2007年3月27日火曜日

湯川ポテンシャルへのヒント

 先に「湯川秀樹を研究する市民の会(湯川会)」のグループメールでπ中間子の名の由来 [1] を話題にしたことに関係して、同会のIさんから質問が出た。湯川博士のノーベル賞受賞論文で、中間子の場を「U場」と名づけたことについて、博士自身がその由来を語っている文章があるのだろうか、というものである。

 そのような文を私は見たことがない。原子の散乱の理論では、ポテンシャル(位置のエネルギー)V に 2m/(h/2π)2 を乗じた量を U で表わすことがある [2]。しかし、湯川論文中の式を見ると、U場の U はこういう量ではなく、ポテンシャルそのものである。そこで、U場の名の由来については、次のように想像するのみである。湯川博士は特別な場を提案するにあたり、アルファベットの順位としても文字の形としても、ポテンシャルに普通用いられる V に近く、また、湯川の「ユ*」も連想される U を使ったのだろうか、と。

 ところで、これに関連する情報を探すために、文献 [3] を見ていたところ、その中の高林の文 [4] の脚注に、のちにユカワ・ポテンシャルと呼ばれることになった関数形の先駆的使用例が三つ記されていた。

 (1) ゼーリガー (1885) がニュートン・ポテンシャルの修正として提案。
 (2) 量子力学で遮へいクーロン場として使用。
 (3) 朝永らが中性子・陽子散乱の計算をする際に、一つの可能なポテンシャルとして使用。

 ニュートン・ポテンシャルの修正として湯川型ポテンシャルが研究された [5, 6] ことは、私もパウリの本 [7] で知り、昨2006年4月18日付けの湯川会メーリングリスト宛メールで述べた。そのメール中に「湯川博士はこれからヒントを得たのだろうか。あるいはこれを知らず、独立に思いついたのだろうか」と書いたが、実は、もっと身近で朝永らが使っていたという事情があったのである。

 朝永らの計算については、同じく文献 [3] 中の小沼の文 [8] に詳しく述べられている。その要点は次の通り。

 「1933年に朝永博士(理化学研究所)が湯川博士(京都大学)に宛てた手紙の中に、『小生の方の計算もやっと少し結論らしいものが出ましたから一寸お知らせします』とある。この計算とは、仁科・朝永の1936年の論文の脚注に、『1932年に仁科・梅田(魁)・朝永はポテンシャルをいろいろ変えて、中性子・陽子散乱の計算を行なった』と書かれているものである。このとき、のちにユカワ・ポテンシャルとして知られるようになった関数を使っていたことが、上記の手紙に『Ae-λr/r としたのは仙台でやりました』と明記してある。同手紙の裏面には湯川博士によるλの値などについての書き込みが残っている。朝永博士らのポテンシャルが、湯川理論を生み出す上で役立ったのではないだろうか。」

 なお、高林の (2) の記述にある使用は、誰がいつ最初に行なったかを知りたいと思い、私の蔵書の範囲や Google の検索で調べたが、いまのところ分からない(たとえば、[9-12] には、遮へいクーロン場についての記述はあるが、文献引用まではしてない)。ご存知の方があれば、教えいただきたい。

 * 現在ミューオンと呼ばれている粒子が宇宙線中に発見されたとき、これが湯川博士の予想した粒子かと思われ、ワルソーで開かれた世界物理学会の席上、ボーア、ド・ブロイらによって、ユーコンと命名されたという [13]。ただし、これは U-kon と記したのではなく、Yukawa-electron を略して、Yukon と書かれた。その後、この粒子は陽子・中性子との相互作用が弱く、湯川博士の予想した粒子とは異なることが分かり、それとともにこの名も消滅したようである。

  1. パイオンの名の由来, Ted's Coffeehouse 2 (2007年3月24日).
  2. たとえば、N. F. Mott and H.S.W. Massey, The Theory of Atomic Collisions, reprinted 3rd edition, p. 20 (Oxford University Press, Oxford, 1971).
  3. 『自然』増刊号「追悼特集 湯川秀樹博士 [人と学問]」(1981).
  4. 高林武彦, 知的ジャイアントを偲ぶ, ibid. p. 38 (1981).
  5. C. Neumann, Allgemeine Untersuchungen uber das Newtonsche Prinzip der Fernwirkungen (Leipzig, 1896).
  6. H. v. Seeliger and S. B. Bayer. Akad. Wiss. Vol. 26, p. 373 (1896).(高林の引用とは年が異なる。別の論文であろうか。)
  7. W. Pauli, Theory of Relativity, p. 180 (Dover, 1981; originally published by Pergamon, 1958).
  8. 小沼通二, 湯川史料からみた中間子論の周辺, 文献 [3], p. 70 (1981).
  9. L.I. Schiff, Quantum Mechanics, p. 325 (McGraw-Hill International, Auckland, 1981; original publication by McGraw-Hill in 1949).
  10. D. Bohm, Quantum Theory, p. 552 (Prentice-Hall, Englewood Cliffs, 1960, Maruzen Asian edition; originally published in 1951).
  11. R. D. Evans, The Atomic Nucleus, p. 888 (Tata McGraw-Hill, New Delhi, 1976; original publication by McGraw-Hill in 1955).
  12. H. Frauenfelder and E.M. Henley, Subatomic Physics, p. 111 (Prentice-Hall, Englewood Cliffs, 1974).
  13. 「宇宙線に日本名」大阪朝日新聞 (1939) (「湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念展」パンフレットに紙面の写真がある。発行年は、湯川博士が「三十二歳の少壮学者」とあるところから推定。)

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