2020年6月20日土曜日

7 日間ブックカバーチャレンジ (Seven-Day Book Cover Challenge)

[The main text of this post is in Japanese only.]

「7日間ブックカバーチャレンジ」のために使った写真の集合。こちらをクリックすると全 7 枚を 1 枚ずつ順次見ることの出来るページにつながる。
Collection of photos used for "Seven-day book cover challenge." Clicking here, you can see all the seven images one by one.

 先月、Facebook 上の友人から、「7日間ブックカバーチャレンジ」のバトンを渡された。これは、読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を 1 日 1 冊選び、本についての説明はしないで表紙画像を Facebook へ 7 日間投稿を続ける。その際、毎日 1 人の FB 友だちを招待し、このチャレンジへの参加をお願いする」というものである。

 なお、友だちの招待が困難な場合には、「"7日間ブックカバーチャレンジ" バトン手渡しページ」へ投稿をシェアすることによって招待に代えられる、という抜け道が用意されている。しかし、そのページは抜け道というより、チャレンジ参加者たちのよい交流の場になっている様子だったので、私は 2 日間だけ友だちの招待をしたが、7 日間全ての投稿をそこにシェアした。

 私が掲載したブックカバー画像は以下の本のものである。
  1. "Genius: The Life and Science of Richard Feynman" by James Gleick (Pantheon, New York, 1992)
  2. "Einstein: A Hundred Years of Relativity" by Andrew Robinson (Palazzo, Bath, 2010)
  3. 湯川秀樹自選集第五巻:遍歴(朝日新聞社、東京、1971)
  4. "Brief Answers to the Big Questions" by Stephen Hawking (John Murray, London, 2018)
  5. "Seven Brief Lessons on Physics" by Carlo Rovelli, transl. from Italian by Simon Carnell and Erica Serge (Riverhead, New York, 2016)
  6. 『対訳 万葉恋歌 Love Songs from the Man’yōshū』宮田雅之 Miyata Masayuki(切り絵 Paper cutouts)、大岡信 Ōoka Makoto(解説 Commentary)、リービ英雄 Ian Hideo Levy(英訳 English translation)、ドナルド・キーン Donald Keene(エッセイ Essay)(講談社インターナショナル、東京、2000)
  7. 『トム・ソーヤーの冒険』マーク・トゥエーン作、石田英二訳(岩波書店、東京、1946)
 「本についての説明はしない」という決まりは徹底していなくて、ある程度の説明を書いている人が多いようだった。そこで、私も 3 日目以後はごく短い説明を和英両文でつけた。こちらをクリックすると、7 日間の投稿画像を順次見ることの出来るページにつながり、それぞれの画像の右の説明欄にあるリンクから、各投稿(「"7日間ブックカバーチャレンジ" バトン手渡しページ」へシェアした形のもの)を説明文とともにご覧になれる。

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2020年6月6日土曜日

横光利一著『頭ならびに腹』を読む [Read Riichi Yokomitsu's "Atama narabini Hara (Head and Belly)"]

[The main text of this post is in Japanese only.]


青空文庫版『頭ならびに腹』
Aozora Bunko version Atama narabini Hara

 私が高校 1 年の時に習った国語の K 先生は、「"沿線の小駅は石のように黙殺された。" これが新感覚派」と、授業時間中に何度も繰り返し述べた。「沿線の小駅は」までと、それが横光利一の文であることは覚えていたが、その文の出て来るのが短編小説「頭ならびに腹」の冒頭であることや、その冒頭が次の通りであることを知ったのは、定年退職してから 6 年近くも経った 15 年前のことだった[文献 1]。
 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
 最近、この文に再び出会った[文献 2]。文献 2 の著者は、この文とあわせて、新感覚派を含めて当時流行の文芸表現を批判した青野季吉の文を引用している。横光利一の文については、次のように紹介している。
 […]擬人化や暗喩を用いて「高速時代」というモダン語が重視した「速度感」が示されている。この短編が掲載された『文芸時代』(1924 年 10 月号)を評して千葉亀雄は「新感覚派」の誕生(『世紀』1924 年 11 月号)と呼び、新たな文芸表現を担う世代の到来を告げた。
 この機会にと思い、青空文庫版『頭ならびに腹』[文献 3]の XHTML ファイルをダウンロードして読んだ。ダウンロードしたファイルは、ワープロソフトの A4 サイズ文書ファイルへコピーした。16 ポイントの大きな文字で 5 ページ強の短さである。

 物語は、特別急行列車が線路の故障のため駅間で停車し、乗客らがイライラした顛末を描いたものである。「頭」は乗客の一人の「横着さうな子僧」を意味し、「腹」は同じく乗客の中の「肥大な一人の紳士」を意味している。100 年近く前の作品であるが、今でも似たような情景が展開しそうな話である。

 冒頭の「沿線の小駅は石のように黙殺された」に呼応して、列車が停車したところで、「動かぬ列車の横腹には、野の中に名も知れぬ寒駅がぼんやりと横たはつてゐた」という文がある。「駅がぼんやりと」しているのも新感覚であろう。また、「子僧」が空虚になった列車の中で相変わらず歌を歌っていたところの表現に、「眼前の椿事は物ともせず、恰も窓から覗いた空の雲の塊りに噛みつくやうに、口をぱくぱくやりながら」というのもある。しかし、期待したほど「新感覚」という感じの作品ではなかった。時代の変化がもたらした感覚の相違のせいだろうか。

 文献
  1. 横光利一『機械』の評を読む、Ted's Coffeehouse 2(2005 年 1 月 7 日)。
  2. 山室信一、「モダン」への終わりなき旅路、『図書』No. 858、p. 40(2020 年 6 月)。
  3. 横光利一、『頭ならびに腹』、青空文庫版(2001 年 12 月 10 日公開、2006 年 5 月 19 日修正)。

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2020年6月2日火曜日

歌う催しとの出会い 3 (My First Experience of Singing Events -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ふじ丸内での皆で歌う催しの会場風景。
Scenery of the singing event at Fuji Maru.

 先の二つの記事で述べた、にっぽん丸によるクルーズよりも先に経験していたクルーズは、ふじ丸で横浜を出発し、礼文・利尻両島を訪れるもので、私たちが参加したのは 1999 年 6 月のことだった。その時の写真や資料を探しても、なかなか出て来なかったが、まず見つかったのは、妻が書いている「5 年間日記」中の記述である。

 その日記帳は 1 日当たり 5 行のスペースしかなく、記述は至って簡潔である。歌う催しについて書いてあるのは、乗船 2 日目の 6 月 16 日(水)に 11:15 から塩野雅子さんの指導で「みんなでうたいましょう」があったことと、6 日目の 20 日(日)に同じ催しの 2 回目があったということだけである。17 日(木)と 18 日(金)にそれぞれ利尻と礼文に上陸して散策し、20 日 15:45 にはもう横浜港に帰着している。なお、塩野雅子さんは、童謡のアルバムをたくさん出している方のようである。

 次節に記す写真アルバムの中には、クルーズ中の毎日のスケジュールのプリントも挿入して残してあり、それによれば、16、20 日ともに時間は 11 時 15 分から 12 時まで、会場は 3 階ラウンジ「エメラルド」とあり、16 日には日本の名歌を歌ったことになっている。ピアノ伴奏者として、蓮沼万里さんの名がある。インターネットで調べると、ウィーン世界青少年音楽祭アンサンブルコンテストにピアニストとして参加し、2位入賞した方である。

 「5 年間日記」中の記述に次いで見つかったのは、ふじ丸クルーズの写真と、同じ年に参加した JTB の「旅物語:九州一周 4 日間」の写真を、妻が整理して収めたアルバムである。それは、納戸中の段ボール箱の中にあったが、もとは一緒にあった多くのアルバムを時折見やすいように取り出してしまっていたので、忘れられた存在のようになっていた。

 上掲の写真は、そのアルバム中にあった、ふじ丸クルーズでの「みんなでうたいましょう」の会場風景を私が撮ったものである。前回の記事に私の記憶として記したように、にっぽん丸での会場に比べて、より明るい部屋で、椅子は簡便型である。ただし、記憶では、会場は学校の講堂のように飾り気がなく、椅子もベンチのようななものに変わっていた。客船の豪華な雰囲気に慣れていない身としては、かつて見慣れた学童・生徒時代の雰囲気へと、記憶が自然に変化してしまうのかもしれない。

 ふじ丸クルーズでの歌う催しのプリントが残っていないのは残念である。それにしても、私が歌好きになった一番のもとは、2 回のクルーズ中で参加した皆で歌う催しにあったことが明らかになったのはよかった。その後、鮫島有美子が日本の名歌を歌っている CD と出会ったことが、さらに拍車をかけてくれたのだが、その詳細はいずれまた記したい。(完)

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