法橋登氏が『教育通信』2008年6月号に書かれた湯川博士関連の随筆、「ネット上の素領域」のコピーを送って下さった。氏の許しを得て、その概要を「湯川秀樹を研究する市民の会」のウエブサイト『湯川 Wiki』に掲載した。以下は、それと同内容のものである。
随筆は「1. 湯川先生の宗教対談」、「2. ネット上の湯川秀樹」、「3. ネット上の素領域」の3章からなっている。第1章は、先に『大学の物理教育』2007年3月号に書かれて紹介済みの「湯川先生のラジオ放送と宗教対談」という話に、インターネット関連の考察やネットから知ったことをつけ加えたものなので、紹介を省略し、第2、3章の内容を紹介する。
第2章では、ネットで「湯川秀樹」を検索すると、『湯川秀樹著作集』に収録されなかった著作や湯川とのインタビューをもとにして素領域論のエッセンスをとらえた、京都生まれの編集・著述者、松岡正剛の解説が出てくることと、西田幾多郎と岡潔も、湯川が高校時代から影響をうけた哲学者、数学者として、松岡が紹介していることを述べている。
岡によれば、問題の発端と結末が同時に分かるのが情緒(仏教用語では無分別智)で、発端と結末を論理の鎖で結ぶのが理性(分別智)の働きであり、西洋人は論理型、日本人は情緒型が体質にあっているとのことである。湯川も、キリスト教大聖堂の堅固な石造建築を見て同じことを感じたそうだ。著者は、「中間子論も素領域論も湯川には問題の発端と結末が同時に見えたのだと思う」と述べている。
岡は著書『春宵十話』の中で、相対論から40年で原爆を仕上げた物理学者を指物師(大工)と呼び、証明に400年かかったフェルマーの予想のような将来発芽する種子を土に播いておく数学者を百姓(農民)と呼んでいるとのことで、著者は「湯川の素領域論もそんな種子の一つと思う」と記している。
さらに松岡正剛によれば、湯川は中国大陸から渡来した浄土的・出離的平安仏教の正統派最澄には違和感をもっていたが、最澄と並ぶ平安仏教の開祖でありながら渡来仏教を日本の土着・基層文化である縄文文化に結びつけた空海には関心があったこと、また、日本のニュートンと呼ばれた江戸中期の自然哲学者・教育者三浦梅園と身分制限のない日本で最初の給費制総合私学「綜芸種智院」を創立した空海の思想的関連性を指摘したのは湯川が初めてだということも紹介している。
第3章では、松岡が、非局所場や素領域のアイディアは火焔土器に象徴された縄文文化の原初的生命エネルギーから発しており、「点粒子の奥にはハンケチで畳めるほどの空間がある」という湯川の言葉をネットで伝えていることを紹介している。法橋氏は、「『ハンケチで畳めるほどの』は、『代数構造をもつ』という意味と思うが、プランク・スケールの時空間を考える物理学者もいる」と述べている。
ネットには、さらに「物理学者はミンコフスキー空間の受け入れに無批判である」という湯川の不満と、「時空連続体も素粒子のように可能性と現実性の間を往き来しているのではないか」という湯川の考えが伝えられていることを述べ、「湯川先生はネット上でまだお元気なのである」と結んでいる。
「ネット上の素領域」をここに紹介したことによって、湯川先生のネット上のお元気さは、ますます伝播する。
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