2011年6月12日日曜日

「美しき水車小屋の娘」の歌詞を見る (Browsing the Lyrics of "Die schöne Müllerin")

Abstract: In my previous blog post, I guessed that the Japanese verb "seseragu" in the translation of Franz Schubert's "Die schöne Müllerin" I saw on a TV program was a wrong word. However, my guess was wrong (see "Note added later" of that post). In another Japanese translation of the same song, I have found that "seseragu" was also used by the translator of it at a few places but that the original German words corresponding to it were not always the same. (The main text is given in Japanese only.)

 先のブログ記事で「せせらぐ」という言葉を誤用のように記したが、三省堂『大辞林』( 第二版、インターネット版)にはその言葉があり、勇み足だったという追記をした。この文は、勇み足の罪滅ぼしに書くその記事への追々記である。

 実は、わが家にフランツ・シューベルトの「美しき水車小屋の娘」の楽譜 [1] があり、それには歌詞の和訳も掲載されていたのである。訳者は、先日 TV のテロップで見た和訳をした人とは別で、門馬直衛となっている。したがって、先のブログ記事で気にしたと同じ表現自体は見当たらないが、連作を構成している各曲を順に見て行こう。

 この連作歌曲は20編の歌からなっている。それらの歌は、修業の旅に出た粉職人の若者が、美しい水車小屋の娘に恋をするが、狩人が現れて彼女を奪って行き、悲しく立ち去る若者は小川に語りかけ、永遠の眠りにつく、という物語になっている [2]。「せせらぐ」に関係のある小川は、第1曲「流浪(さすらい )(Der Wandern)」から早速登場する。しかし、門馬訳では、「小川はそよぎて流る!」が出てくるだけである(これは直訳ではなく、この部分の原語は "Vom Wasser haben wir's gelernt, vom Wasser!" であり、「そよぎて流る」に相当する語はない)。

 ところが、第2曲「何処(どこ)へ? (Wohin?)」には、「せせらぐ小川 うれし流れ」という訳がある! この部分の原語は "Lass singen, Gesell, lass rauschen, und wandre frohlich nach" で、singen(歌う)と rauschen(音を立てて流れる)を合わせて、「せせらぐ」を当てたようである。少し飛んで、第10曲「涙の雨 (Tränenregen)」へ行くと、「せせらぐ小川眺め入りぬ」とある。対応する原語は、"wir schauten so traulich zusammen hinab in den rieselnden Bach" で、rieselnden という形容詞が「さらさら(ちょろちょろ)流れる」という意味の動詞から来ている。

 次いで、第11曲「わがもの (Mein!)」の最初に、「流は止まれ!」とある。これが TV のテロップで気になった「小川もせせらぐのをやめてほしい」という訳に相当する箇所らしい。原語では "Bächlein, lass dein Rauschen sein!" となっている。Rauschen は第2曲で動詞として使われていたが、ここでは名詞である。原語の7音節に合わせるならば、「せせらぎ止まれ!」としてもよいところである。しかし、"Bächlein" と小川に呼びかけていることを尊重すれば、門馬訳のようになる。TV のテロップは曲に合わせた和訳ではなく、意味を伝える目的のものだったようである。

 最後の第20曲「小川の子守歌 (Des Baches Wiegenlied)」3番の3行目に、「水せせらぎて音消さん」とある。ここで、音というのは1、2行目に繰り返されている「狩の笛」の音である。「せせらぎて」の「せせらぎ」の部分は、動詞「せせらぐ」の連用形である。「水せせらぎて…」の行の原語は "will ich sausen und brausen wohl" である。Sausen も brausen も音を立てる意味の動詞で、双方を合わせて「せせらぎて音消さん」としたようである。このように比較してみると、和訳が「せせらぐ」であっても、原語は必ずしも同じ一つの言葉ではないことが分かる。——久しぶりに独和辞典をひもといて頭の体操をした。——


  1. シューベルト/美しき水車小屋の娘・冬の旅・白鳥の歌, フィッシャーディスカウ: シューベルト「三大歌曲集」付録 (東芝音楽工業株式会社, 1951).

  2. 美しき水車小屋の娘, ウィキペディア フリー百科事典 [2011年3月13日 (日) 00:18].

2 件のコメント:

Suzu-pon さんのコメント...

今日お会いした時にちょっとお話した映画の字幕の話とも通ずるものがあるなと思って読みました。意味を伝えるのと原詩に忠実になるのとでは言葉も随分変わるものですね。
また訳語が同じでも原語が同じとは限らないというのも、言われてみればそうだなとは思いますが、目にした直後というのはなかなかそこには思いは至らないものですよね。
詩そのものの持つ美しいストーリーを楽しむだけでも十分素敵ですが、こうしてどのようにしてその言葉が選ばれているかなどを考えると、さらに楽しみが増すような気がしました。

Ted さんのコメント...

 Suzu-pon さん、早速読んでいただき、ありがとうございます。
 私は高校生時代から、言葉の使い方についていろいろ考えることが好きだったようです。高校2年のときに、英語の授業で一部分だけ習った "Alice in Wonderland" についての感想文を、生徒会が年1回発行していた雑誌『新樹』に投稿しました。のちに母校の何十年史かが発行されたとき、ある先生が書かれた思い出の文中に、"『新樹』誌には研究論文的な文も掲載された。たとえば、T.T. による「『不思議な国のアリス』における前置詞の使い方」…" などとありました。私の投稿の題名は単に『不思議な国のアリス』だったはずですが、その先生の印象に残った研究的要素を説明的にわざとつけ加えられたのでしょう。