参加したイベントのチラシ。
Flyers for the events I participated in.
この 3 月には、12 日に堺市西区で開催された「歌声喫茶 in ウェスティ」と 25 日に岸和田福祉センターで開かれた「みんなで歌う音楽会」の二つに参加した。
ウェスティでの催しの参加者は 40 名前後で、昨秋の同じ会場でのときよりいささか少なかったようだ。私と同じテーブルに向かい合って座った女性は、旧満州からの引き揚げ者だった。「夜来香」をリクェストして、コメントに「山口淑子は私の母の幼稚園の先輩でした」と書いた人がいて、それが、その女性だったのである。「夜来香」を一同で歌った後で、彼女は私に向かって、「撫順の幼稚園でした」といってくれた。私は彼女に、自分が大連にいたことを告げた。
休憩時間に彼女に引き揚げのことを尋ねると、長春から葫蘆島を経て昭和 22 年に引き揚げたことなどを話してくれた。父君が抑留され、小学校 2 年生だった姉君に負われての引き揚げだったそうだから、私より数歳若い人である。ちょうど前日に届いた岸和田での歌の会の案内ハガキを私は持参していたので、それを見せて、その会の話をした。すると彼女は、そのハガキを貰ってもいいですかと聞くので、表に私の住所氏名が書いてある点でちょっと戸惑ったが、よろしければどうぞ、といって上げて来た。
岸和田での歌う会の日は、少し前からの風邪気味が続いていたが、ウェスティで案内ハガキを上げた人が行っていて私が行っていないのは具合が悪いかとも思い、頑張って行くことにした。その人は来ていなかったが、わずかに新しい人が増えたらしく、いつも夫婦で来ている一組が休んでいたにも関わらず 12 名の参加者があり、これまでの岸和田としては最も多かったようだ。
このとき私は、「朧月夜」「港が見える丘」、「花かげ」、「おおブレネリ」、「オリビアを聴きながら」をリクェストし、全部採用された。ウェスティで私がリクェストした「春の唄」と「仰げば尊し」が、時節柄ここでも他の人からリクェストされていた。終わって帰るとき、隣のテーブルにいた女性が、「いいお声ですね。いつも楽しみにしています」などといってくれた。私は、「小・中学校では音楽の成績はよくなかったのですよ」と答えておいた。歌っていると風邪はどこかへ行ってしまった感じだった。
ウェスティでの催しの参加者は 40 名前後で、昨秋の同じ会場でのときよりいささか少なかったようだ。私と同じテーブルに向かい合って座った女性は、旧満州からの引き揚げ者だった。「夜来香」をリクェストして、コメントに「山口淑子は私の母の幼稚園の先輩でした」と書いた人がいて、それが、その女性だったのである。「夜来香」を一同で歌った後で、彼女は私に向かって、「撫順の幼稚園でした」といってくれた。私は彼女に、自分が大連にいたことを告げた。
休憩時間に彼女に引き揚げのことを尋ねると、長春から葫蘆島を経て昭和 22 年に引き揚げたことなどを話してくれた。父君が抑留され、小学校 2 年生だった姉君に負われての引き揚げだったそうだから、私より数歳若い人である。ちょうど前日に届いた岸和田での歌の会の案内ハガキを私は持参していたので、それを見せて、その会の話をした。すると彼女は、そのハガキを貰ってもいいですかと聞くので、表に私の住所氏名が書いてある点でちょっと戸惑ったが、よろしければどうぞ、といって上げて来た。
岸和田での歌う会の日は、少し前からの風邪気味が続いていたが、ウェスティで案内ハガキを上げた人が行っていて私が行っていないのは具合が悪いかとも思い、頑張って行くことにした。その人は来ていなかったが、わずかに新しい人が増えたらしく、いつも夫婦で来ている一組が休んでいたにも関わらず 12 名の参加者があり、これまでの岸和田としては最も多かったようだ。
このとき私は、「朧月夜」「港が見える丘」、「花かげ」、「おおブレネリ」、「オリビアを聴きながら」をリクェストし、全部採用された。ウェスティで私がリクェストした「春の唄」と「仰げば尊し」が、時節柄ここでも他の人からリクェストされていた。終わって帰るとき、隣のテーブルにいた女性が、「いいお声ですね。いつも楽しみにしています」などといってくれた。私は、「小・中学校では音楽の成績はよくなかったのですよ」と答えておいた。歌っていると風邪はどこかへ行ってしまった感じだった。