2008年4月17日木曜日

湯川博士ノーベル賞受賞の一つの意義

 先に法橋登氏から『大学の物理教育』3月号に掲載された随筆「アインシュタインの三通の手紙:ルーズベルト、ニコライ、ラッセル」のコピーをメールで貰い、その中の湯川関連の記述について氏に質問したことを記した [1]。氏とのそのやり取りの間に、氏の別の随筆 [2] のコピーを貰い、その最終パラグラフも湯川評になっていることを告げられた。その箇所は次の通り。

 橋本は和訳書刊行の趣旨をこう書いている。「かつて和漢洋の三順序で示された日本の学問がいまや人文、社会、自然の科学三分野併挙から超科学の実践世界を目指す時代になった。シュレディンガー博士に遅れること一六年、わが国の湯川博士が同じ賞を受けたことの意義は甚大である。」

 ここで、和訳書とはシュレディンガーの自伝『わが世界観』のことで、橋本とはその和訳を監修したインド哲学者、橋本芳契のことである。法橋氏は和訳書として [3] を引用しているが、アマゾンで調べると、初刊の単行本は [4] のようである。

 橋本の文は、分かりやすく言い換えれば、次のようになるであろう。

 「江戸から明治の時代にかけての日本の学問は、和学を第一とし、ついで漢学、洋学の順で重んじるという傾向にあった。しかし、湯川博士がシュレディンガーより16年遅れてではあるが、ノーベル賞を受賞したことは、日本の学問が欧米並みになった証しである。その頃になって、同じように三つの学問といっても、それは人文、社会、自然の各科学を指し、これらを同列に並べて尊重することが確立したのである。さらに、湯川博士の受賞は、これらの三つの学問が境界を超えて相互作用し、実践的な効果を生み出す時代の幕開けに寄与したという大きな意義を持っている。」

 湯川博士自身は、核兵器廃絶の必要性を論じたり、創造論についての著述をするなど、自然科学の枠を超えての活動を盛んに行った。しかしながら、三つの学問が境界を超えて相互作用する「超科学」の実現は、現状ではまだまだ不十分であるように思われる。

  1. 素領域と純粋経験, Ted's Coffeehouse 2 (2008年4月2日).
  2. 法橋登, シュレディンガーの自伝とアインシュタインの接点, 日本物理学会誌 Vol. 60, p. 741 (2005).
  3. エルヴィン・シュレーディンガー=著, 中村量空ほか=訳, わが世界観 (ちくま学芸文庫, 2002).
  4. エルヴィン・シュレーディンガー=著, 中村量空ほか=訳, わが世界観(自伝) (共立出版, 1987).

2008年4月3日木曜日

核兵器廃絶の遺伝子

 先に日経新聞の月曜日夕刊に連載されていた「湯川秀樹の遺伝子」という記事を紹介した [1]。さる3月31日づけの第10回 [2] をもって、その連載は終了した。最終回の記事は、核兵器廃絶を訴える『Over-killed(過剰殺りく)』『実験の名前たち』などの映像作品を発表している神奈川県・箱根ラリック美術館の学芸主任、橋本 公 氏(48)の人物と活動を詳しく紹介している。

 シリーズの題名は、この最終回への伏線だったのである。湯川博士の先輩教授、荒勝博士についての記述が最初に長く続いたので、京大の学問的遺伝子という意味ならば、前後が逆という感じを抱いたが、これで納得できる。

 いま核兵器保有国の間では、核拡散への対処を口実に、核兵器先制使用を容認する発言が続いている。これでは、地球の崩壊へまっしぐら、ということになる。湯川博士の核兵器廃絶の遺伝子は、ぜひ世界中に広まって欲しいものである。

  1. 分からなかった, Ted's Coffeehouse 2 (2008年3月20日).
  2. 湯川秀樹の遺伝子(10)反核訴える新感覚映像, 日経ネット関西版 (2008年3月31日).

2008年4月2日水曜日

素領域と純粋経験

 日本物理学会誌などに湯川博士関連の随筆等をよく投稿している法橋登氏が、先日、アインシュタイン関連の新しい随筆をメール添付で送って下さった [1]。その最終の第4章「アインシュタインの京都講演」において、湯川博士にも触れている。アインシュタインは京都見物の一日をさいて、京都大学で原稿なしの講演「私はいかにして相対論を創ったか」をしたが、このタイトルは哲学者西田幾多郎の注文だったという。そして法橋氏は、相対論の先駆になったマッハが創造的発想の源泉と考えた「純粋経験」を西田が自身の哲学の出発点にしたことを述べ、「純粋経験は、既存観念や文明から解放された自然の直観的・全体的把握を指す。ファラデーの電磁力線も、少年時代のアインシュタインが直観した光の相対運動も、湯川の素領域も、物理学以前であり以後でもある純粋経験の産物だった」と指摘している。

 素領域については、湯川博士自身が「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」という李白の言葉が自分の考えを顕在化させるひとつの動機となったと述べているが、これは純粋経験のうちに入るといってよいのだろうか」という趣旨の質問を、私は法橋氏にしてみた。氏からは、以下のような説明を貰った。

 湯川の場合「物理以前の純粋経験=縄文文化の生命エネルギー」である。世界最古の哲学である古代インドベーダ哲学の研究者でもあるシュレーデインガーは、自伝『わが世界観』[2] において、山中でのベーダ的「純粋経験」の内容を詳しく記録している。…中略…。特殊相対論を正準形式の力学理論として完成したのはプランクで、幾何学化したのがミンコフスキーである。湯川はミンコフスキー空間の量子化を考えた。ベーダ哲学の「念じ続けたことは実現する」という考えをマッハは「純粋経験の持続」と表現したが、ベルグソンは、シオニズム(念)からのイスラエル建国(実現)はその実例だとしている。素領域もひとつの「念」だといえる。念じ続けるだけで論文化の機会はあってもなくてもてもよく、他力(縁=出会い)本願である。西田家も湯川家も「一念三千世界」の浄土宗の人で、そのように考えていたと思う——と。

 この説明はいささか分かりにくいが、私は、「物理学以前」すなわち物理学以外のところに、ひとつの起源のある物理学という意味では、素領域理論は純粋経験の産物ということになるのだろうと、自分なりに納得している。シュレーデインガーがベーダ哲学の研究者でもあったということは、初めて知った。『わが世界観』の英語版を持っていながら、少し読んだところで投げ出してあるのを読んでみたいとも思ったことである(注:英語版にはドイツ語原書 [4] と日本語版に含まれている「自伝」の部分は入っていない)。

  1. 法橋登, アインシュタインの三通の手紙:ルーズベルト、ニコライ、ラッセル, 『大学の物理教育』 Vol. 14, No. 1 (2008).
  2. エルヴィン・シュレーディンガー=著, 中村量空ほか=訳, わが世界観 (ちくま学芸文庫, 2002).
  3. E. Schrödinger, My View of the World (Ox Bow, Woodbridge, 1983; originally published by Cambridge University Press in 1964).
  4. E. Schrödinger, Mein Leben, meine Weltansicht (Deutscher Taschenbuch, Woodbridge, 2006).

2008年3月18日火曜日

分からなかった

 昨日の朝日新聞に「『原爆研究』日誌、京大に」という記事が掲載された。そのオンライン版 [1] を検索したところ、日経新聞の月曜日夕刊に「湯川秀樹の遺伝子」という記事 [2] が連載されていることに気づいた。

 第1回は、「1949年、日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士。晩年は物理研究のほか核廃絶・平和運動にも献身し、科学と社会のかかわりを終生問い続けた。湯川博士の遺伝子を受け継ぎ、その精神をいまに生かそうとする人びとの姿を、秘史をひもときながら追った」と始まっている。しかし、これまでのところ、中心人物として登場するのは、湯川博士の京大同期生(私の恩師でもある)木村毅一博士の恩師で、台湾において世界で2番目のコッククロフト・ウォルトン型加速器を作った荒勝文策博士である。つまり、湯川博士の前の世代の学者の話である。

 荒勝博士に習った堀場雅夫氏(堀場製作所最高顧問)はインタビューを受けて、「毎回楽しみに読んでいますが、『湯川秀樹の遺伝子』というタイトルは逆でしょう。荒勝先生の遺伝子こそ湯川さんが受け継いだ。遺伝子を逆にたどれば、という考え方もあるかもしれませんが…」と述べている。そのうちに湯川博士の遺伝子を受け継いだ人びとも登場するのだろうか。

 それはともかく、この連載には湯川博士の名も当然ながら、たびたび出てくる。竹腰秀邦京大名誉教授は、湯川博士の量子力学の講義は、「小声でぼそぼそしゃべり、さっぱり分からなかった」と述べ、堀場氏も次のように語っている。

 「2回生で量子力学の講義を受けましたが、黒板に向かってしゃべるし、全然分からん。それで文句言ったら、湯川さんは『聴かんでもいい』と言う。そやかて必修科目でしょ。仲間と組んでストライキに打って出たら、湯川さんも心変わりしたみたいです。研究者としては立派かもしれんが、プロの教師としては荒勝先生と対照的でした。」

 私が湯川博士の量子力学の講義を聞いたときは(先にも書いたことがあるかも知れない)、その頃発行されたばかりの、『岩波講座 現代物理学』中の量子力学編に執筆された通りを話された。したがって、それを見ながら聞いておれば、分かったような気になることができたが、ノートをとる必要のなかったことは、講義を聞いた印象がいささか薄いという結果にもなった。他方、学園祭か何かの折に聞いた湯川博士の一般向けの講演は、なかなか味わい深いものだったように記憶している。

 後日注記:下記のリンクは、その後いずれも切れている。

  1. http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200803180063.html
  2. 湯川秀樹の遺伝子(8)海軍支援、緊迫の加速器建造(連載の別の回の記事は、ページ下部の「他の『深める ローカル』の記事を読む」をクリックして、たどることができる。)

2007年12月8日土曜日

世界各国の湯川切手

 [これは、昨年準備しながら、ブログには掲載洩れとなっていた記事である。その間に、リンク予定のサイトがなくなってしまったので、関連箇所に「リンク先消滅」と記し、代わりに、新しく見出した切手商のサイトへのリンクを文末に設けた。]

 次のウエブサイトに物理学者の肖像を使った切手が沢山集められている。
  (リンク先消滅)
その中に、湯川博士のものは、日本の2種類の他に、5種類の外国のものが見られる。

 それらの5種類を発行しているのは、ギアナ、ガンビア、セント・ヴィンセントおよびグレナディーン諸島、アンゴラ、モルジヴと、小国ばかりである。ギアナとモルジヴの切手には「ノーベル各賞100年」の意味の英文字が入っているので、特に湯川博士だけを顕彰したものではなく、博士を1例としてノーベル賞自体を讚えているのである。他の外国切手も趣旨は同様かも知れないが、それにしても、多くのノーベル賞受賞者たちの中から何人かだけを選び、その中に湯川博士が入ったものと想像される。

 「湯川秀樹を研究する市民の会」のメンバーへのグループメールで、「これらの国々で湯川博士の人気が高いのはどうしてでしょうか」と尋ねてみたところ、「小国が外国人の肖像を使った切手を出す大きな理由は、外貨獲得です。日本の皇室の方々なども無断で切手になっているそうです」との返信があり、なるほどと思った。

 全7種の切手は下記の通り。記載事項は、発行国、発行年、(発行理由)、URLの順。(不明の項目があれば、その箇所が抜けている。リンク先消滅のため、準備してあったURLは記載しない。)

  Japan, 1985 (中間子論50年)
  Japan, 2000
  Guyana, 1995, (100th Anniversary of Nobel Prizes)
  Gambia, 1995
  St. Vincent & The Grenadines
  Angola, 2001
  Maledives, 2001, (100th Anniversary of Nobel Prizes)

 追記:外国の5種の切手は次のURLで見ることができる。上記リストのアンゴラのものがない代わりに、ウガンダのものがある。切手商のサイトなので、商品がなくなればページが消滅するかも知れない。

  ウガンダ
  ガンビア
  ギアナ
  セント・ヴィンセントおよびグレナディーン諸島
  モルジヴ

 後日の再追記:消滅したと思っていたサイトが再度アクセス可能になっている。Physics-Related Stamps である。