以下は、ブログ記事「花」[1] へのコメントをもとにした文である。この記事には、鮫島有美子による歌唱とタンポポ児童合唱団による歌唱の YouTube 動画が埋め込んであった。もとのコメントには前の記事へのコメントの間違いの修正を記してあったが、本ブログ内ではその修正は先の記事で済ませたので、その部分を省略するなどの修正をした。
先の記事「卒業式シーズン」のコメントとして「『仰げば尊し』の思い出」を書いたが、その思い出の場面である、2011 年 8 月の旧金沢市立石引町小学校 6 年 2 組の同窓会で「仰げば尊し」に続いて歌ったのが、奇しくも今回の記事で取り上げられた「花」だった。ドイツ語でクラシックの歌を歌う合唱団に入っている元同級生のリードで、まず私の提案した「仰げば尊し」を歌ったあと、彼女自身の発案で「花」を歌ったのだ。ところが、彼女は 2 番の歌詞を途中で間違えて、そこで合唱は終わりとなった。私がその同窓会のことを書いたブログ記事 [2] には、「『花』は私の愛唱歌の一つであり、私が彼女からマイクを貰って続きをリードすればよかったのだが、...」と記している。
ところで、同じ 6 年 2 組の同窓会の別の機会にも「花」を歌ったのだが、そのことはブログに書いてなく、2010 年以前のことだっただろうという不確かなことしかいえない。以下の記述にも事実とは相違があるかもしれない。2011 年の時と同じく、会場は石川県のどこかの温泉旅館だった。早めに到着した私は他の男性元同級生 2 人ばかりと温泉に入り、ここならば声がよく響きそうだと思い、「花」を、1 曲全部ではなかったかもしれないが、浴槽中で独唱した。そのあとの宴会の途中で、女性の参加者たちが、申し合わせたように「花」を歌い始めた。途中から、男性では私だけがそれに合わせて歌った。私だけではなかったにしても、熱心に歌った男性は私だけだったといってよいだろう。
女性たちは先に男湯で歌っていたのが誰かを確かめようと図り、私はまんまとそれに乗せられたのだったかもしれない、といまになって思う。その時は、女湯まで聞こえるほど大きな声で歌った気はしていなかったので、彼女たちが「花」を歌ったのは偶然だと思っていた。しかし、偶然にしては出来すぎていないだろうか。
私は小学生時代の 2 度の転校で言葉の相違を含むカルチャーショックを受け続け、そのため、6 年生の時は極めてシャイな児童になっていた。休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた中で、私は歌など歌ったことは全くなく、雑談の輪の中にいても、もっぱら聞いているばかりだった。雑談時に自らはあまり話さないという性癖はいまも大して変わらないが、歳を取って歌うようになった私を見た元女児たちは興味深く思ったことだろう。
なお、このコメントを投稿した元記事中には、鮫島有美子の「花」の動画を「お手本」として紹介してある。最近の私は多くの曲で鮫島有美子の歌唱を手本にしており、この曲も例外ではない。そして、偶然にも元記事と同じく 3 月 26 日付けで掲載された「ねこじゃらしうたチャンネル」(私はチャンネル登録して毎晩聴いている)の曲も「花」だった。ここにそれを引いておく。
「休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた」という思い出に関連して、それらの流行歌について追加したいが、長くなるので、次回に回すことにする。
先の記事「卒業式シーズン」のコメントとして「『仰げば尊し』の思い出」を書いたが、その思い出の場面である、2011 年 8 月の旧金沢市立石引町小学校 6 年 2 組の同窓会で「仰げば尊し」に続いて歌ったのが、奇しくも今回の記事で取り上げられた「花」だった。ドイツ語でクラシックの歌を歌う合唱団に入っている元同級生のリードで、まず私の提案した「仰げば尊し」を歌ったあと、彼女自身の発案で「花」を歌ったのだ。ところが、彼女は 2 番の歌詞を途中で間違えて、そこで合唱は終わりとなった。私がその同窓会のことを書いたブログ記事 [2] には、「『花』は私の愛唱歌の一つであり、私が彼女からマイクを貰って続きをリードすればよかったのだが、...」と記している。
ところで、同じ 6 年 2 組の同窓会の別の機会にも「花」を歌ったのだが、そのことはブログに書いてなく、2010 年以前のことだっただろうという不確かなことしかいえない。以下の記述にも事実とは相違があるかもしれない。2011 年の時と同じく、会場は石川県のどこかの温泉旅館だった。早めに到着した私は他の男性元同級生 2 人ばかりと温泉に入り、ここならば声がよく響きそうだと思い、「花」を、1 曲全部ではなかったかもしれないが、浴槽中で独唱した。そのあとの宴会の途中で、女性の参加者たちが、申し合わせたように「花」を歌い始めた。途中から、男性では私だけがそれに合わせて歌った。私だけではなかったにしても、熱心に歌った男性は私だけだったといってよいだろう。
女性たちは先に男湯で歌っていたのが誰かを確かめようと図り、私はまんまとそれに乗せられたのだったかもしれない、といまになって思う。その時は、女湯まで聞こえるほど大きな声で歌った気はしていなかったので、彼女たちが「花」を歌ったのは偶然だと思っていた。しかし、偶然にしては出来すぎていないだろうか。
私は小学生時代の 2 度の転校で言葉の相違を含むカルチャーショックを受け続け、そのため、6 年生の時は極めてシャイな児童になっていた。休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた中で、私は歌など歌ったことは全くなく、雑談の輪の中にいても、もっぱら聞いているばかりだった。雑談時に自らはあまり話さないという性癖はいまも大して変わらないが、歳を取って歌うようになった私を見た元女児たちは興味深く思ったことだろう。
なお、このコメントを投稿した元記事中には、鮫島有美子の「花」の動画を「お手本」として紹介してある。最近の私は多くの曲で鮫島有美子の歌唱を手本にしており、この曲も例外ではない。そして、偶然にも元記事と同じく 3 月 26 日付けで掲載された「ねこじゃらしうたチャンネル」(私はチャンネル登録して毎晩聴いている)の曲も「花」だった。ここにそれを引いておく。
「休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた」という思い出に関連して、それらの流行歌について追加したいが、長くなるので、次回に回すことにする。
- 「花」、ブログ makuragakayogakudan 記事(2020 年 3 月 26 日)。
- 「小学校同級会」、ブログ Ted's Coffeehouse 2 記事(2011 年 8 月 29 日)。
0 件のコメント:
コメントを投稿