『広辞苑』第七版の「づらい」の項のある部分。
最近テレビを見ていると、「~づらい」という言い方がしょっちゅう出てくる。似た意味での「~にくい」を聞くことは滅多にない。これは最近著しくなった傾向のように思われる。私は1935年生まれで、自分では「~づらい」を使ったことがない。濁音にラ行の音が続く「~づらい」は、日本語の中ではよくない意味を持つ、あまり美しくない言葉(同類に「ずるい」、「だらしない」、「焦らす」など)に属するような気がして、「聞きづらい」と言いたくなる。これは新しい傾向に「慣れにくい」高齢者のひがみだろうか。
また、「~づらい」は感情に関わる形容詞「辛い」から来ている(上掲のイメージ参照)ので、感情を持たない主語に対して使うのは奇妙に思われる。例えば、「これこれの事態は起こりづらい」というような使い方である。
さらに、客観的な情勢があって「~することが困難である」場合に、「~しづらい」と言えば、その情勢を作り出した政治なり社会的状況なりが免罪されて、問題が単に個人的に「~することが困難な気がしている」ことに矮小化されてしまう恐れがある。したがって、こういう場合に、私は「~づらい」を絶対に使いたくない。
論じれば長くなるが、表記の二つの表現について書いたものは、すでにインターネット上に多数ある。その中の3編のみを、読者のご参考までに以下に引用して、終わりとする。以後「~づらい ~にくい」で検索すれば、この記事も末席に仲間入りすることになろうか。なお、文頭に掲げたイメージにある『広辞苑』第七版の「づらい」の項は、残念ながら「~づらい」と「~にくい」の意味の異同を考える参考には、あまりならない。
2022年12月14日最終改稿
また、「~づらい」は感情に関わる形容詞「辛い」から来ている(上掲のイメージ参照)ので、感情を持たない主語に対して使うのは奇妙に思われる。例えば、「これこれの事態は起こりづらい」というような使い方である。
さらに、客観的な情勢があって「~することが困難である」場合に、「~しづらい」と言えば、その情勢を作り出した政治なり社会的状況なりが免罪されて、問題が単に個人的に「~することが困難な気がしている」ことに矮小化されてしまう恐れがある。したがって、こういう場合に、私は「~づらい」を絶対に使いたくない。
論じれば長くなるが、表記の二つの表現について書いたものは、すでにインターネット上に多数ある。その中の3編のみを、読者のご参考までに以下に引用して、終わりとする。以後「~づらい ~にくい」で検索すれば、この記事も末席に仲間入りすることになろうか。なお、文頭に掲げたイメージにある『広辞苑』第七版の「づらい」の項は、残念ながら「~づらい」と「~にくい」の意味の異同を考える参考には、あまりならない。
- 「~づらい」(×「~ずらい」)と「~にくい」の違いは、『毎日ことば』(2020年)https://mainichi-kotoba.jp/phot20201220[『明鏡国語辞典』の説明を引用している。]
- 「にくい」「つらい」「がたい」の違いについて、『旅する応用言語学』(2020年)https://www.nihongo-appliedlinguistics.net/wp/archives/3992[市川保子『中級日本語文法と教え方のポイント』の説明を引用している。]
- 「~にくい」と「~づらい」、『NHK』(2002年)
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/023.html
[『小学館・日本国語大辞典』などの説明を引用している。]
2022年12月14日最終改稿
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