一昨日、わが家に咲いたヒガンバナの写真を撮ろうとしたところ、珍しいチョウがとまっていた(上掲の写真)。しかし、その名が分からない。お分かりの方があれば、教えいただければ幸いである。 The day before yesterday, I tried to take a picture of the flowers of red spider lily that bloomed at my home. Then, I found a butterfly of a rare kind on one of the flowers (see the image above). I do not know its name. I should be glad if you could tell me the name. 追記(2017 年 10 月 1 日): 一読者の方から、下記のリンクを示して、「ツマグロヒョウモンというチョウのようです」と教えていただいた(コメント欄参照)。 "ナンでも図鑑(無料) > 動物科一覧 > タテハチョウ科 > ツマグロヒョウモン > ツマグロヒョウモン(メス)" 漢字では、「褄黒豹紋」と書く。羽は、端が黒く、ヒョウのような模様を持っている、というところから名付けられたのだろう。 Note added on October 1, 2017: A reader told me that this might be Argynnis hyperbius (the Indian fritillary) (see here ).
[The main text of this post is in Japanese only.]わが家に咲いたヒガンバナ。2017 年 9 月 25 日撮影。開花は 3 日前の、ちょうど秋分の日だった。 Flowers of red spider lily at my home; taken on September 25, 2017. They began to open three days before, just on Autumnal Equinox Day. (The popular Japanese name of this plant is higanbana , which literally means "Equinox flower".) 2017 年 6 月 19 日〜9 月 11 日分記事への M・Y 君の感想 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2017 年 9 月 24 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。) 1. 高校時代の日記から 筆者が卒業した高校の同窓会は「金商菫台同窓会」と名付けられています。その関西支部は約 10 年前に解散の危機に陥りましたが、再建して、今年、再建 10 周年を迎えました。これを機に記念の冊子を発行することになり、「母校・友そして故郷 懐かしき想い出」という範疇での寄稿が全会員に求められました。筆者は、「高校時代の思い出を書こうとしたが、卒業から 63 年も経ったいま、何らかの思い出を活写することは難しいと気づいた」として、高校時代の日記から、2 年生の初めの数日分をまとめて寄稿文にし、それがこの記事として掲載されています。よい選択だったと思います。 1952 年 4 月 14 日(月)、17 日(木)、21 日(月)、22 日(火)の 4 日間について書かれ、歴史の先生の講義の話し癖、国語甲は秀才の 2 君も集まる最も優秀なレッスン・クラスであること、校長の英語講義のこと、解析 II の時間に秀才君の一人との間で前週来問題となっていた整数の 4 乗和を求める式に違いが生じた原因を調べる内職をしたこと、規則違反があって再実施となったホームルームの選挙管理委員選挙に、やはり筆者が選ばれてしまったこと[次段落末の「筆者注」参照] 、放課後の新聞クラブの会合で編集長に選ばれ、しっかりやらなければという意気込みを持ったこと、などが書かれています。文章と一緒に掲載された物理のレッスン・クラスによる変電所見学の写真も、当時の高校生たちの様子を残すよい記念となるものです。 これを読みながら、中学よりかなりレベルが高くなった高校に入学し、これから頑張ろうと意気込んだ高校 1 年の爽やかな 4 月の当時を懐かしく思い出しました。 筆者注:Y・M 君の文では「筆者が再選されたこと」になっていましたが、日記原文の「またも、ぼくが選ばれてしまい」のニュアンスを生かすため、「やはり筆者が選ばれてしまったこと」に直しました。日記に「選ばれてしまい」と書いたのには、次の理由がありました。選挙管理委員の任期は 1 年間で、これに選ばれると、その学年での前期・後期とも、生徒会議員に選ばれる可能性がなくなるので、ありがたくなかったことを表したかったのです。ただし、隣のホームルームでは、中学時代の彼の生徒会活動の経験から見て、生徒会長になる能力が十分にある男生徒 N 君が選挙管理委員に選ばれていたのを、後期の選挙の際にリコールでやめさせ、生徒会議員に選び直し、実際に生徒会長を務めて貰ったという、珍しい例がその年に発生しました。この陰には、生徒会から支出されるクラブ援助費増額を望むスポーツ系諸クラブから、N 君の属するホームルームへ、スポーツ系クラブに理解の深い彼をぜひ議員・会長にという、強い働きかけがあったのです。 2. 金沢での墓参 2017 -1- 〜-4- 長女ご夫妻とのお盆の金沢墓参の旅について書かれています。ご先祖を祀る年中行事はよい習慣ですね。奥様の先祖代々の墓のある野田山、筆者の両親の墓のある寺町の寺、そして最後に筆者の母方の先祖の墓 2 基のある野町の寺と、一日でお参りするのは夏の暑さの中お疲れだったでしょう。翌日静かな雰囲気のレストラン「かなざわ玉泉邸」を訪れて、その庭園・玉泉園を観賞し、日本海でとれた魚介類や加賀野菜などの新鮮な材料を使った郷里の料理も存分に楽しまれたとのこと、2 日間の優雅で有意義な旅でしたね。 庭園の数々の写真や記事での紹介は、玉泉園を初めて知る私も興味深く拝見しました。筆者が高校時代の日記中で "Vicky" というニックネームをつけていた S・T さんに、さる 4 月の同窓会で彼女の小学生時代について尋ねると、彼女は、医師だった父君が彼女の小学校 2 年生の春に亡くなり、先祖から伝わっていた玉泉園を母君が経済的な事情で手放したことや、高校生になってもこの思い出のために春は悲しい季節だったことを聞かせてくれたとのこと。しんみり心に残る話です。 3. ディオプトリー 「私は近年、強度近視に老眼が加わり、読書用、屋内用、外出用の 3 種類の近眼鏡を使い分けていたが、白内障手術後、屋内ではほとんどメガネが不要になった。しかし、外出にはメガネがあった方がよい。そこで、[…]眼科医でメガネの処方箋を作って貰った。両眼とも "−1.75 D" とある。いままで何度もメガネを作り替えながら、度数の意味を調べたことがなかったが、インターネット検索を使うと、容易に理解出来た」と書き出されています。 メガネの度数の単位・ディオプトリーの定義や、白内障手術で近焦点の眼内レンズを入れた場合、室内でも使用できるメガネとして、視力検査から決まるディオプトリー値よりやや緩めの度数のものが最適であることについて具体的な説明があり、役に立つ情報が提供されています。大きな専門店でメガネを購入すると、一定の期間中、使用して不具合を感じれば交換可能になっているようで、この点でもここに書かれた知識は参考になるものと思われます。 4. 水彩画『鳳凰山・地蔵岳』 このページを開いた時、素晴らしい絵が目に飛び込んで来ました。岩肌の輝き、木々の緑、白い斜面と、色彩も鮮やかです。文章を読んでいくと、「来たる 2017 年 10 月 20 日(木)から 24 日(火)まで、堺市東区北野田の東文化会館で開催される『第31回・美交会展』に出品する予定の水彩画を、9 月 9 日に完成した」とありました。内田良平氏が撮影した『観音岳から望む 8 月の地蔵岳』(『週刊 日本百名山』No. 05の表紙写真)、鳳凰山についての三つの参考文献、奥様の登山時の観察などを丹念に参照・考察し、また名前の由来も調べ、同山を絵に描くための包括的な概念を構成されたことと思われます。『第31回・美交会展』の盛会をお祈りします。 奥様が知人・友人へ送る賀状の挿絵にするため、奥様の登った山々の中から、今年の干支である酉(とり)に関係のある名の山として鳳凰山を選び、筆者が同様な絵を先にペンと色鉛筆で描かれていましたが(こちら 参照)、今回の絵は格段に丁寧になっていると思いました。 地蔵岳の賽ノ河原についてインターネットで見てみますと、広い白い大地に風化されていない多くの地蔵が点在しており、こんな高所に運んだ苦労は大きかっただろうと、昔の信仰登山の敬虔な祈りに思いを馳せました。
[The main text of this post is in Japanese only.] 来たる 2017 年 10 月 20 日(木)から 24 日(火)まで、堺市東区北野田の東文化会館で開催される『第31回・美交会展』(主催・堺の文化をすすめる市民の会)に出品する予定の水彩画を、9 月 9 日に完成した。ホルベイン不透明水彩絵具とホルベイン紙 F6 を使用し、文献 1 の表紙にある写真を参考にして描いた。文献 1 の目次の上部に同じ写真を小さく添えて記してある説明によれば、その写真は、内田良平氏が撮影した『観音岳から望む 8 月の地蔵岳』である。小さな写真と表紙の写真を比べると、後者は元の写真の下部を 2 割近くカットしてあると分かる。表紙の写真を私が参考にするにあたって、さらに左右を(左を少し多めに)カットした。 同様な水彩画を昨年 12 月に、妻が知人・友人へ送る賀状の挿絵にするため、妻の登った山々から、今年の干支である酉(とり)に関係のある名の山として、上記の写真を選び、私が透明水彩絵の具で F4 紙に描きかけた。しかし、途中まで進めた着彩が気に入らず、透明水彩では修正もままならず、その時の目的としては、F1 サイズのスケッチブックにペンと色鉛筆で急きょ簡潔に描いたものを用いた(元日のブログ記事 に掲載)。したがって、画具が全て異なるながら、同じ写真から、失敗作を含めて 3 度描いたことになる。 鳳凰山は、地蔵岳・観音岳・薬師岳の 3 山の総称で、鳳凰三山とも称される。地蔵岳(2,764 m)の山頂部にはオベリスク・地蔵仏と呼ばれる巨大な岩塔があり、これが「鳥のくちばしに見立てられる」というのが、鳳凰山の名の由来の一説であるが(文献 2)、他にもさまざまな説があるそうだ(文献 3)。深田久弥は、「地蔵仏は高さ約十八メートル、極めて印象的なオベリスクで、甲府盆地からでもよく注意すると認めることができる。それは鳳凰山のシンボルのように立っている。その巨石に初めて攀じ登ったのはウォルター・ウェストンで、明治三十七年(一九〇四年)の夏であった」(文献 4)と記している。 地蔵仏の姿は、「二個の巨石が相抱くように突っ立っている」(文献 4)という様子である。ただし、二個からなることは、この絵の横方向に相当する位置から見ないと分からない。参考にした写真では、樹木のない中央部分の傾斜がもう少し黄色味を帯びているが、絵では、妻が登った印象として「白っぽかった」ということを強調するため、黄色味を抑えた。白っぽいのは、風化花崗岩の砂礫で覆われているからだそうで(特に絵の左端に見える「賽ノ河原」と名付けられた部分)、1814 年に編纂された『甲斐国志』にも「砂白くして海浜の景色あり」と描写されているという(文献 3)。賽ノ河原には「昔の信仰登山者のおいて行った小さな石の地蔵が、壊れた形で散らばって」(文献 4)いる。画中、賽ノ河原の奥に多くの小さい点々で表したのがそれである。 なお、中央部分の傾斜の黄色味を抑えて描いたのには、もう一つ理由がある。私はさる 4 月の半ば過ぎと 5 月初めの 2 回に分けて、左右の目の白内障手術をした。その結果、本来あるべき色感を取り戻したのだが、白内障が進んでいた頃と比べれば、風景が青白く見える印象を受けた。その感懐を、際立てて絵に残しておきたい思いもあったのである。過去 2 年間に描いた水彩の風景画[『自然エネルギー』 (オランダ・キンデルダイクの風車)と『自鳴琴の館』 (京都嵐山オルゴール博物館)]をいま見ると、必要以上に黄色が強調されているように思われる。ペンと色鉛筆描きの『鳳凰山』 中の賽ノ河原も、黄色が強すぎた。 文献 『週刊 日本百名山』No. 05(朝日新聞社、2001)。 「鳳凰山」、『ウィキペディア』https://ja.wikipedia.org/wiki/鳳凰山 [2017 年 4 月 24 日 (月) 09:06]。 深田久弥『日本百名山』中「鳳凰山」の項。文献 1 の p. 3 に朝日文庫版(1990)から、同項の全文が転載されている。 三宅修「明るい稜線と大展望の魅力」、文献 1 の p. 6。 (2017 年 9 月 16 日、一部加筆・修正)