わが家のカンナ。2018 年 6 月 21 日撮影。
Canna flowers in my yard, taken on June 21, 2018.
「『鏡映反転』に一言」
先日、表記の題名で『大阪民主新報』紙に投稿文を送ったが、掲載されなかった。同紙の投書欄は、主に政治に対する批判を掲載する場所なので、ボツになるのは無理もないとは思うが、まことに残念である。そこで、投稿文を以下に掲載することにした。「一言」の対象は、書籍『鏡映反転』そのものではなく、上記紙上でそれを紹介した記事だが、紹介書の題名が記事の題名を兼ねる形になっていたので、投稿文の題名がこのようになった。
『鏡映反転』に一言
6 月 3 日付本紙「今週の一冊」欄に、高野陽太郎著『鏡映反転』が絶賛されていましたが、これには異議があります。私はその本の中で批判されている「左右軸劣後説」の提唱者の 1 人です。高野氏の最初の論文に対する反論として提唱されたこの説に、国際的な専門誌上では軍配が上がり、これに対する高野氏の再反論は却下されたという経過があります。
「左右軸劣後説」は鏡像の左右逆転を単一の原理で説明する明快なものですが、高野氏の批判は誤解に基づいます。氏がその後、別の専門誌に発表した実験も、被験者が何を基準として左右を判断しているかが曖昧で、受け入れられない面があります。
鏡像の左右逆転に興味を持たれた方は、左右軸劣後説の立場から書かれた、吉村浩一著『鏡の中の左利き』(2004年、ナカニシヤ出版、税抜き2200円)を併読されることをお勧めします。
注:投稿文では字数制限のため簡略化あるいは省略した若干の点を、ここでは分かりやすくするために修正した。
先日、表記の題名で『大阪民主新報』紙に投稿文を送ったが、掲載されなかった。同紙の投書欄は、主に政治に対する批判を掲載する場所なので、ボツになるのは無理もないとは思うが、まことに残念である。そこで、投稿文を以下に掲載することにした。「一言」の対象は、書籍『鏡映反転』そのものではなく、上記紙上でそれを紹介した記事だが、紹介書の題名が記事の題名を兼ねる形になっていたので、投稿文の題名がこのようになった。
6 月 3 日付本紙「今週の一冊」欄に、高野陽太郎著『鏡映反転』が絶賛されていましたが、これには異議があります。私はその本の中で批判されている「左右軸劣後説」の提唱者の 1 人です。高野氏の最初の論文に対する反論として提唱されたこの説に、国際的な専門誌上では軍配が上がり、これに対する高野氏の再反論は却下されたという経過があります。
「左右軸劣後説」は鏡像の左右逆転を単一の原理で説明する明快なものですが、高野氏の批判は誤解に基づいます。氏がその後、別の専門誌に発表した実験も、被験者が何を基準として左右を判断しているかが曖昧で、受け入れられない面があります。
鏡像の左右逆転に興味を持たれた方は、左右軸劣後説の立場から書かれた、吉村浩一著『鏡の中の左利き』(2004年、ナカニシヤ出版、税抜き2200円)を併読されることをお勧めします。
注:投稿文では字数制限のため簡略化あるいは省略した若干の点を、ここでは分かりやすくするために修正した。
初めまして、多幡先生ご本人かどうかは確認手段が無いため分かりませんが、高野先生の『鏡映反転』の記述にかなりの疑義を感じ、私も記事を書いていましたので、コメントさせて頂きます。
返信削除左右軸劣後説の扱いについては、以下になります。
http://gomahuinu.seesaa.net/article/461932384.html?1538960097
多幡先生への批判も含まれていますが、ご覧いただければ幸いです。
私自身は現状、個人的なこともあり、この話題からは正直早くやめたい気もしているもので、ご意見を下さっても返信できないかもしれないことをあらかじめご了承ください。
それでも書いているのは、流石に『鏡映反転』の記述が科学的みたいに扱われるのはかなりまずいと思ったからになります。
ブロッガーからゴマフ犬さんのご投稿があったとのメール連絡がなぜか入らず、ご投稿の公開が遅くなりました。私は左右劣後説提唱者の一人の多幡本人です。私の論文『高野氏への回答:座標系選択基準の付加は容易』についてのご批判は、ありがたく、いずれまたゆっくり再読し、今後の参考にしたいと思います(鏡像問題に長く関わるつもりはあまりありませんが)。高野氏の『鏡映反転』ご批判は、全く同感です。
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