2013年10月16日水曜日

2013年9月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of September 2013)

[The main text of this post is in Japanese only.]


当地・堺でも稲刈り風景が見られる。2013 年 10 月 12 日、ウォーキング途中で撮影。
. The photo was taken on my way of walking exercise on October 12, 2013.

2013年9月分記事へのエム・ワイ君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 9 月分への感想を 2013 年 10 月 14 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 「鏡の謎」をめぐって:M・K 先生へ
 「鏡の謎」とは、古来いわれている「鏡はなぜ左右を逆にし、上下を逆にしないか」という疑問である。最近、名古屋工業大学名誉教授の M・K 先生(ご専門は化学)が、日本科学者会議大阪支部の哲学研究会で「『右と左』—対称、鏡、旋光性、らせん—」と題する講演をされることを知り、私も鏡においての「右と左」に興味を持っている(詳しくはこちら参照)ことをお知らせし、メールで若干の意見交換をして来た。以下は、きょう M・K 先生へ送ったメールである。
と述べ、K 先生からのメールに対して、いくつかのコメントをしています。

 「詳しくはこちら参照」なる文献は、吉村浩一著『鏡の中の左利き』(2004年発行)の巻末にある「-物理屋のコメント」のことです。吉村氏は同書の「はじめに」において、次のように述べています。
多幡先生達は[…]高野先生の “多重プロセス理論” に対し、3つの場合分けなど必要なく、鏡像問題は単一メカニズムで説明可能とする説を、高野先生が発表されたのと同じ英文心理学雑誌に寄稿されていた (Tabata & Okuda, 2000)。しかもその法則性は、心理学での議論を必要とせず、物理学的に説明できると主張された[(…)]。筆者は、多幡先生からお考えを直接うかがい、先生にも筆者の行ってきた逆さめがね研究と鏡の問題の関連性をお話しした。拙著『逆さめがねの左右学』での鏡像問題に関する解説は、基本的に多幡先生のお考えと一致するものであり、先生からのご示唆を取り込んで組み立てたものであった。[…]多幡先生には、物理学レベルの説明と心理学レベルの説明を曖昧なままにはできないことを教えていただいた。
このような経緯で、上記の文献は巻末に収められたものです。

 筆者は「-物理屋のコメント」の「1.5 鏡映変換」の節で、
物理学の基礎である力学の学習のごく始めに、立体幾何学や物理学でよく使われる右手直交座標系というものを学ぶ。この座標系に対して、座標軸の 1 本(あるいは 3 本とも)を逆向きにする変換を施すと左手直交座標系が得られ、この変換は数学的には、行列式の値が -1 になる行列で表すことができる。この変換が「鏡映(reflection)」と呼ばれていることが重要なのである。
として、鏡映変換を図解説明し、「右手直交座標系から左手直交座標系への変換を鏡映と呼ぶことが納得できるであろう」と解説しています。以上のことを念頭において、このブログ記事中のコメントを読むと、筆者が何を問題にしているのか理解できます。

2. 第56回新象展 大阪展
 快晴の一昨日、大阪市立美術館で開催中の「第 56 回新象展 大阪展」を見に行った。大連の小学校での私の同期生、S・Y さんが新象作家協会の会員で、毎年、招待葉書を貰うのである。[…]
 新象展は、[…]抽象絵画を中心に、抽象造形作品も含む展覧会である。[…]
 S・Y さんの作品は "DAIREN - (FUKUSHIMA) 2013" と題されている。"DAIREN" は彼女の出生の地への思いを込めて、毎年の作品の題名に含まれている。そこへ、東日本大震災のあと、"(FUKUSHIMA)" が加わるようになった。[…]
 今回は、寒色も混じるものの、比較的穏やかな色合いという感じがした。中心付近の小円は深く沈み込んでいる趣きがあり、そこから左上にかけて尖った先端部を持つ曲線が、飛翔しているかのように描かれていた。そこで、中央の円形が溶融炉心を連想させ、左上へ延びる曲線は、溶融した炉心からの放射性物質というよりは、原子炉事故の失敗を補う、わが国のロケット技術を象徴するかのように思われたということと、私の思いは勝手なものかも知れないが、いろいろな想像を楽しくめぐらせて貰える作品と見受けたことを感想としてメールで書き送った。合わせて、目下、漱石の『草枕』を再々読して、抽象絵画のまだ現れていなかった時代に漱石の描いた主人公が、「抽象的な興趣」を絵にしたいと望んだことを興味深く思っていることを記した。S・Y さんからの返信には、そういう意図で描いたものではないが、そういう思いを抱いたことはある旨のことが書かれていた。
と述べられています。

 私も S・Y さんのブログで出展作品を鑑賞し、画歴豊かで美しい色彩の大作だと感じました。絵の前に立たれた彼女は、長年絵画に打ち込んでいらっしゃるせいか、大変若々しいです。私は、炉心溶融した原子炉から放射性核種が飛散し、風に流されて飯館村の方向へ拡散している様子を思い浮かべました。『草枕』の主人公が「抽象的な興趣」を絵にしたいと望んだくだりを、筆者が付記されことは、S・Y さんに参考になることと思います。ご多忙の中、毎年絵画展を鑑賞に出かけられ、日をおかず適切なコメントを書かれる筆者の律儀さに感心しています。

3. エム君へ:オニュー君のことなど再びエム君へ:読書のことなど

 中学校の 2、3 年だけ同じ学校にいてもクラスが一緒だったことがなく、筆者の高校時代の親友を通じて親しくなった、とのことながら、中学時代の共通の記憶や思い出、友達との交友、読書などについて語り合える友人があることは稀有のことであり、楽しみでもあることと拝察し、興味深く拝見しました。
 メール2通、ありがとうございます。とりあえず、きょうのメールについて返事をしたためます。特に、「不思議なのは野球をやっておられたわけでもない貴君が小学 6 年の時の他校チームの選手の綽名を高校生になってまで覚えておられたということです」にお答えするためです。
と始まります。そして、「ブログ Ted's Archives の検索窓で "Onew" を検索すると、[…]貴君が想像されたように、ニックネームを覚えていたのかもしれません」と几帳面に過去の事実を検証しています。また、「男子は、女の子に関心を持ち始める少し前に、格好のいい男の子に憧れを感じる時期があったりします。(貴君にはそういう経験はありませんでしたか。作家の三島由紀夫の場合、そういう精神状態が長く続いて、『仮面の告白』や『禁色』などの作品を生み出したようです。)」と筆者の体験を述べ、「それから間もなく女の子の方に関心が移りました(ハハハ)が、格好のいい一塁手を見ると、N 君に対して抱いたような気持はもう起こらないものの、ある程度の関心を持ったのだと思います」と、告白的説明をしています。

 「私は、引き揚げ前にいた大連嶺前小の野球チームが強かったので、大の野球ファンになりました。そして、引き揚げ後に入った石引小も、たまたま大いに強かったので、石引小の試合はたいてい応援に行ったのです」とも述べられています。野球がはやって皆が野球の遊びに熱中し始めたのは、敗戦後の 1946 年以降だったと記憶しています。大連時代の小学校に野球チームがあったことは、いささかか驚きでした[引用者注:大連での野球の話も、敗戦後の 1946 年のことです。同年秋には学校が閉鎖になり、翌 1947 年に内地への引き揚げが始まったので、僅かの期間だけでしたが]。

 第 2 信では、「貴君の『読んでおきたい本』のリストが、なかなか渋いものであることに感服しました。それでも、私の興味と重なるところがないではありません」と述べ、筆者の経験について語っています。高尚な文通だと思いました。

 第 1 信に戻り増すが、「スタンダールの作品の件ですが、インターネット検索すると、"Le Rose et le vert" というのがあり、英訳では "Pink and Green" となっています。これが貴君の書かれた『赤と緑』だと思います。グルノーブルは風光明媚とのこと、ツイッターとフェイスブック上での私の友人、キアラ・マイエロンさんがグルノーブルの研究所にいたときに自分の住まいから早朝に撮った写真を一枚見せてくれたことがあり、近くに山のある、とても素晴らしい風景だったのを思い出しました」と "Le Rose et le vert" についての調査結果などを述べています。『薔薇色と緑』は私も知りませんでした。キアラ・マイエロンさんについては、本ブログに時々登場した馴染みある方です。彼女のその時々の心情を伝える巧みで美しい写真が印象的でした。

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