先に日本物理学会誌7月号掲載の湯川関連記事の一つを紹介した [1] のに続き、もう一つの関連記事「アテネ会議湯川講演と科学の理想」[2] を紹介する。
著者はまず、朝永が随筆「鏡の中の世界」に記した「過剰ならざる哲学」や、パウリが真に革新的な理論に必要としたクレージネス(狂気、そしてまた、群れを抜く素晴らしさをも意味する)は、湯川にとってはどんなものだったか、と問いかける。
次いで、湯川が1964年6月5日に開かれたギリシャ王立協会主催アテネ会議で行った講演「科学的思索における直感と抽象」[3] での問題提起、「なぜ科学は古代ギリシャだけから生まれたか」と、その答えとして抽象と直観の釣り合いの重要性を述べた部分を引用し、そこに湯川の「群れを抜く素晴らしさ」についての考えも出ていることを示す。
さらに、直観と抽象についての湯川の考えを裏付けるような C・N・ヤンやバートランド・ラッセルの言葉を引用している。また、物理学者が示した「過剰ならざる哲学」の例として、ファインマン、サラム、T・D・リーらの著作の末尾の言葉を挙げている。最後に、湯川の問いである「科学はなぜ東洋から生まれなかったか」に対するコロンビア大・ドゥブレの指摘や、関連したことがらについてのサラムの見解を述べている。
――著者自身の問題提起に続いて、湯川の問題提起とそれへの答えが紹介され、その問題と答えが、後の章で、著者自身が出したものと並列の問題として扱われている、という複雑な構造の一文である。また、引用の多いこともあって、このエッセイには、一読しただけではその趣旨をとらえがたい面がある。しかし、関連の記述をよく収集していることは、称賛に値すると思われる。私にとっては、湯川のアテネ会議講演を通読してみたいという気持ちを起こさせて貰った点で、ありがたい文であった。――
- 日下、オッペンハイマー、湯川の関係, Ted's Coffeehouse 2 (2007年7月20日).
- 法橋登:日本物理学会誌 Vol. 62 p. 555 (2007).
- もとは英文で、河辺六男訳が『湯川秀樹自選集4』p. 244 に収められている。法橋氏は『科学』誌掲載の「川辺」訳を参考文献に引いているが「河辺」の誤りだろう。