2008年10月9日木曜日

2008年ノーベル物理学賞への湯川博士の影響

 2008年ノーベル物理学賞についてのテレビのニュースで、南部さんが、湯川秀樹博士の影響で素粒子の研究を始めた旨を語っているところがあった。益川さんは坂田昌一博士に惹かれて素粒子論に進んだそうだが、坂田博士は湯川博士の高弟というべき人だから、こちらにも湯川博士が間接的ながら影響している。

 また、きょう10月9日づけ朝日新聞朝刊の「ノーベル物理学賞の3氏に聞く」という記事中では、九後太一・京大教授が「益川先生たちは、当時,全然信用されていなかった場の理論の精密な論理を適用した。これは朝永流だ。さらに、クォークは6種類あるという大胆な予言をした。これは湯川先生の伝統を受け継ぐ」と、小林・益川理論について、専門家らしい意見を述べている。

 上記の記事中には、南部さんの言葉として「私が学生のころ、湯川秀樹博士が予言したパイ中間子が実際に発見され、博士の名は世界的に有名になった。それをきっかけに、私も物理学をやっていこうと思った」とある。しかし、南部さんは1920年生まれだから、パイ中間子が発見された1948年には28歳で、「学生のころ」ではない。1937年にミュー中間子が発見されて、湯川博士が世界的に有名になり始めたことに影響されたはずである。

 私が最近新聞記者から取材された経験によれば、新聞記者とは、自分の思い込みで記事中に被取材者が読めば冷や汗をかくような間違いをいくつも書く人種である。南部さんの話の上記の部分も記者が勝手に手を加えた間違いであろう。




 南部さんの受賞に関連して、昨夕のNHK総合テレビ「テラス関西」で、わが湯川会顧問の斎藤さんが発明した、科学館の「自発的な対称性の破れが見える装置」について説明しているところが放映された。南部さん自身が以前、科学館を訪れた折に感心しておられた様子や、子どもたちが「よく分かった」といっている場面もあった。これはよい取材である。

 なお、2008年ノーベル化学賞でも、クラゲの緑色蛍光タンパク質を発見した日本人、下村脩さんがアメリカのマーティン・チャルフィー (Martin Chalfie) 、ロジャー・チェン (Roger Y. Tsien) 両教授と共同受賞することになったのは、ことのほか喜ばしい。ただし、これを機会に、政府が基礎研究に多くの投資をすべきことを理解することこそが重要であろう。

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