昨日の H さん経由の湯川スミさんの思い出話に続いて、「湯川秀樹を研究する市民の会」(略称「湯川会」)のメンバーに紹介した、H さんの同期生たちや彼女自身による湯川博士の思い出話を転載する。(湯川会メンバー宛メールとしては、こちらの方を先に出している。)
湯川会の皆さん
私より数年早く、195X年に京大の物理学科を卒業し、一時私と同じ職場にいた H さんに、湯川さんの印象を尋ねていたところ、先々週、彼女たちの物理学科同期会があり、他の方がたにも聞いて知らせて下さいました。以下にそれをご紹介します(H さんのご希望により、実名は伏せています)。
I 氏:一番印象に残っているのは、実験後、あまった液体窒素を水溜りに流して、沸騰する中で氷が出来る様子を見ながら遊んでいたときのことです。後ろで「面白いねえ」と声がして、湯川先生も楽しそうに眺めていました。何にでも、生き生きした好奇心を持つ人だな、と思いました。
K 氏:コロキユウムで D 君が論文紹介をしたときに、湯川先生が質問され、その答に対して先生が「自分は頭が悪いからなー」といわれたことが印象に残っています。
H さん:私は母と湯川先生にお会いしたことがあります。そのとき湯川先生が母にいわれたことば、「親にとって、いい子は自分の思っているようになってくれる子で、自分の思うようになってくれない子はいい子でない」が印象に残っています。私が大学院に進むことに対しておっしゃったのですが、先生のお子様のことにも通じることばではなかったかと考えています。また、クリスマスに A さんの発案で風船割りをしたこと、ソフトボールの試合に参加されたことなど、いろいろ楽しんでおられた様子が目に残っています。
後日、H さんへのメールで資料を届けられた方もあり、それは別途紹介します。(2006年11月20日)
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