わが家のイロハモミジ。2018 年 12 月 2 日撮影。
Japanese maple in our yard; taken on December 2, 2018.
ソーニャ・カトーが加藤周一を記す
『図書』誌 2018 年 12 月号に「夕陽妄語 Närrische Gedanken am Abend」と題する文がある。文頭に
その次を読んで驚いた。
初めに注意して見なかった著者の名を改めて見ると、「ソーニャ・カトー」となっている。彼女は最初の章「ウィーンでの始まり」において、ウィーンで生まれた自分が生後数週間の時、周一とその妻・ヒルダに養子として引き取られたことを記している。彼女はヒルダとともにウィーンに住んで成長し、日本語ができないという。
「おや?」と思って、ふたたび著者名のところを見ると、横に「翻訳・高次 裕」とある。訳者はドイツ文学・思想の研究者であることが文末の括弧書きから分かる。原文はドイツ語だったのである。その題名も "Närrische Gedanken am Abend" というドイツ語だったのを、訳者はあえてそのまま残したと思われる。このドイツ語を逐語的に直訳すると、「夕べの奇矯な意見」となる。まさに「夕陽妄語」であり、ソーニャは周一から彼のエッセイの題名をドイツ語で聞いていたのだろう。
私が特に紹介したいのはソーニャの文の第 3 章「ホモ・ポリティクス——政治の人カトー」に記されている加藤周一の「九条の会」への関わりである。少し長い引用をしておきたい。
私は「九条の会」を地域や職場で支える 7500 を超える会の一つ「福泉・鳳地域『憲法9条の会』」の活動に参加してきた。これにも加藤周一の影響があった。私自身の高齢化のため、同会代表の役をさる 3 月末に辞任したが、代わって代表になってもらえるより若い人がまだ見つからなくて、「代表代行」を務めている。まさに私も、加藤周一と同様の精神で平和活動を続ける、地域の若い人の登場を待ちわびているところである。
上の引用文にあるソーニャの危惧は、彼女が 3 年前に立命館大学と共同でウィーンに創設したという「ソーニャ&加藤周一・若手研究者育成プログラム」の活動から生まれたものと思われるが、日本の情勢の把握がまことに的確で、久しぶりに加藤周一の「夕陽妄語」を読む思いがした。
ソーニャの本文中には特に説明がないが、「孫のマティアス=シュウイチをあやす父」という説明書きのある小さな写真が掲載されている(まだ生まれて間もない孫は母・ソーニャに抱かれている)。そこに写っている周一は、ソーニャが文末で述べている通り、「知識に溢れ、[...]愛に溢れ、好奇心に溢れ、そして平和への献身に溢れた人」の優しく理知的な顔をしている。なお、ソーニャは 2016 年 5 月 7 日、立命館大学における「加藤周一文庫」創設を記念した講演会に来日し、父親の思い出を語っている(毎日新聞の記事)。
『図書』誌 2018 年 12 月号に「夕陽妄語 Närrische Gedanken am Abend」と題する文がある。文頭に
加藤周一。世界中の多くの人々にとって彼は先生であり模範であった。私にとってもそうであったが、とある。これは全く同感である。「夕陽妄語」とは加藤が朝日新聞夕刊に月 1 回連載していた評論的エッセイの題名で、私はそこから学ぶことが多く、新聞で読んだあと、単行本で出版されたのを必ず買ってまた読んだ。読み終えて不要になった本を少しずつ処分している昨今であるが、『夕陽妄語』全 8 巻はいまも書棚にある(その後、朝日選書、ちくま文庫としても出版された)。
その次を読んで驚いた。
しかし何よりもまず自分の父であった。とあるのだ。
初めに注意して見なかった著者の名を改めて見ると、「ソーニャ・カトー」となっている。彼女は最初の章「ウィーンでの始まり」において、ウィーンで生まれた自分が生後数週間の時、周一とその妻・ヒルダに養子として引き取られたことを記している。彼女はヒルダとともにウィーンに住んで成長し、日本語ができないという。
「おや?」と思って、ふたたび著者名のところを見ると、横に「翻訳・高次 裕」とある。訳者はドイツ文学・思想の研究者であることが文末の括弧書きから分かる。原文はドイツ語だったのである。その題名も "Närrische Gedanken am Abend" というドイツ語だったのを、訳者はあえてそのまま残したと思われる。このドイツ語を逐語的に直訳すると、「夕べの奇矯な意見」となる。まさに「夕陽妄語」であり、ソーニャは周一から彼のエッセイの題名をドイツ語で聞いていたのだろう。
私が特に紹介したいのはソーニャの文の第 3 章「ホモ・ポリティクス——政治の人カトー」に記されている加藤周一の「九条の会」への関わりである。少し長い引用をしておきたい。
[...]「九条の会」は、憲法第九条を含む憲法を守りたい、そして世界平和の模範でありたいという意識を持った日本人たちへのアピールであった。[...]
平和を訴える者として、父は文章を書いたり、催しに参加したり、政治集会で講演したりした。この問題ほど父が政治的な活動に関わったことは、彼の人生において他に無かったと思う。特定の政党や特定の政治家のためということではなく、ひとえに平和を守ることこそが、父の目から見て本当に価値のあることだったのだ。
今、行く先の不明瞭な政治的状況がある。[...]
平和活動は、流行りでないように見える。[...]父の没後 10 年、そして 2019 年の生誕 100 年の前年にして、この困った状況である。父と同様の精神でもって平和活動を続ける人がいるだろうか。私はそうした人物の登場を待ち侘びている。
私は「九条の会」を地域や職場で支える 7500 を超える会の一つ「福泉・鳳地域『憲法9条の会』」の活動に参加してきた。これにも加藤周一の影響があった。私自身の高齢化のため、同会代表の役をさる 3 月末に辞任したが、代わって代表になってもらえるより若い人がまだ見つからなくて、「代表代行」を務めている。まさに私も、加藤周一と同様の精神で平和活動を続ける、地域の若い人の登場を待ちわびているところである。
上の引用文にあるソーニャの危惧は、彼女が 3 年前に立命館大学と共同でウィーンに創設したという「ソーニャ&加藤周一・若手研究者育成プログラム」の活動から生まれたものと思われるが、日本の情勢の把握がまことに的確で、久しぶりに加藤周一の「夕陽妄語」を読む思いがした。
ソーニャの本文中には特に説明がないが、「孫のマティアス=シュウイチをあやす父」という説明書きのある小さな写真が掲載されている(まだ生まれて間もない孫は母・ソーニャに抱かれている)。そこに写っている周一は、ソーニャが文末で述べている通り、「知識に溢れ、[...]愛に溢れ、好奇心に溢れ、そして平和への献身に溢れた人」の優しく理知的な顔をしている。なお、ソーニャは 2016 年 5 月 7 日、立命館大学における「加藤周一文庫」創設を記念した講演会に来日し、父親の思い出を語っている(毎日新聞の記事)。
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