わが家の庭のハマユウ。2018 年 7 月 3 日撮影。
Spider lily in my yard; taken on July 3, 2018.
G・オーウェルの「絞首刑」など
オウムの死刑囚 7 名が処刑されたというニュースが流れた昨日、十数年前に買って先日来読んでいる梅田卓夫他編『高校生のための小説案内』(筑摩書房、1988)で偶然読む順番になった一つの作品は、G・オーウェルの「絞首刑」(岩波文庫『オーウェル評論集』中の「絞首刑」全文が引用されている)だった。処刑される囚人を絞首台へ連れて行くのに立ち会った「わたし」は、その囚人が「途中の水たまりを軽く脇へよけた」のを見た。そのことによって、「わたし」は「まだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついた」とある。
今回の 7 名の処刑について、EU 加盟 28 カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが、「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」という共同声明を発表したそうだ。人が人を殺すことの肯定は、戦争の肯定につながる。わが国も死刑制度の廃止を真剣に検討すべきである。
そして、『図書』誌 7 月号で読み残してあった中の一編、文芸ジャーナリスト・佐久間文子の「ディストピア小説の現在」を読むと、G・オーウェルの名をまた目にした。ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の正反対の社会のことで、 ディストピア小説は空想的な未来の形をとって、政治的・社会的な課題を描くものである。オーウェルの『1984』はそのジャンルの代表的な作品で、アメリカではトランプ大統領の就任以後、アメリカの現状もディストピアそのものではないかという思いのため、この作品がアマゾンのベストセラー・リストのトップに躍り出たそうだ。
佐久間は開高健の「あまりにもそこにある——ディストピア文学管見」という 1976 年の評論(『岩波講座 文学 5』所収)を高く評価している。しかし、佐久間は彼の「ウェルズに始まるディストピア小説の系譜はオーウェルまでの約一世紀で終わるのではないか」との予想には、「権力者が発言したことに即して、公的な文書そのものが書き換えられる、というのはいま国民が目にしている日本の現実そのもの」であることから、「その点は当たっていない」と論じる。
佐久間は続いて、桐野夏生が『世界』に連載中の新しいディストピア小説、「日没」を紹介している。そこには、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会(ブンリン)」なる組織があり、作家が読者から「提訴」を受けると、ブンリンからの召喚状によって「療養所」と呼ばれる閉鎖施設に収容され、講習を受けなければならなくなるという。言論・出版の自由を侵す、これに近い状況は、わが国ですでに始まりかけていないだろうか。
オウムの死刑囚 7 名が処刑されたというニュースが流れた昨日、十数年前に買って先日来読んでいる梅田卓夫他編『高校生のための小説案内』(筑摩書房、1988)で偶然読む順番になった一つの作品は、G・オーウェルの「絞首刑」(岩波文庫『オーウェル評論集』中の「絞首刑」全文が引用されている)だった。処刑される囚人を絞首台へ連れて行くのに立ち会った「わたし」は、その囚人が「途中の水たまりを軽く脇へよけた」のを見た。そのことによって、「わたし」は「まだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついた」とある。
今回の 7 名の処刑について、EU 加盟 28 カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが、「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」という共同声明を発表したそうだ。人が人を殺すことの肯定は、戦争の肯定につながる。わが国も死刑制度の廃止を真剣に検討すべきである。
そして、『図書』誌 7 月号で読み残してあった中の一編、文芸ジャーナリスト・佐久間文子の「ディストピア小説の現在」を読むと、G・オーウェルの名をまた目にした。ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の正反対の社会のことで、 ディストピア小説は空想的な未来の形をとって、政治的・社会的な課題を描くものである。オーウェルの『1984』はそのジャンルの代表的な作品で、アメリカではトランプ大統領の就任以後、アメリカの現状もディストピアそのものではないかという思いのため、この作品がアマゾンのベストセラー・リストのトップに躍り出たそうだ。
佐久間は開高健の「あまりにもそこにある——ディストピア文学管見」という 1976 年の評論(『岩波講座 文学 5』所収)を高く評価している。しかし、佐久間は彼の「ウェルズに始まるディストピア小説の系譜はオーウェルまでの約一世紀で終わるのではないか」との予想には、「権力者が発言したことに即して、公的な文書そのものが書き換えられる、というのはいま国民が目にしている日本の現実そのもの」であることから、「その点は当たっていない」と論じる。
佐久間は続いて、桐野夏生が『世界』に連載中の新しいディストピア小説、「日没」を紹介している。そこには、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会(ブンリン)」なる組織があり、作家が読者から「提訴」を受けると、ブンリンからの召喚状によって「療養所」と呼ばれる閉鎖施設に収容され、講習を受けなければならなくなるという。言論・出版の自由を侵す、これに近い状況は、わが国ですでに始まりかけていないだろうか。
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