大阪での最高気温が 19.5 度と高くなったきょう、大阪や和歌山でサクラの開花が発表された。堺市西区の日部神社境内にある私の個人的標本木でも、上掲の写真の通り、開花が見られた。しかし、付近の公園では、まだ、1、2 日後の開花になりそうな気配だった。
Random writings of a retired physicist
Continuation of "Ted's Coffeehouse" (now being restored in archives of this site)
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2017年3月30日木曜日
わが標本木のサクラも開花 (My Cherry Specimen Tree Also Has Bloomed)
2017年3月28日火曜日
2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from December 9, 2016 to February 23, 2017 -2-)
上:石光寺の寒ボケ、下:石光寺の寒咲アヤメ。2017 年 3 月 13 日、日帰りバス旅行で撮影。
Upper, Japanese quince blossoms in Sekko-ji garden; lower, Winter irises in Sekko-ji garden;
taken during one-day trip by bus on March, 2017.
2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 2
3. J. M. W. ターナーの作品 140 余点など:Artsy サイト
"Artsy" の職員は、J. M. W. ターナーの作品について有力な検索エンジンでサーベイしたことと思いますが、連絡が来るきっかけとなった貴ブログ記事には、内容をよく表した美しい写真と簡潔明解な英文もあるので、その職員の容易に知ることとなったと思います。また同職員は、貴ブログがターナーのページへのリンクを設けて、アクセスを広げられたことを感謝することでしょう。紹介されているターナーのページは、なかなか見ごえがありました。"Artsy" の「美術収集と教育」への筆者の協力を評価します。
4. 漱石「夢十夜」の読み、続・漱石「夢十夜」の読み、続々・漱石「夢十夜」の読み
筆者は 3 回にわたり、漱石の「夢十夜」につて独自の見解を述べています。初回の冒頭で、
次に、「私が二人の読みと異なる読みをするところは、女の目についての描写である」として、近藤が「一面に黒目と書いてあって」といっているのに対し、筆者は、
続編では、次のような指摘がなされています。
最終的には続々編において、筆者が 20 数年前に読んだ吉田敦彦著『漱石の夢の女』に書かれている、「そこに、写ってるじゃありませんか」についての段落を引用し、
"Artsy" の職員は、J. M. W. ターナーの作品について有力な検索エンジンでサーベイしたことと思いますが、連絡が来るきっかけとなった貴ブログ記事には、内容をよく表した美しい写真と簡潔明解な英文もあるので、その職員の容易に知ることとなったと思います。また同職員は、貴ブログがターナーのページへのリンクを設けて、アクセスを広げられたことを感謝することでしょう。紹介されているターナーのページは、なかなか見ごえがありました。"Artsy" の「美術収集と教育」への筆者の協力を評価します。
4. 漱石「夢十夜」の読み、続・漱石「夢十夜」の読み、続々・漱石「夢十夜」の読み
筆者は 3 回にわたり、漱石の「夢十夜」につて独自の見解を述べています。初回の冒頭で、
岩波書店の広告誌『図書』2 月号に、夏目房之介と近藤ようこの対談が載っている。近藤が漱石の「夢十夜」をもとにした漫画『夢十夜』を岩波書店から出版した機会に、「多様な読みの可能性へ」と題して語り合っているのだ。この対談を読むと、《 確かに「夢十夜」は多様な読みを可能にする作品だ。私の読みは彼ら二人の読みとは異なるぞ 》と思われて来た。[…中略…]また、対談記事の二人と読みが大きく異なるのは、第一夜の話だけのようにも思われた。そこで、ここでは第一夜だけを取り上げることにする。と述べる。そして、近藤と房之介の対話の中で、筆者と読みが異なる第 1 点として、「すごく西洋的な話」だということについて、筆者は他の九夜との調和からいっても、最初の場面には畳の部屋がふさわしく、第一夜全体として和風の話だと思う、と読みます。
次に、「私が二人の読みと異なる読みをするところは、女の目についての描写である」として、近藤が「一面に黒目と書いてあって」といっているのに対し、筆者は、
しかし原作では、「一面に黒目」や「白目がない」という通りの言葉はなく、「大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった」とある。私は、房之介が匂わせている通り、「ただ一面に真黒」は美人を表す「黒目がち」の誇張的な表現と取りたい。と述べています。また、
房之介は続いて、「一番変なのは、[男が『私の顔が見えるかい』と聞いたのに対し]女が『[見えるかいって、そら、]そこに、写ってるじゃありませんか』と言うところです」と述べている。ことを取り上げています。筆者はこれに関して、
女のいう「そこに、写ってるじゃありませんか」を筋の通った言葉と取るのは、やはり無理なようだ。謎や矛盾の多いのが夢というものであろう。と自説を述べ、続編の議論へつなぎます。
続編では、次のような指摘がなされています。
「夢十夜」の言葉を検索してみると、『ぶっくらぼ』というサイトの「夏目漱石『夢十夜』問題と解説と読書感想文」と題する記事に「『第一夜』問題と解説」という章があり、いくつかの問題と、それに対する答えが書いてあった。これに関連して、1948 年度から 54 年度まで、大学進学希望者に対して、全国一斉の進学適性検査というものが行われたという歴史的なことが述べられているのは興味深いことです。補足しますと、私立大学は入試に進学適性検査の結果は利用されませんでした。国立大学では、足切りに利用され、かつ入学試験の点数にも加えられました。例えば学科試験 1000 点に対して進学適性検査が 100 点くらいの割合で。
その 2 番目に、
Q.<ほら、そこに、写ってるじゃありませんか>の「そこ」とは、どこをさすか?
A.自分の瞳。
というのがある。この記事では、「女」と、彼女に相対している男を意味する「自分」を使い分けているので、この「自分」は、<ほら、そこに …>といった女自身という意味でなく、文中に「自分」とある男のことを指していることになる。男が女に尋ねたのは彼の顔が見えるかということである。この答えでは、その問いに対して、男の顔が男自身の瞳に映っているじゃないですか、と答えたことになり、私としては合点がいかない。女の言葉自体が、私の先の記事でも述べたように、謎めいているにもかかわらず、それについて一つの答えを求める問題を作るのもどうかと思われる。
そもそも、しばしば多義的な解釈を可能にする文学作品を取り上げて、一義的な答えを求める質問を作ること自体に問題があるだろう。
最終的には続々編において、筆者が 20 数年前に読んだ吉田敦彦著『漱石の夢の女』に書かれている、「そこに、写ってるじゃありませんか」についての段落を引用し、
内なる女と外なる女を考えることによって、「そこ」という代名詞が生きてくるのである。と結んでいます。私も吉田氏の解釈を、なるほどと思いました。(完)
2017年3月26日日曜日
2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from December 9, 2016 to February 23, 2017 -1-)
上:観心寺の梅、下:賀名生梅林。2017 年 3 月 13 日、日帰りバス旅行で撮影。
Upper, plum blossoms of Kanshin-ji; lower, Anō plum forest; taken on March, 2017,
during one-day trip by bus.
2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 1
M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2017 年 3 月 10 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)
1. K 君へ 0、同 1、同 2
「K君へ 2」のブログ記事への注には、「K 君は中学時代からの親友である。彼は神戸の高校に就職して間もなく同僚の先生と大恋愛に陥り結ばれた。その奥さんは、彼自身が臆することなくいうように「頭のよい人」だったが、3 年前頃から、認知症になっている」と、K 君の奥様のことが書かれています。また、「K君へ 0」のブログ記事への注には、「K 君は近年聴力が衰えてきていたが、今年の 2 月に頭部の帯状疱疹を患ってから、一層聞こえにくくなり、補聴器をつけていても、右耳はほとんど聞こえないという。そこで、手紙や葉書で連絡することが多くなった」と、K君のことが書かれています。これらの 3 通の書簡には、障害を生じている K 君ご夫妻を思いやる筆者の優しさが随所に覗われます。「K君へ 0」の冒頭にある「往復書簡形式の小説を読ませていただいてる気分」という M・M さんの感想の通り、筆者の文章力とあいまって、興味深い書簡となっています。
「K君へ 2」には、下記のように最近の筆者の日常について、高齢を感じさせない悠々自適の生活が伺われる記述があり、興味深く拝読しました。
2. 2017 年始めのごあいさつ
1. K 君へ 0、同 1、同 2
「K君へ 2」のブログ記事への注には、「K 君は中学時代からの親友である。彼は神戸の高校に就職して間もなく同僚の先生と大恋愛に陥り結ばれた。その奥さんは、彼自身が臆することなくいうように「頭のよい人」だったが、3 年前頃から、認知症になっている」と、K 君の奥様のことが書かれています。また、「K君へ 0」のブログ記事への注には、「K 君は近年聴力が衰えてきていたが、今年の 2 月に頭部の帯状疱疹を患ってから、一層聞こえにくくなり、補聴器をつけていても、右耳はほとんど聞こえないという。そこで、手紙や葉書で連絡することが多くなった」と、K君のことが書かれています。これらの 3 通の書簡には、障害を生じている K 君ご夫妻を思いやる筆者の優しさが随所に覗われます。「K君へ 0」の冒頭にある「往復書簡形式の小説を読ませていただいてる気分」という M・M さんの感想の通り、筆者の文章力とあいまって、興味深い書簡となっています。
「K君へ 2」には、下記のように最近の筆者の日常について、高齢を感じさせない悠々自適の生活が伺われる記述があり、興味深く拝読しました。
先日お目にかかった折に、私の日課をお訪ねでしたが、話せば長くなるので、お答えしませんでした。「机に向かってばかりか」とのご想像は、概ね当たっています。机といっても、パソコン机に向かっている時間が多いです。[…中略…]、内容は多岐にわたり、これも書けば長くなるので、またの機会にでもします。
他には、読書[…中略…]、ウォーキング、庭仕事、体操、そして、特にお知らせしたいのは、夕食前の約30分間ないし1時間、歌を歌っていることです。
最近私が歌好きになり、昔小・中学校で習ったような歌を歌っていることは、先年 M 君たちと会った折でしたか、貴君にちょっと話しましたね。声楽家・ソプラノ歌手・鮫島有美子の歌声が気に入り、彼女のCD『日本のうたベスト』、『ゴンドラの唄〜日本叙情歌集』、『ゆりかごの歌〜童謡・唱歌集』など(他にも何枚か持っています)に合わせて、1日に10曲あるいはそれ以上歌っています。
奥様は古いことをよくご記憶だそうですから、貴君も童謡などを奥様と一緒に歌われたらよいのではないかと思い、このことをお伝えする次第です(私は妻と一緒にではなく、書斎で一人で歌っていますが)。
2. 2017 年始めのごあいさつ
新年おめでとうございます北朝鮮が「在日米軍攻撃用の訓練」をし、3 月 6 日に弾道ミサイル 4 発を日本海に向けて発射したことが報道されました。「在日米軍攻撃用の訓練」をしていたという事実は、米軍が察知していたとしても、一般には公表できないことかも知れません。このような事態はまさに「戦争が廊下の奥に立つてゐた」に類することです。突然のことで驚きました。[引用者の注:私は北朝鮮の訓練よりも、安倍政権が戦争をする国作りへと突っ走っていることこそが要注意だと思います。](つづく)
鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ
——渡邊白泉
俳人・白泉(1913~1969)の代表作は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。このような状況を再び招かないよう、いま、私たちは政治をしっかり見据えなければなりません。
皆様のご健康とご幸福をお祈りします
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