先に法橋登氏から『大学の物理教育』3月号に掲載された随筆「アインシュタインの三通の手紙:ルーズベルト、ニコライ、ラッセル」のコピーをメールで貰い、その中の湯川関連の記述について氏に質問したことを記した [1]。氏とのそのやり取りの間に、氏の別の随筆 [2] のコピーを貰い、その最終パラグラフも湯川評になっていることを告げられた。その箇所は次の通り。
橋本は和訳書刊行の趣旨をこう書いている。「かつて和漢洋の三順序で示された日本の学問がいまや人文、社会、自然の科学三分野併挙から超科学の実践世界を目指す時代になった。シュレディンガー博士に遅れること一六年、わが国の湯川博士が同じ賞を受けたことの意義は甚大である。」
ここで、和訳書とはシュレディンガーの自伝『わが世界観』のことで、橋本とはその和訳を監修したインド哲学者、橋本芳契のことである。法橋氏は和訳書として [3] を引用しているが、アマゾンで調べると、初刊の単行本は [4] のようである。
橋本の文は、分かりやすく言い換えれば、次のようになるであろう。
「江戸から明治の時代にかけての日本の学問は、和学を第一とし、ついで漢学、洋学の順で重んじるという傾向にあった。しかし、湯川博士がシュレディンガーより16年遅れてではあるが、ノーベル賞を受賞したことは、日本の学問が欧米並みになった証しである。その頃になって、同じように三つの学問といっても、それは人文、社会、自然の各科学を指し、これらを同列に並べて尊重することが確立したのである。さらに、湯川博士の受賞は、これらの三つの学問が境界を超えて相互作用し、実践的な効果を生み出す時代の幕開けに寄与したという大きな意義を持っている。」
湯川博士自身は、核兵器廃絶の必要性を論じたり、創造論についての著述をするなど、自然科学の枠を超えての活動を盛んに行った。しかしながら、三つの学問が境界を超えて相互作用する「超科学」の実現は、現状ではまだまだ不十分であるように思われる。
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