2020年4月3日金曜日

歌記事へのコメントから -5-:終戦直後の流行歌 (From My Comments on Song Articles -5-: Popular Songs Just after the End of the WWII)

[The main text of this post is in Japanese only.]


チューリップとスミレ。ウォーキング途中で、2020 年 3 月 26 日撮影。
Tulips and violets; taken on March 26, 2020 during walking exercise.

歌記事へのコメントから -5-:終戦直後の流行歌

 本記事は、ブログ記事「ちょっと休憩 ~ ♪」[1] へのコメントをもとにした文である。ブログ makuragakayogakudan のその記事は、更新を 1 週間ほど休む代わりに、コメント欄へ「皆さんの書き込みは、是非、たくさん~お待ちしております!」と述べたものである。その期待に応えるため、本ブログの先の記事にした「花」の思い出中の「[私が小 6 の時、]休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた」ことに関して書いたものである。



 私が小学校 6 年生だったのは、戦後 2 年目で、休み時間に歌われていた歌といえば、♪ 赤い花なら曼珠沙華/阿蘭陀屋敷に雨が降る ... ♪ と始まる『長崎物語(「じゃがたらお春」の唄)』がある(下掲の YouTube 動画参照)。徳川幕府が 1636 年に出した混血児の海外追放令でジャガタラ(現在のジャカルタ)へ追放になった 14 歳の少女「お春」を歌ったものだそうだ [2]。小柄な N 君が得意げに歌っていたのがいまも目に浮かぶ。作詞=梅木三郎、作曲=佐々木俊一で、由利あけみが歌ったレコードが 1939 年に発売されたという [3]。1930 年代の歌といえば、いかにも古いようだが、1939 年は私たちが 6 年生の時から 8 年前で、戦争中には流行歌などはほとんど作られなかっただろうから、当時はまだ新しい歌だったのだ。戦争中のいろいろな束縛から解放されて、この歌などがラジオからよく流れていたものと思われる。



 もう一つ「ジープでハロー」というような語句のある歌を、青い学生服(当時はまだ戦争中の名残で、国防色といわれた黄土色の学生服を着ている児童が多かった中で、その色は目立った)を着て「色男」のあだ名をつけられていた K 君が歌っていた記憶がある。いつかの同窓会の折にそのことを思い出し、K 君にその歌の題名を尋ねたが、彼はそんな歌を歌っていたことさえも覚えていなかった。いまインターネット検索してみると、それらしい歌(「ジープ」と「ハロー」は出てくるが、「ジープでハロー」とつながった語句はない)に、作詞=吉川静夫、作曲=上原げんと、歌=鈴村一郎、レコード発売 1946 年の「ジープは走る」があった[4]。♪ スマートな可愛いボデイ/胸のすくよなハンドルさぱき ... ♪ と、進駐軍のアメリカ兵が乗り回していた小型トラック「ジープ」、あるいはアメリカ兵自体を讃えた歌である(下掲の YouTube 動画参照)。K 君が歌っていたのはこれだったようだ。彼は「ハロー、ハロー」のところで手を上げる所作をしていたものだ。



  1. 「ちょっと休憩 ~ ♪」、ブログ makuragakayogakudan 記事(2020 年 3 月 29 日)。
  2. 「長崎物語」、ウェブサイト『懐かしのメロディー』所収。
  3. 長崎物語「じゃがたらお春の唄」、国立国会図書館デジタルコレクション。
  4. 「ジープは走る」、国立国会図書館 歴史的音源

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