湯川博士のノーベル賞講演の和訳 [1] のことを記した湯川会会員の方のメールには、「訳が3人がかりでなされているところを見ると、湯川博士の英語は難解らしい。内容の理解を優先させるため、和訳で勉強をしては」という趣旨のことも述べられていた。私は返信に、「折角2ページ近くを英文で読み進めて、あと3ページ半ほどなのだから、このまま原文で進めるのがよい」旨を書いた。理由はここに述べただけで十分だっただろうが、つい次のようにつけ加えた。
私は著名な物理学者たちの和訳力を必ずしも信用しません。中間子第1論文の片山泰久訳 [2] にも、「場を伴う量子」という誤訳がありました(accompany の用法や『旅人』中の記述から考えても「場に伴う量子」が正しい)。[なお先般、S. W. ホーキング著、佐藤勝彦・監訳『時間順所保護仮説』(NTT出版、1991)が誤訳だらけであることをブログに書きました(http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/tttabata/eid/568366)。]
著名な物理学者たちの和訳力を信用しないためには、ここに挙げただけの理由では不足な感じがする。しかし、そのあとで湯川博士のノーベル賞講演の和訳を見たところ、最初の訳文が次のような拙いものであり、理由がさらに裏づけられることになった。
中間子論の起源は、重力や電磁気力の場合の力の場の概念を、核力にもあてはまるように拡張する試みから始まった。
この訳がなぜ拙いかに気づかない方は、「起源」とは「始まり」の意味であることに注意し、「彼は馬から落ちて落馬した」という文と比較されたい。なお、ノーベル賞講演の和訳者たちの名誉のために、最初の文以外には、このような迷訳はなさそうであることを付言しておく。
(完)
- 湯川秀樹著, 中村誠太郎, 福田博, 山口嘉夫訳, 発展途上における中間子論, 湯川秀樹自選集2 (朝日新聞社, 東京, 1971) p. 335.
- 湯川秀樹著, 片山泰久訳, 素粒子の相互作用について I, ibid. p. 261.
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