2009年6月27日土曜日

花遍路バス旅行 (2) (Bus trip for flower viewing 2)

 都麻乃郷あじさい園を見学したあと、一行は西脇ロイヤルホテルで和昼食をとった。続いて、バスは再び中国道を走り、福崎の応聖寺(おうしょうじ)へ行く。ここも先に訪れた西林寺と同じく、白雉年間に法道によって開かれたと伝えられている。江戸初期に造られたという名勝「応聖寺庭園」のあることと、沙羅(ナツツバキ)の花の咲く寺としても知られている。

応聖寺のナツツバキ(夏椿)。ナツツバキは学名 Stewartia pseudocamellia、英名 summer camellia、ツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。別名はシャラノキ(娑羅樹)。仏教の聖樹、娑羅双樹(さらそうじゅ)に擬せられて、この名がついたといわれる [1]。

 『平家物語』巻一に「 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす、奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし 」とある。これは沙羅の純白の「落花」が褐色に変色していく様子をもって、栄える者もいつかは必ず衰えるのだという道理に例えているのである。沙羅双樹はインド原産の常緑樹で、熱帯樹であるため、日本では育たない。したがって、平家物語に登場する沙羅双樹は、ツバキ科の落葉樹「ナツツバキ」のことだという(以上の話は、本堂で聞いた住職の説教の中にあったが、[2] にも記載されている)。

ナツツバキの落花。朝から夕方までの一日を咲くと花の形そのままの姿で落ちてしまう。

 私たちの訪れた日は、ちょうどナツツバキが最も盛んに咲いている時期であった。名勝「応聖寺庭園」に面する部屋で、先代住職の発案による銘菓「沙羅」と茶をご馳走になった。(つづく)

応聖寺の前庭「涅槃の庭」にある「寝釈迦」。仏頭と仏足は石で刻み、胴体はサツキの衣になっている。

文献

  1. ナツツバキ, ウィキペディア日本語版 [2008年4月27日 (日) 09:54].
  2. 応聖寺の沙羅 ( ナツツバキ ) の花.

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