2009年9月4日金曜日

湯川をモデルにした小説 4 (The Novel Modeled on Yukawa 4)

 前回は、『山頂の椅子』の著者・澤野久雄について記した『ウィキペディア』のページの「湯川秀樹夫妻との確執」の項が引用していた二つの文献 [1, 2] のうち、[1] に見られる湯川夫妻のコメントと澤野の弁を紹介した。今回は、その後図書館から借り出した [2] の本に見られる『山頂の椅子』関連の記述を紹介する。(上記『ウィキペディア』のページへの [2] からの引用は、湯川夫妻と澤野の対立を強調する形に歪曲されていることが分かったので、私は昨日、同ページを修正した。したがって、以下において「『ウィキペディア』のページ」と呼ぶのは、私が修正する前のページを指す。)

 文献 [2] 『現代家系論』の著者・本田靖春(1933−2004)は読売新聞記者として活躍したのち、ノンフィクション作家として受賞もした人であるが、この本には引用原典や取材元の記載もなく、信頼性を欠く。もっとも、日本のノンフィクション作品に、西欧の著作並みに引用文献の記載がなされるようになったのは、比較的近年のことのようである。本書は「羽仁五郎一家」「美濃部亮吉一家」など10家系の話の中に、「湯川秀樹一家」の話も含んでいる。『山頂の椅子』の件は「湯川秀樹一家」の章に、「余談になるが」として、2ページ近くにわたって記されている。澤野が『旅人』を代筆し朝日紙に連載するにあたって、かなりの悪戦苦闘を「したらしい」、夫妻から表現その他で、いろいろと注文がついたという「話である」、「伝えられているところでは、」秀樹が神童だったかどうかをめぐって、激しい対立があった「といわれる」、スミ夫人の反対の言葉に対して、自分の主張をやめない澤野に、秀樹はチラと[夫人の肩をもつ言葉を]いったのだ「そうである」、など、第三者(朝日新聞社の澤野の同行者か)からの伝聞のように書いてある。

 これをもとにした『ウィキペディア』のページの記述は、「少年時代の秀樹を神童として描くか否かを巡って湯川夫妻と澤野の間に激しい対立が発生した」、「秀樹は澤野に向かって…(中略)…と連載中断をほのめかして脅しをかけた」などと、対立をきわだたせる形に書き換えてあった。[2] には、「この小説が発表されると、秀樹が激怒しているという噂が飛んで、湯川家の前に新聞社の車が並んだ。きっと澤野を告訴するだろうというわけである」とあるところも、『ウィキペディア』のページでは、「秀樹は激怒して澤野を告訴しようとしたといわれる」となっていた。噂であった「激怒」が事実のように書かれていたのである。事典の記述が、このように歪められた引用を含んでいてはならない。

 『旅人』の連載終了(1957年)のあと、湯川夫妻から澤野へお礼のハガキ一枚届かなかったことが [2] に記されてはいるが、その少しあとの1960年に出版された角川文庫版には、本随筆シリーズ (1) の冒頭にも記したように、澤野の協力が記され感謝されているのである。対立をいまさら誇張してまで記しておく必要がどこにあろうか。

 また [2] には、[1] と同様に、澤野の弁が次のように記されている。

この小説を書くにあたって、湯川氏を知ったということが一つの契機にはなってますが、あくまできっかけであって、書くまでの10年間のうちに、ぼくの中で発酵しているわけですから、これは今日でも創作だと確信していますね。

つまり、作者自身は『山頂の椅子』がモデル小説であることを否定しているのである。私も主人公の環境の設定は湯川のそれに酷似しているものの、小説の流れは創作であると見た。したがって,私のこの随筆シリーズの題名「湯川をモデルにした小説」は、「湯川をモデルにしたといわれた小説」としたかったのだが、長くなるので、「といわれた」を省略した形にしたことを、読者諸氏は了解されたい。

 さらに、 [2] 自体の不正確さを指摘しておくならば、「主人公の天堂がお茶屋の女性と親しくなる話が出て来るが、これはまったく澤野の創作で」とあるところの、「お茶屋」は「鳥料理屋」が正しい。続いて「彼が妻に向かって『化けものめ』という気持ちを抱くところも、同様にフィクションだそうである」とあるところの「化けものめ」は、作中の表現では「このお化け!」である。些細な相違ではあっても、このようにいい加減な記述が続けば、他の記述の正確さも疑われるというものである。もっといえば、フィクションは、この2点にとどまらないにもかかわらず、2点だけがフィクションであるかのように記しているのも不正確といえよう。

 なお、『ウィキペディア』の「澤野久雄」のページ [3] 中、私が書き換えた部分は、「湯川秀樹夫妻との関係」(もとの題は「湯川秀樹夫妻との確執」)の項である。誰かがまた書き換える可能性もあるので、ご覧の節は、ページ最下部の日付け・時間が 2009年9月6日 (日) 12:54 から変っていないかに注意されたい。(完)

 後日の注記:上に記した項の題名と日付け・時間は、私自身が再度修正したときのものと書き換えた。そのため、日付けが本記事の投稿日より後という、一見矛盾した形になっている。さらにその後、日付けは更新されているが、「湯川秀樹夫妻との関係」の項は書き換えられていない。(2011年2月21日)

文献

  1. 「小説『山頂の椅子』と湯川博士の憂鬱」,『サンデー毎日』1967年4月16日号, pp. 22–25.
  2. 本田靖春,『現代家系論』pp. 105–106 (文藝春秋社, 1973).
  3. 「澤野久雄」, ウィキペディア日本語版 2009年9月6日 (日) 12:54].

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