倫明 (1914–1995) による「紫式部像によせて」の碑文(1986 年筆。3 枚目の写真)があり、式部像は武生市が市制 35 年を記念して建立したものと記されている(武生市は 2005 年に今立町と合併し、越前市に生まれ変わった)。また、背景の庭園は、庭園研究家・森蘊(もり おさむ、1905–1988)の設計によるものであることも記されている。

 紫式部歌碑は 4 基とも、各々の説明板と合わせて撮影したが、ここには、谷崎潤一郎揮毫の碑を掲載する(4 枚目の写真)。「ここにかく 日野の 杉村 埋む雪 小塩の松に けふや まがへる」と記されている。「越前国府では、日野岳に群立する杉をこんなに埋める雪が降っている。都でも今日は小塩山の松に雪が降っているのだろうが、そんな景色が思い出される」の意である。

 5 枚目の写真は泉池。一番下の写真は、紫式部公園から越前市の「まちなか」近くまで続く遊歩道。娘は、この道を出はずれたところのコンビにで接着剤を購入し、公園に向かったときから底がはがれかけていたサンダル式の靴を無事に修理した。(つづく)


After having a rest in the shade of "Kura no Tsuji", we went to Murasaki Shikibu Park. The first photo shows the west gate of the park. The park is actually a garden of Shinden-zukuri, which was built in honor of the fact that Murasaki Shikibu stayed in this area together with her father, Fujiwara no Tametoki. The garden includes a golden statue of Murasaki Shikibu (the second photo) produced by Katsuzo Entsuba (1905–2003), four monuments inscribed with Murasaki Shikibu's tanka, a fishing hall, a pond, a free field and a wisteria trellis.

Beside the statue of Murasaki Shikibu, there is a monument inscribed with "About the statue of Murasaki Shikibu" (1986; the third photo) by the art critic, Michiaki Kawakita (1914–1995). According to the inscription, the statue was made to commemorate the 35th anniversary of Takefu City (the city absorbed Imadate Town in 2005 to become Echizen City), and the garden was designed by the researcher of gardens, Osamu Mori (1905–1988).

I took photos of all the four tanka monuments together with description plates of them. The fourth photo is the one chosen among those. The inscription is based on Junichiro Tanizaki's calligraphy. The meaning of the tanka, "Koko ni kaku Hino no sugimura uzumu yuki Oshio no matsu ni kyo ya magaeru" is as follows: "In Echizen Kokufu, snow is falling so much as to hide a pine forest on Mt. Hino, making me think of snow falling today on pines of Mt. Oshio, Kyoto."

The fifth photo is a shot of the pond in the garden. The bottom photo shows the promenade that goes from Murasaki Shikibu Park to the vicinity of the downtown of Echizen City. At a convenience store just outside the promenade, our daughter bought an adhesive, successfully repairing her shoes, the bottoms of which had been pulling away from the time we had headed to the park. (To be continued)

2013年7月14日日曜日

墓参途中の観光 1 (Sightseeing on Our Way of Visiting Graves -1-)


 7 月 13 日、妻と私は長女を伴って、郷里・金沢に祖先の墓を訪れた。その前日、武生で途中下車して、少しばかりの観光を楽しんだ。まず、JR 武生駅から徒歩約 10 分の「ちひろの生まれた家」記念館を訪れた。これは、絵本画家いわさきちひろの生家を復元した資料館で、2004年10月にオープンしたものだが、当日(金曜日)はあいにく休館日で、館の前面を見て写真に撮っただけとなった(1枚目の写真。記念館のホームページでは、開館日が「金・土・日・祝日」となっていたが、最近、金曜日も休館に変ったのである)。

 この記念館から数分歩くと、白壁の蔵が建ち並ぶ「蔵の辻」がある(2 枚目以下の写真)。この地区は江戸時代以降、関西から北陸方面への物資の中継地区として栄え、商人たちの蔵が並んでいた。その蔵の外観をそのままに、店舗や住宅として再生し、観光スポットとしたものである。平成13(2001)年度都市景観大賞「美しいまちなみ大賞(国土交通大臣賞)」を受賞している。(つづく)


On July 13, my wife and I visited the graves of our ancestors in my hometown Kanazawa, together with our elder daughter. On our way there the previous day, we got off the train at Takefu to enjoy a little bit of sightseeing. First, we visited "Chihiro's Birthplace" Memorium Museum located at about 10-minute's walk from the JR Takefu station. This is the museum opened in October 2004 at the birthplace of Chihiro Iwasaki, an artist and illustrator known for her water-colored illustrations of flowers and children, in order to display her materials used by her and her works. Unfortunately, it was closed on the day of our visit, i.e. on Friday (on its Web page, it was written that the museum was open on Friday, Saturday, Sunday and holidays, but Friday was excluded from those days quite recently). So, we saw only the front side of the museum and took a photo of it (the top picture above).

Walking a few minutes from the museum, we got to "Kura no Tsuji," where storehouses with white walls lined (see the second to the bottom pictures). Since the Edo period, this area flourished as the place of transit of goods from Kansai to Hokuriku, and merchants' storehouses were built. By restoring the appearance of those storehouses, shops and houses were made here as a sightseeing spot. This area was chosen for "Beautiful Cityscape Award (Minister of Land, Infrastructure, Transport and Tourism Award)" of the 2001 fiscal year. (To be continued)

2013年7月11日木曜日

6月後半の花々 (Flowers in the Latter Half of June)


 掲載が遅れたが、6 月 18 日から 25 日にかけて撮影した花々の写真である(* 印はわが家の庭で)。上から、ユリ*、白花のキョウチクトウ、サフランモドキ*、セイロンベンケイ*(二度咲き)、クチナシ、ノウゼンカズラ。

Belatedly posted below are the photos of flowers taken from June 18 to 25 (the symbol * indicates that the photo was taken in my yard). From top to bottom, lily*, oleander with white blossoms*, rain lily pink, air plant* (reblooming), common gardenia and Chinese trumpet vine.