近くには牧場、その向こうには高だかとそびえる山やま。[ニュージーランド旅行の写真 125; 2004年1月13日]
Random writings of a retired physicist
Continuation of "Ted's Coffeehouse" (now being restored in archives of this site)
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2009年10月31日土曜日
2009年10月30日金曜日
憲法9条集会のお知らせ (Meeting about Article 9)
ピース! ぴーす! PEACE! サインはピース!!
守り広げよう憲法9条
2009年11月1日(日)
□ 会 場:ウエスティホール(堺西文化会館)(JR 阪和線鳳駅下車徒歩5分)
□ 開 会:午後2時10分(開場/午後1時40分)
□ 参加協力費:500円
第1部
○ 野の花合唱団
<指揮:植田 幸雄 ピアノ:豊浦 由美子>
○ うたごえサークル ぐみの木
<指揮:石若 雅弥 ピアノ:田中 多美子>
第2部
○ 今、9条があぶない
講師:安斎 育郎 さん
(立命館大学名誉教授・同大学国際平和ミュージアム名誉館長)
○ 大阪空襲訴訟
原告代表世話人:安野 輝子 さん
□ 主催:西区憲法9条の会全体集会実行委員会
事務局/上田 TEL・FAX 072 (273) 5367
フォックス氷河 3 (Fox Glacier 3)
2009年10月29日木曜日
マウントクック遠望 (A Distant View of Mt. Cook)
2009年10月28日水曜日
2009年10月27日火曜日
フォックス氷河 1 (Fox Glacier 1)
1月13日7時45分、バスでホテルを出発し、グレイマウス駅へ向う。写真中央、手前二つの山の間の向こうにフォックス氷河が見える。同氷河はウェストランド国立公園内にあって、同じ公園内にあるフランツ・ジョセフ氷河と大きさが似ており、距離的にも近くに位置することから、双子の氷河といわれている([1] による)。[ニュージーランド旅行の写真 121; 2004年1月13日]
文献
「フォックス氷河」, ウィキペディア日本語版 [2009年9月25日 (金) 17:37].
2009年10月26日月曜日
モエラキ湖 (Lake Moeraki)
右手、カヒカテアの大木の根元の向こうにモエラキ湖が広がる。この写真を撮ったあとの自由時間に、ホテル裏のモエラキ川からカヤックを漕いでモエラキ湖へ出て、また漕ぎ戻る。夕食後はツチボタルとスターウォッチングのナイトウォーキング。南十字星がきれいに見えた。[ニュージーランド旅行の写真 120; 2004年1月12日]
2009年10月25日日曜日
カヒカテア (Kahikatea)
1億年前の恐竜時代の面影を残す大木・カヒカテア。文献 [1] によれば、学名 Dacrycarpus dacrydioides、ニュージーランド特有の針葉樹。高さ 55 m、幹の直径 1 m にも達し、根は垂直に扁平に発育して地上に露出する。[ニュージーランド旅行の写真 119; 2004年1月12日]
文献
"Dacrycarpus dacrydioides", Wikipedia, the free encyclopedia (17 October 2009 at 14:57).
2009年10月24日土曜日
オシロイバナ (Four O'clock Flower)
オシロイバナ(白粉花): 学名 Mirabilis jalapa、オシロイバナ科の多年草または一年草。花が美しいので観賞用に栽培されるほか、広く野生化もしている。南アメリカ原産で江戸時代始め頃に渡来し、一部は帰化している。花は夕方開き、芳香がある。このため和名としてはユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれるが、この名はアカバナ科のものにも使われているので注意を要する。英語では Four o'clock、中国語では洗澡花(風呂に入る時間から)、煮饭花(夕飯の時間から)などと呼ばれる。種子には粉状の胚乳があり、これからオシロイバナの名がついた(以上 [1] から抜粋)。
花言葉は「内気」「臆病」「柔和」「病気」「あなたを思う」[2]。
夏の間は夕方に開いた花が朝にはしぼんでしまうが、秋になると午前中にも咲き残っている。この点では、ヨルガオに似ている。写真は2009年10月21日午前10時43分、ウォーキング途中で撮影。
文献
2009年10月23日金曜日
2009年10月22日木曜日
タチツボスミレ (Violet)
タチツボスミレ(立坪菫): 学名 Viola grypoceras、スミレ科スミレ属の多年草。日本で、ごく身近に見られるスミレ類の一つ。丸い葉と立ち上がる茎が特徴である。タチツボスミレとスミレは、次の点で違いが見分けられる。
・タチツボスミレ V. grypoceras A. Gray
茎は地中で短いが、成長すると茎は地表に伸びて立ち上がる。葉は始めは根出するが、茎が伸びると葉もそこにつくようになり、丸っこいハート形。花は薄紫。
・スミレ Viola mandshurica W. Becker
茎は地中で短く、立ち上がらない。葉はすべて根出し、細長い矛型。花は濃い紫(以上 [1])。
花言葉は「つつましい幸福」「誠実」[2]。
写真は、さる4月A旅行社主催のバス旅行「三多気(みたけ)の桜と坂本小屋のあまご料理」に参加した折に、あまご料理店・坂本小屋で分けてもらったタチツボスミレ(上に引用した見分け方から、スミレでなく、タチツボスミレだと思う)。来年の春を待たないで、一輪の花を咲かせた。2009年10月20日撮影。
文献
「タチツボスミレ」, ウィキペディア日本語版 [2009年9月25日 (金) 14:36].
「タチツボスミレ(立坪菫)、薄紫色の可愛い花」, 花々のよもやま話 (2008年4月7日).
2009年10月21日水曜日
ヴィヨンの妻 (Villon's Wife)
一昨日、映画『ヴィヨンの妻』を見た。太宰治・原作の小説を、彼の生誕100年にあたって根岸吉太郎監督が映画化し、2009年8月27日から9月7日まで開催された第33回モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞した作品である。人気作家の大谷(浅野忠信が演じる)は、生きることに苦しみ、酒や女に溺れる。その妻・佐知(松たか子)は、夫が酒代を踏み倒した上、現金も盗んで来た小料理屋で働き、放蕩を続ける夫を愛し続ける。——このような夫婦の暮らしが、心に響く調子で描かれている。太宰の生涯を彷彿とさせる。
小説「ヴィヨンの妻」は、青空文庫で公開されている [1] ので、斜め読みしたが、ずいぶん短いものである。ウェブサイト [2] に、
映画化にあたって、ベースとなる「ヴィヨンの妻」に「思ひ出」「灯籠」「姥捨」「きりぎりす」「桜桃」「二十世紀旗手」などの太宰作品のエッセンスを絶妙なバランスで融合。
とあり、納得した。
「ヴィヨン」とは何であるのかも気になっていたが、同じウェブサイトに次の説明があった。
「ヴィヨン」とは…高い学識を持ちながら悪事に加わり、逃亡・入獄・放浪の生活を送ったフランスの、中世末期の近代詩の先駆者フランソワ・ヴィヨンのこと。無頼で放蕩な人の例として使われている。
フランス人の名前ならば、"Villon" とつづるに違いないと思い、これでインターネット検索をすると、ウィキペディア英語版のページ [3] が見つかった。「1431年頃に生まれ1463年頃に死んだフランスの詩人、盗人、放浪者」である旨が記されているのに続いて、長い説明がある。日本語版にも記載されている [4] が、英語版ほど詳しくはない。
文献
太宰治, ヴィヨンの妻, 青空文庫 (新潮文庫版, 1992, 第79刷による).
"François Villon," Wikipedia, the free encyclopedia (6 October 2009 at 02:48).
フランソワ・ヴィヨン, ウィキペディア日本語版 [2009年10月4日 (日) 15:18].
2009年10月20日火曜日
2009年10月19日月曜日
夫婦岩 (A Pair of Rocks, Large and Small)
タスマン海の夫婦岩。かたわらには子ども岩もある。ただし、ニュジーランドではなんと呼ばれているか聞かなかった。[ニュージーランド旅行の写真 117; 2004年1月12日]
ニュージーランドの写真 116 へ
2009年10月18日日曜日
キンモクセイ (Sweet Osmanthus)
キンモクセイ(金木犀): 学名 Osmanthus fragrans var. aurantiacus、モクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹で、ギンモクセイの変種。中国南部が原産で、江戸時代に渡来した。中国では正しくは丹桂がこれに当たるが、一般には桂花の名で呼ばれることがある(以上、 [1] )。花言葉は「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」[2]。
写真は2009年10月16、17日、わが家の庭で。今年は例年より多くの花がついた。
文献
2009年10月17日土曜日
M.Y. 君からの感想(2009年9月分)
M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2009年9月分への感想を10月15日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。
× × ×
「湯川をモデルにした小説 1~4」について
——湯川秀樹の半生の自伝『旅人』には代筆者(あるいは協力者)がいたということを、筆者は先日まで知らなかった。最近になってフリー百科事典『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページ [1] からそのことを知った。同ページの「関連項目」中に、次の記述がある。
澤野久雄 - 湯川の自伝『旅人』の代筆者。その内容を巡って湯川夫妻と対立し、1967年にモデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた。
同事典の「澤野久雄」のページ [2] を見ると、次のように書かれていた。
・湯川秀樹夫妻との確執
澤野は朝日新聞社学芸部の記者を務めていた頃、湯川秀樹の自伝『旅人』を同紙に代筆連載したことがある。このとき、少年時代の秀樹を神童として描くか否かを巡って湯川夫妻と澤野の間に激しい対立が発生した。……(中略)…… このとき夫妻に対して鬱屈するものを感じた澤野は、10年の沈黙の後、1967年4月に『山頂の椅子』を『新潮』に発表した。……(以下略)……
筆者は『山頂の椅子』が単行本 [3] として発行されて間もなく、書店で手に取ってみた記憶がある。しかし、当時のマスメディアには「湯川博士がモデルととれる物理学者の主人公は、妻の尻に敷かれている人物として描かれている」というような評があったので、そういう本は読みたくないと思い、買わないで書棚に戻した。その著者、澤野久雄が『旅人』の代筆者あるいは協力者だったと最近知って、ようやく『山頂の椅子』を読んでみる気になり、古書店で買い求めた。——と話が進められています。
澤野がモデル小説を書いて湯川を激怒させたこと、湯川夫妻との間に激しい対立が発生したことについての真相を明らかにするため、筆者は資料 [4]、[5] を調べ、さらに、『山頂の椅子』をひもときました。その過程が4回にわたって克明に書かれており、興味深く読みました。フリー百科事典『ウィキペディア』の記述に歪められた引用が含まれており、『現代家系論』の記述に正確さを疑わせる個所があったと筆者が指摘していることは、ひるがえって、情報利用については「慎重を期すべし」との警鐘となるでしょう。『山頂の椅子』に対して、小説は事実とは異なるという意味の当然の受け止め方をした上で、「大いに迷惑」という言葉を繰り返している湯川自身と、「別にどうということはございません」というスミ夫人のコメント(資料 [3] 冒頭に記述)には、冷静さと品位が感じられます。
主人公・天堂幸之助(京都の大学の物理教室教授)は、10年前に発表した核融合の研究成果によって、国際的に最も権威ある賞とされるフランスのZ賞を、戦後間もなくわが国で初めて受賞します。小説は、その賞の重さゆえに、天堂が自分と家族を含めた周囲の人びととの間に垣根が出来たように感じ、山頂の椅子に縛りつけられているような思いをも抱くにいたる過程を描いています。筆者の文 2〜4 に散見される見解を以下に順序立ててまとめておきます。
天堂とその妻の生い立ちや家族は、湯川夫妻のそれらによく似てはいるが、天堂の心の動きや実際の行動は、すべて作者の創作である。末尾に近く、天堂の伝記作家が原稿の初めの部分を天童家へ持参して、夫妻と意見の対立するところがある。この部分だけは、澤野自身の『旅人』への協力中の出来事をモデルにしていると思われる。
湯川にもノーベル賞受賞後に、多数の講演・原稿依頼が殺到した煩雑さに加えて、いくらかの孤独感・苦悩がおそったかも知れないが、澤野はそれを大いに誇張した形で、架空の人物・天堂を通して描いたのであり、これはあくまでも虚構の話と見るべきである。——読後このように思ったことからすれば、『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページに、澤野が「モデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた」とあるのは、いささか合点がいかない。
作者自身は『山頂の椅子』がモデル小説であることを否定しているのである [5]。私も主人公の環境の設定は湯川のそれに酷似しているものの、小説の流れは創作であると見た。
主人公・天堂と湯川が作者自身のいう通り全く異なるのであれば、天堂に対して、湯川に似た環境設定をする必要はむしろなかったのである。それにもかかわらず、そういう設定をしたことによって、作者の意図が歪めて受け止められさえすることになったといえよう。
澤野の意図が「書き出しの短いセンテンス」で言い尽くされているとすれば、それを効果的に表現するための環境設定において、彼は安易過ぎる手法を選んだのであり、その結果、湯川に「大いに迷惑」といわせることになった、と私は言いたい。
なお、資料[2]の『ウィキペディア』のページにある文献 [5]『現代家系論』からの引用には、湯川夫妻と澤野の対立を強調する形に歪曲されていることが分かったので、著者は、同ページの『湯川秀樹夫妻との確執』の項を2009年9月3日付けで修正している。
「湯川秀樹」, ウィキペディア日本語版 [2009年7月26日 (日) 14:52].
「澤野久雄」, ibid. [2009年6月29日 (月) 14:31].
澤野久雄, 『山頂の椅子』(新潮社, 1967).
小説『山頂の椅子』と湯川博士の憂鬱」,『サンデー毎日』1967年4月16日号, pp. 22–25.
本田靖春,『現代家系論』pp. 105–106 (文藝春秋社, 1973).
2009年10月16日金曜日
小舟とその搬送系 (The Boat and Its Transport Mechanism)
海岸に引き揚げられている小舟は漁船だろうか。海面まで送り出す装置が備わっているのが、日本では見られないような光景かと思う。[ニュージーランド旅行の写真 (116);2004年1月12日]
ニュージーランド旅行の写真 114, 115 へ
2009年10月15日木曜日
パラダイス・ダック (Paradise Duck)
宿泊したウィルダネス・ロッジの庭にいたニュージーランド原産の鳥、パラダイス・ダック。写真上はオスで、下はメスと子(ニュージーランド旅行の写真 114, 115;2004年1月12日)。
ヨーロッパ人が移住する前のニュージーランドではこの鳥は少なく、マオリ人たちは繁殖期をさけて狩猟していた。ヨーロッパ人の定住後、多くの森が牧場に変ってこの鳥の生育環境に影響したが、猟師たちが池で飼料を与え始めたので大いに増殖したという [1] 。
ニュージーランドの写真 113 へ
文献
"Paradise Shelduck", Wikipedia, the free encyclopedia (11 October 2009 at 11:41).
2009年10月14日水曜日
アンディさんのロッジ (Andy's Lodge)
マタケタケの森などを案内して貰ったエコガイド、アンディさんがこちらで仕事をするときに暮らすロッジ。[ニュージーランド旅行の写真 (113);2004年1月12日]
ニュージーランドの写真 (112) へ
2009年10月13日火曜日
クロッカス (Crocus)
クロッカス(英名:crocus)は、アヤメ科クロッカス属の総称、または、クロッカス属の内で花を楽しむ園芸植物の流通名。早春に花が咲き、春サフラン、花サフランなどとも呼ばれる。([1] による。)写真はわが家の庭に咲いたクロッカスと思われる花、2008年10月10日撮影。早春に咲くべき花が、なぜいまごろ?
以上は旧版 Ted's Coffeehouse に2008年10月12日に掲載した文である(下に引用のウィキペディアのページの日付は現在の表示に更新した;Ted's Coffeehouse はプロバイダーに障害が発生してアクセス出来ないが、マックのハードディスク上の控えを「スポットライト」で検索した)。
上掲の写真は、今年、奇しくも同じ頃の、昨10月11日に撮影したものである。この時期に咲く場所は、決まってわが家の北西の隅である。南側の庭においてあるプランターでは、春に多くのクロッカスが咲く。そのプランターからあふれた球根を北西の隅に移植したものと思う。
文献
「クロッカス」, ウィキペディア日本語版 [2009年10月3日 (土) 05:24].
2009年10月12日月曜日
2009年10月11日日曜日
コルチカム (Naked Lady)
コルチカム: イヌサフランを園芸用に品種改良したものはコルチカム(コルヒカム、コルキカムとも)ということが多い。球根草であるが、球根を土に植えなくても秋になると花が咲くという変わった性質がある。葉は開花後に出てくる(英名 naked lady は、このように葉のない状態で花が咲くことから来ている)。日当たりのよい室内などに球根を置いて、花を鑑賞してから土に植えても全く問題はない。(以上、 [1] による)。花言葉は「永続」「頑固」「楽しい思い出」「悔いなき青春」「華やかな美しさ」[2]。
写真は10月6日、わが家の庭で。
文献
- 「イヌサフラン」, ウィキペディア日本語版 [2009年9月30日 (水) 20:26].
- 「イヌサフラン(コルチカム)」, 花言葉事典.
2009年10月10日土曜日
言葉へのノーベル平和賞? (Nobel Peace Prize for Words?)
[概要]オバマ大統領に2009年のノーベル平和賞というニュースを聞いたとき、私はいささか早過ぎるように思ったが、同様な質問は授賞発表の記者会見でも出ている。オバマ氏は今後、提起した課題を実現に向けて動くことが大いに期待される。[本文(英文)へ]
2009年10月9日金曜日
私の最初の著書 (My First Book)
[概要]学術書でない私の最初の著書が出来上がった。"Passage through Spacetime: Random Writings of a Physicist" と題する英文の自費出版書である。[本文(英文)へ]
2009年10月8日木曜日
バランスの考慮 (The Consideration of Balancing)
[概要]2009年のノーベル物理学賞は、光ファイバーによる長距離通信の先駆的研究をしたチャールズ・カオ博士と、光を電気信号に変えて画像化する電荷結合素子(CCD)を開発したウィラード・ボイル博士、ジョージ・スミス博士に贈られることになった。昨年のノーベル物理学賞が日常生活に関わりの薄い理論的研究に対して与えられたのに比べれば、今年の授賞は私たちのごく周辺にあるものへの応用に関連しており、ノーベル物理学賞委員会の深いバランス考慮がうかがわれる。[本文(英文)へ]
2009年10月7日水曜日
ブッソウゲ (Chinese Hibiscus)
ブッソウゲ(仏桑花): 学名 Hibiscus rosa-sinensis、英名 rose of China、Chinese hibiscus、shoe flower。アオイ科フヨウ属の低木。 扶桑花、朱槿、桑槿とも。沖縄では赤花ともいう。ハイビスカスともいうが、フヨウ属の学名・英名が Hibiscus であることから、この名前は類似のフヨウ属植物を漠然と指すこともあって、複雑なアオイ科の園芸種群の総称ともなっている。
原産地は不明であるが、中国南部原産との説や、インド洋諸島で発生した雑種植物であるとの説もある。本土への渡来は、慶長年間(1610年頃)に薩摩藩主島津家久が琉球産ブッソウゲを徳川家康に献じたのが最初の記録として残っているという(以上、 [1] による)。花言葉は「常に新しい美」「勇ましさ」「勇敢」「新しい恋」「繊細な美」「上品な美しさ」「華やか」[2]。
写真は2009年10月6日、わが家の植木鉢に咲いたもの。今年はこの日にようやく一輪開いた。
文献
2009年10月6日火曜日
マタケタケの森で 6 (Mataketake Forest 6)
森の中の池とその周辺。[ニュージーランド旅行の写真 (112);2004年1月12日]
ニュージーランドの写真 (111) へ
2009年10月5日月曜日
2009年10月4日日曜日
中秋の名月 (Mid-Autumn Festival)
2009年の中秋の名月は、昨10月3日だった。当地の空は薄雲が広がっていたが、いったん隠れた月も、まもなくまた顔を出すだろうと期待出来る、希望に満ちた宵であった。写真は2階の窓から21時42分に撮影。
2009年10月3日土曜日
2009年10月2日金曜日
イチョウ (Ginkgo)
イチョウ(銀杏、公孫樹): 学名 Ginkgo biloba、裸子植物門イチョウ綱の中で唯一の現存種。中国原産。人為的な移植により世界中に分布しており、年平均気温が 0~20°Cの、降水量 500~2000 mm の地域に分布している。イチョウの実(正式には種子)は銀杏(ぎんなん、ぎんきょう)といい、殻を割って調理される(木自体のことも「銀杏」と書くが、この場合は「イチョウ」と読む)。
西洋語での表記 "Ginkgo" は、西洋人が「ぎんきょう」を聞こえたままに書き写したもの (Ginkyo) を誤記したものである。ただし、ヨーロッパの一部では kgo と書いて kyo と読む地域があることから、誤りではないという説もある(以上、 [1] を参考にした)。花言葉は「鎮魂」 「長寿」「しとやか」[2]。
写真は2009年月23日、ウォーキング途中で。
文献
2009年10月1日木曜日
奈良での同窓会 (The Reunion in Nara)
[概要]石川県立金沢菫台高校新聞クラブの同窓会「菫台時報の会」は,金沢市内、関東または関西で毎年会合を開いており、2009年の会合がこのほど奈良で開催された。[本文(英文)へ]