2008年7月18日付け朝日新聞(大阪版)に「湯川教授 原爆研究に関与せず」の題名で、「米国立公文書館に保存されていた資料から、第2次世界大戦中、京都帝国大が行った原子爆弾研究に、湯川秀樹博士はほとんど関与していなかったと、連合国軍総司令部(GHQ)が結論づけていたことがわかった」という記事が掲載された [1]。その概略は次の通り。
関連の資料は、政池明・京大名誉教授(素粒子物理学)らが見つけたもので、GHQの科学顧問だったフィリップ・モリソン氏らによる機密解除報告書などからなっている。モリソン氏は、米の原爆計画であるマンハッタン計画に参加した核物理学者で、日本の原爆開発能力を調べるため、日本に派遣された。終戦翌月の45年9月に京都で、旧海軍の委託による原爆研究、「F研究」の実験を指揮した荒勝教授と、理論の責任者だった湯川教授に尋問し、湯川教授が不在のときに研究室の本や資料を調べた。報告書は「湯川教授は中間子論の研究にすべての時間を割いており、原爆の理論研究はほとんどしていなかった」と結論づけている [2]。F研究のチームは終戦直前、旧海軍との会議を開き、湯川氏も出席している。ウラン鉱石の入手が困難なことなどから、「原爆は原理的には製造可能だが、現実的ではない」との結論を出したとされている。
日本の原爆研究そのものが、これといった進展を見せていなかったことから、湯川博士が原爆研究に関与しなかったことは、米国の資料によるまでもなく、ほぼ自明のことと思われるが、資料はこのことを裏付けたものといえよう。
しかし、GHQから客観的に「原爆研究に関与せず」と認められても、湯川博士自身の内心では、『源氏物語』を読んでいるといって(原子爆弾の基礎になる原子核関係の論文の講釈をしていたものと思われる)、一週間に一度、軍の研究所へ通い、戦争に協力する仕事をしていたこと [3] は、戦時中の拒否できない状況下だったとはいえ、自責の念に耐えなかったであろう。そして、それが博士の後の平和運動への一つのエネルギー源ともなったのではなかろうか。
なお、上記の記事はワシントン発となっているが、記事中に名前のある政池氏(大学で私の1年後輩)は、日本学術振興会ワシントンセンター勤務を終えて、今春すでに帰国している。ワシントン滞在中に報道機関に渡した資料のコピーによって、いまようやく記事が作成されたか、あるいは、氏とともに資料を見つけた仲間が最近報道機関に知らせたのであろう。
- インターネット版(asahi.com)での題名は「ユカワは原爆研究に関与せず」。
- 新聞記事には、モリソン氏の報告書の一部と思われる文書の写真が、説明なしでつけてある。その文は次の通り。
"3. Information about Yukawa is somewhat harder to be certain of than about an experimenter. From his own account, and from papers I saw in his office dated in late 1944, he has spent all his time on the mesotron theory, highly abstract work in which he has maintained a worldwide fame since 1938. He showed no interest in question I asked on diffusion theory, in which he would have been engaged if he were on project work to any . . . "
- 「湯川博士と源氏物語」Ted's Coffeehouse (2007年2月8日).
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