一昨日の午後1時頃、その時間にときどき見ている、みのもんた司会「おもいッきりイイ!!テレビ」の「きょうは何の日」のコーナーへ何気なくチャネルをまわしたところ、「快挙!同級生2人がノーベル賞」と題して、湯川、朝永両博士の生涯を紹介していた。湯川博士の命日だった(1981年9月8日歿)。
番組は、両博士が助け合って歩んだことを強調する筋になっていた。それは確かな事実である。他方、湯川会のNさんがいろいろな本から集めた「湯川語録」には、湯川博士の次のような言葉もある。
朝永君にだけは絶対に渡すことには我慢がならない。(京都で開催のパグウォッシュ会議開会式に朝永博士が代理出席することになりそうだったとき)
朝永君は若いころから今日まで僕の周りをちょろちょろして意地の悪い邪魔をしてこられた。朝永君の文章の入っているような本はお断りだ。(中間子論誕生の思い出について、関係学者による本を編纂しようとして相談されたとき)
これらの言葉は、中村誠太郎著『湯川秀樹と朝永振一郎』(読売新聞社、1992)から取られたものである。発言の状況から見て、冗談まじりの言葉でもなさそうである。晩年、歯に衣を着せない発言をするようになったといわれる湯川博士は、その頃になってライバル意識(あるいは湯川博士にないような「かっこよさ」のあった朝永博士への嫉妬心)も遠慮なく表面に出したのであろか。
偉業を成し遂げた人のいささか妙な言葉に対しては寛大でありたく、これらの言葉を書物に書きとどめた中村誠太郎博士の姿勢はいかがなものかと思う。(といいながら、それをブログに引用している私の姿勢もいかがなものか。)しかし、神様のように敬われることの多い湯川博士が、いかにも人間的な面を持っていたことの証拠として、記録にとどめる価値のある言葉といえるかも知れない。
番組には、湯川博士の長男、湯川春洋氏も登場し、「考えがうまくまとまらないで、機嫌の悪いときに、母は酒を勧めていました」というような思い出を、湯川博士に似た話し振りで語っていた。
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