2006年11月30日木曜日

素粒子間の力の例え

 「湯川秀樹を研究する市民の会」では、中間子を媒介として中性子と陽子が引き合う核力が生じるという湯川博士の中間子論の真髄を、分かりやすい例えで説明する方法を考えようとしている。

 媒介となる粒子をボールとして、キャッチボールに例える方法は、湯川博士自身、自伝『旅人』の中でしばしば使っている。他方、キャッチボールでは、ボールの運動量により、受けた人が後方への力を受けるとして、これを斥力の説明に使い、引力にはブーメランの投げ合いを使う説明も、かなり以前からある。ブーメランは後方から回り込んで相手に到達し、投げた人の方への力を及ぼすというのである。最近では、文献 [1] にこの説明が紹介されていて、「実際にこの通りではありません」と断ってある。

 たしかに、素粒子同士の基本的な相互作用の説明に、マクロな物体の形態や運動量が関係している例えを使うのはいささか具合が悪い。そこで、これを越える説明がないだろうか、というわけである。

 最近、"Mr. Tompkins Gets Serious" [2] という本のあることをアマゾンUSAからの宣伝メールで知った。先日、上京したついでに本屋へ寄ったところ、この本があり、少し立ち読みした。湯川博士の中間子論にふれたところがあり、粒子同士が第三の粒子を媒介にして引き合うことを、二匹のイヌが一本の骨というエサを取りあって、両側からかみついて離れないという例えで説明してあった。湯川博士が「赤ちゃんが求心力となって夫婦を密着させる」と考えた話 [3] に似ている。しかし、この手法で斥力はどう説明できるだろうか。

文献

  1. 米沢富美子, 『人物で語る物理入門(下)』, p. 220 (岩波新書, 2006).

  2. George Gamow, "Mr. Tompkins Gets Serious: The Essential George Gamow, The Masterpiece Science Edition" (Pi Press, 2005).

  3. 朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」欄 (2006年5月25日).

2006年11月29日水曜日

湯川博士のこと

 昨日の H さん経由の湯川スミさんの思い出話に続いて、「湯川秀樹を研究する市民の会」(略称「湯川会」)のメンバーに紹介した、H さんの同期生たちや彼女自身による湯川博士の思い出話を転載する。(湯川会メンバー宛メールとしては、こちらの方を先に出している。)

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湯川会の皆さん

 私より数年早く、195X年に京大の物理学科を卒業し、一時私と同じ職場にいた H さんに、湯川さんの印象を尋ねていたところ、先々週、彼女たちの物理学科同期会があり、他の方がたにも聞いて知らせて下さいました。以下にそれをご紹介します(H さんのご希望により、実名は伏せています)。

 I 氏:一番印象に残っているのは、実験後、あまった液体窒素を水溜りに流して、沸騰する中で氷が出来る様子を見ながら遊んでいたときのことです。後ろで「面白いねえ」と声がして、湯川先生も楽しそうに眺めていました。何にでも、生き生きした好奇心を持つ人だな、と思いました。

 K 氏:コロキユウムで D 君が論文紹介をしたときに、湯川先生が質問され、その答に対して先生が「自分は頭が悪いからなー」といわれたことが印象に残っています。

 H さん:私は母と湯川先生にお会いしたことがあります。そのとき湯川先生が母にいわれたことば、「親にとって、いい子は自分の思っているようになってくれる子で、自分の思うようになってくれない子はいい子でない」が印象に残っています。私が大学院に進むことに対しておっしゃったのですが、先生のお子様のことにも通じることばではなかったかと考えています。また、クリスマスに A さんの発案で風船割りをしたこと、ソフトボールの試合に参加されたことなど、いろいろ楽しんでおられた様子が目に残っています。

 後日、H さんへのメールで資料を届けられた方もあり、それは別途紹介します。(2006年11月20日)

2006年11月28日火曜日

湯川スミさんのこと

 湯川研究室の修士課程を修了して一時私と同じ職場にいた H さんに、「湯川秀樹を研究する市民の会」(略称「湯川会」)で紹介するための湯川博士の思い出を尋ねていたところ、彼女自身の思い出の他に、同期生の思い出などもメールで問い合わせたりして、送って下さった。その中に、湯川博士の秘書をしておられたSさんがスミ夫人についての思い出を書かれたものもあった。上記の会のメンバーにそれを紹介した私からのグループ・メールをここに転載する。

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湯川会の皆さん

 湯川さんの秘書をしておられたSさんがスミ夫人についての思い出を書かれたメールを、このたび H さんが転送して下さいました。H さんは京大物理学科同期会で先般京都へ来られた折に、S さんにも会われ、H さんの学生時代に学生たちの間でスミ夫人が「京都の三大悪女の一人」といわれていたことを思い出して話されたようです。以下に S さんのメールから、思い出の部分をご紹介します。

 スミ夫人のことは、悪妻といわれていらっしゃった時がありましたが、私はそんなふうには思いませんでした。その頃の「妻」のあり方の感覚が古風だっただけです。スミ夫人は「秀樹さん」のことだけを純粋に一番に考えていらしたと思います。だからスミ夫人の口から出ることばの中にどれだけ「秀樹さん」が出てきたことでしょう。そして尊敬していらしたから、湯川先生の亡き後も、核廃絶への取り組みに最後まで努力なさったのだと思います。

 この後、もう少し率直なご感想が続きます。ただ、「あなた(H さん)だからいいますが」ということばがありますので、決してよくない話ではないのですが、引用は差し控えます。(2006年11月25日)