旧川嶋酒造の酒蔵。
Sake cellar of old Kawashima Brewing Company.
井筒屋旅館。
Izutsuya Inn.
天神橋の欄干の模様。
Design of Tenjin Bridge railing.
旧加悦町役場庁舎。
Old Kaya Town Hall.
[以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]
旧尾藤家住宅の少し北、右手に、旧川嶋酒造の酒蔵が残っている(1 枚目の写真)。酒造という生業と生活空間を組み合わせた昭和初期の建築として注目されているという。写真右上に見えるのは、換気・煙または蒸気出しなどのための「越屋根」で、普通は屋根の上の簡略な小屋根だが、この酒蔵ではガラス窓入りで部屋風の立派な造りになっている。
街道をさらに北上すると、左手に井筒屋旅館がある(2 枚目の写真)。明治 23 年(1890)創業の老舗旅館で、建物は昭和 8 年(1933)に再建された。玄関は堂々とした構えになっており、昔ながらの街道の雰囲気を残し、今も営業している。井筒屋旅館の近くを流れる小川に昭和 9 年(1934)に架けられた天神橋があり、その欄干には、今の若い旅行者たちが喜びそうな模様がある(3 枚目の写真)。45 度傾斜したハート型の集まりと見られるものである。
街道の最北端には、道の西側に旧加悦町役場庁舎が残る。丹後大震災後の昭和 4 年(1929)に完成したもので、甲子園球場を設計した、当時大林組設計部長の今林彦太郎が設計を担当したそうだ。私たちはここへ最後に到達したが、現在は「ちりめん街道案内・休憩所」として使用されており、個人的に観光するには、ここを出発点とするのが便利だろう。
語り部の説明を聞きながら、同行の旅行客の見学の邪魔にならないように、また、同旅行客が写真中に大きくは入らないようにしながらの写真撮影で、被写体に対して絶好のアングルで狙えなかった場合が多かった。しかし、「ちりめん街道観光マップ」と照らし合わせてみると、大部分の観光ポイントをなんとか撮影できていた。帰途のバスは交通渋滞に会って、予定よりも 30 分ほど遅れて大阪に到着したが、充実した旅だった。なお、「ちりめん街道」の各観光スポットの説明には、同街道ウェブサイトにある記述を参考にした。(完)
旧尾藤家住宅の少し北、右手に、旧川嶋酒造の酒蔵が残っている(1 枚目の写真)。酒造という生業と生活空間を組み合わせた昭和初期の建築として注目されているという。写真右上に見えるのは、換気・煙または蒸気出しなどのための「越屋根」で、普通は屋根の上の簡略な小屋根だが、この酒蔵ではガラス窓入りで部屋風の立派な造りになっている。
街道をさらに北上すると、左手に井筒屋旅館がある(2 枚目の写真)。明治 23 年(1890)創業の老舗旅館で、建物は昭和 8 年(1933)に再建された。玄関は堂々とした構えになっており、昔ながらの街道の雰囲気を残し、今も営業している。井筒屋旅館の近くを流れる小川に昭和 9 年(1934)に架けられた天神橋があり、その欄干には、今の若い旅行者たちが喜びそうな模様がある(3 枚目の写真)。45 度傾斜したハート型の集まりと見られるものである。
街道の最北端には、道の西側に旧加悦町役場庁舎が残る。丹後大震災後の昭和 4 年(1929)に完成したもので、甲子園球場を設計した、当時大林組設計部長の今林彦太郎が設計を担当したそうだ。私たちはここへ最後に到達したが、現在は「ちりめん街道案内・休憩所」として使用されており、個人的に観光するには、ここを出発点とするのが便利だろう。
語り部の説明を聞きながら、同行の旅行客の見学の邪魔にならないように、また、同旅行客が写真中に大きくは入らないようにしながらの写真撮影で、被写体に対して絶好のアングルで狙えなかった場合が多かった。しかし、「ちりめん街道観光マップ」と照らし合わせてみると、大部分の観光ポイントをなんとか撮影できていた。帰途のバスは交通渋滞に会って、予定よりも 30 分ほど遅れて大阪に到着したが、充実した旅だった。なお、「ちりめん街道」の各観光スポットの説明には、同街道ウェブサイトにある記述を参考にした。(完)
0 件のコメント:
コメントを投稿