2009年11月7日土曜日

エム・ジュニア (M Junior)

 私の大親友の一人だった M 君は、1997年に他界した。クラスが隣同士だった中学3年生のときに親しくなり、高校は別になったが、高校の3年間には日記の交換を続けた(その大半をブログ "Ted's Coffeehouse" に掲載したが、プロバイダーの障害によりアクセス出来なくなっている)。彼がしっかりした文字で書き、文学的香りも漂っていた文章からは、学ぶところが多かった。

 私が最近まとめた自費出版書 "Passage through Spacetime" の巻末に収めた短編小説 "Vicky" には、Sam という名が出て来る。そのモデルは M 君であり、小説の冒頭には彼への献辞が記してある。そこで、先月その本を一冊 M 夫人へ送ったところ、アメリカ在住の息子さんが来月帰国する折に読んで貰う旨を記した礼状が届いていた。

 さる4日、その息子さん、 M Junior との面会が実現した。彼は在米すでに約10年、目下、南西部のある大学でナノテクノロジー関係の研究をしている学者である。 M Senior からは、M Junior が乳母車に乗っている赤ちゃん時代の写真を1枚貰っていただけだった。M Junior から当日の朝届いたメールには、昨年のクリスマスに家族で撮った写真を添付するとあったが、添付し忘れで、予め彼の顔を知ることは出来なかった。

 面会の場所は JR 新大阪駅、時間は18時10分。会ってみると、M Junior は父親に似て背が高く、元気な壮年(45歳)だった。顔は、私の高校の1年後輩である母親のほうに似ていて、話し好きである点も母親似かも知れない。かつて M Senior と私が二人で話していたときには、ふと話が途切れて、互いにしばらく沈黙していることもあったが(寡黙さからというより、われわれがどちらも、ありきたりの世間話をすることをいさぎよしとしなかったせいでもある)、M Junior とならば、その心配がない。

 M Junior と食事をしながらの1時間20分間には、主に M Senior の思い出を話しあった。M Senior は、家庭の事情のため高卒で JTB に就職したのだが、晩年には東京の大学で旅行業務関係の科目の非常勤講師をしていた。その前に通信教育で大卒の資格を取っていたとは、M Junior に聞いて初めて知った。私は M Senior が就職した当時、大学へ進学しなかったことをたいへん残念に思いながらも、日本の実社会にはまことに優秀な高卒の人もいるということをむしろ誇るべきだという理屈を考えて、残念さを慰めていた。しかし、その彼が、年をとっても向学心を捨てないで大学を卒業していたことに、改めて敬服の念を抱いている。

 M Junior は最近、もう故人となった中学同窓生もいることを聞き、出会いの機会を大切にしたいと思うようになったとのことである。それで、翌日に東京での国際学会に参加して、すぐにアメリカへ帰るという忙しい中にもかからわず、会ってくれたのだった。

4 件のコメント:

  1. > もう故人となった中学同窓生もいる
    > ことを聞き、出会いの機会を大切に

    ご無沙汰しております。

    幸運にも我が友人達は元気でおりますが、いつ何が起きるかは誰にも解りません。同窓での集りのお誘いがあった場合は、最近は必ず出席するようにしております。友人は、大切にしたいですからね。

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  2.  友だちや出会う人たちはみな、私たちの先生です。大切にしなければいけません。
    "Every man I meet is my master in some point, and in that I learn of him."
    — Ralph Waldo Emerson

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  3. 私の世代でも既に亡くなっている同級生がいたりします。そういうこともあって、私自身も来夏までの日本滞在の間にできるだけたくさんの友人知人に会っておきたいと思っています。

    M氏が一度断念した学問を再び再開する機会に恵まれたことが何だか自分の事のように嬉しくて目頭が熱くなりました。今日私はM氏から何を大事にして生きていくかについてのヒントをいただいたようなします。

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  4.  Suzu-pon さんに「何を大事にして生きていくかについてヒントを」差し上げられたとは、M 君も天上で喜んでいることでしょう。

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