日本物理学会誌などに湯川博士関連の随筆等をよく投稿している法橋登氏が、先日、アインシュタイン関連の新しい随筆をメール添付で送って下さった [1]。その最終の第4章「アインシュタインの京都講演」において、湯川博士にも触れている。アインシュタインは京都見物の一日をさいて、京都大学で原稿なしの講演「私はいかにして相対論を創ったか」をしたが、このタイトルは哲学者西田幾多郎の注文だったという。そして法橋氏は、相対論の先駆になったマッハが創造的発想の源泉と考えた「純粋経験」を西田が自身の哲学の出発点にしたことを述べ、「純粋経験は、既存観念や文明から解放された自然の直観的・全体的把握を指す。ファラデーの電磁力線も、少年時代のアインシュタインが直観した光の相対運動も、湯川の素領域も、物理学以前であり以後でもある純粋経験の産物だった」と指摘している。
素領域については、湯川博士自身が「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」という李白の言葉が自分の考えを顕在化させるひとつの動機となったと述べているが、これは純粋経験のうちに入るといってよいのだろうか」という趣旨の質問を、私は法橋氏にしてみた。氏からは、以下のような説明を貰った。
湯川の場合「物理以前の純粋経験=縄文文化の生命エネルギー」である。世界最古の哲学である古代インドベーダ哲学の研究者でもあるシュレーデインガーは、自伝『わが世界観』[2] において、山中でのベーダ的「純粋経験」の内容を詳しく記録している。…中略…。特殊相対論を正準形式の力学理論として完成したのはプランクで、幾何学化したのがミンコフスキーである。湯川はミンコフスキー空間の量子化を考えた。ベーダ哲学の「念じ続けたことは実現する」という考えをマッハは「純粋経験の持続」と表現したが、ベルグソンは、シオニズム(念)からのイスラエル建国(実現)はその実例だとしている。素領域もひとつの「念」だといえる。念じ続けるだけで論文化の機会はあってもなくてもてもよく、他力(縁=出会い)本願である。西田家も湯川家も「一念三千世界」の浄土宗の人で、そのように考えていたと思う——と。
この説明はいささか分かりにくいが、私は、「物理学以前」すなわち物理学以外のところに、ひとつの起源のある物理学という意味では、素領域理論は純粋経験の産物ということになるのだろうと、自分なりに納得している。シュレーデインガーがベーダ哲学の研究者でもあったということは、初めて知った。『わが世界観』の英語版を持っていながら、少し読んだところで投げ出してあるのを読んでみたいとも思ったことである(注:英語版にはドイツ語原書 [4] と日本語版に含まれている「自伝」の部分は入っていない)。
- 法橋登, アインシュタインの三通の手紙:ルーズベルト、ニコライ、ラッセル, 『大学の物理教育』 Vol. 14, No. 1 (2008).
- エルヴィン・シュレーディンガー=著, 中村量空ほか=訳, わが世界観 (ちくま学芸文庫, 2002).
- E. Schrödinger, My View of the World (Ox Bow, Woodbridge, 1983; originally published by Cambridge University Press in 1964).
- E. Schrödinger, Mein Leben, meine Weltansicht (Deutscher Taschenbuch, Woodbridge, 2006).
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