2009年10月17日土曜日

M.Y. 君からの感想(2009年9月分)

 M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2009年9月分への感想を10月15日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。

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「湯川をモデルにした小説 1~4」について

 ——湯川秀樹の半生の自伝『旅人』には代筆者(あるいは協力者)がいたということを、筆者は先日まで知らなかった。最近になってフリー百科事典『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページ [1] からそのことを知った。同ページの「関連項目」中に、次の記述がある。

 澤野久雄 - 湯川の自伝『旅人』の代筆者。その内容を巡って湯川夫妻と対立し、1967年にモデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた。

同事典の「澤野久雄」のページ [2] を見ると、次のように書かれていた。

 ・湯川秀樹夫妻との確執
 澤野は朝日新聞社学芸部の記者を務めていた頃、湯川秀樹の自伝『旅人』を同紙に代筆連載したことがある。このとき、少年時代の秀樹を神童として描くか否かを巡って湯川夫妻と澤野の間に激しい対立が発生した。……(中略)…… このとき夫妻に対して鬱屈するものを感じた澤野は、10年の沈黙の後、1967年4月に『山頂の椅子』を『新潮』に発表した。……(以下略)……

 筆者は『山頂の椅子』が単行本 [3] として発行されて間もなく、書店で手に取ってみた記憶がある。しかし、当時のマスメディアには「湯川博士がモデルととれる物理学者の主人公は、妻の尻に敷かれている人物として描かれている」というような評があったので、そういう本は読みたくないと思い、買わないで書棚に戻した。その著者、澤野久雄が『旅人』の代筆者あるいは協力者だったと最近知って、ようやく『山頂の椅子』を読んでみる気になり、古書店で買い求めた。——と話が進められています。

 澤野がモデル小説を書いて湯川を激怒させたこと、湯川夫妻との間に激しい対立が発生したことについての真相を明らかにするため、筆者は資料 [4]、[5] を調べ、さらに、『山頂の椅子』をひもときました。その過程が4回にわたって克明に書かれており、興味深く読みました。フリー百科事典『ウィキペディア』の記述に歪められた引用が含まれており、『現代家系論』の記述に正確さを疑わせる個所があったと筆者が指摘していることは、ひるがえって、情報利用については「慎重を期すべし」との警鐘となるでしょう。『山頂の椅子』に対して、小説は事実とは異なるという意味の当然の受け止め方をした上で、「大いに迷惑」という言葉を繰り返している湯川自身と、「別にどうということはございません」というスミ夫人のコメント(資料 [3] 冒頭に記述)には、冷静さと品位が感じられます。

 主人公・天堂幸之助(京都の大学の物理教室教授)は、10年前に発表した核融合の研究成果によって、国際的に最も権威ある賞とされるフランスのZ賞を、戦後間もなくわが国で初めて受賞します。小説は、その賞の重さゆえに、天堂が自分と家族を含めた周囲の人びととの間に垣根が出来たように感じ、山頂の椅子に縛りつけられているような思いをも抱くにいたる過程を描いています。筆者の文 2〜4 に散見される見解を以下に順序立ててまとめておきます。

 天堂とその妻の生い立ちや家族は、湯川夫妻のそれらによく似てはいるが、天堂の心の動きや実際の行動は、すべて作者の創作である。末尾に近く、天堂の伝記作家が原稿の初めの部分を天童家へ持参して、夫妻と意見の対立するところがある。この部分だけは、澤野自身の『旅人』への協力中の出来事をモデルにしていると思われる。

 湯川にもノーベル賞受賞後に、多数の講演・原稿依頼が殺到した煩雑さに加えて、いくらかの孤独感・苦悩がおそったかも知れないが、澤野はそれを大いに誇張した形で、架空の人物・天堂を通して描いたのであり、これはあくまでも虚構の話と見るべきである。——読後このように思ったことからすれば、『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページに、澤野が「モデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた」とあるのは、いささか合点がいかない。

 作者自身は『山頂の椅子』がモデル小説であることを否定しているのである [5]。私も主人公の環境の設定は湯川のそれに酷似しているものの、小説の流れは創作であると見た。

 主人公・天堂と湯川が作者自身のいう通り全く異なるのであれば、天堂に対して、湯川に似た環境設定をする必要はむしろなかったのである。それにもかかわらず、そういう設定をしたことによって、作者の意図が歪めて受け止められさえすることになったといえよう。

 澤野の意図が「書き出しの短いセンテンス」で言い尽くされているとすれば、それを効果的に表現するための環境設定において、彼は安易過ぎる手法を選んだのであり、その結果、湯川に「大いに迷惑」といわせることになった、と私は言いたい。

  なお、資料[2]の『ウィキペディア』のページにある文献 [5]『現代家系論』からの引用には、湯川夫妻と澤野の対立を強調する形に歪曲されていることが分かったので、著者は、同ページの『湯川秀樹夫妻との確執』の項を2009年9月3日付けで修正している。


  1. 「湯川秀樹」, ウィキペディア日本語版 [2009年7月26日 (日) 14:52].

  2. 「澤野久雄」, ibid. [2009年6月29日 (月) 14:31].

  3. 澤野久雄, 『山頂の椅子』(新潮社, 1967).

  4. 小説『山頂の椅子』と湯川博士の憂鬱」,『サンデー毎日』1967年4月16日号, pp. 22–25.

  5. 本田靖春,『現代家系論』pp. 105–106 (文藝春秋社, 1973).

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