播磨良子さん。1961 年 11 月、大放研で開催した彼女の送別会席上で。
Yoshiko Harima on the occasion of the farewell party for her at the Radiation Center of Osaka Prefecture, in November 1961.
放射線遮蔽分野の研究者として知られる播磨(旧姓・増田)良子さんが、2015 年 1 月 1 日に亡くなられたとの知らせを 1 月末にご長男から貰った。
播磨さんは私の京大理学部物理学科の 4 年先輩に当たるが、私が同学科の原子核実験・木村研究室の修士課程 1 年に在学中の 1958 年秋、同研究室へ研修生として参加された。湯川研究室で理論を学んだ彼女が、大阪府立放射線中央研究所(大放研)へ就職する準備のためだったのである。私はそうとも知らないまま、翌年、同じ大放研への就職を決め、翌々年(1960年)、一緒に就職することになった。
大放研では、同じ第一部(物理部門)に所属し、課は異なったが、居室は当初、第一部内の三つの課のメンバー全員が一つの大部屋を使っていた。播磨さんは放射線応用課でガンマ線を使う仕事をされ、私は放射線線源課で電子線を使う仕事をしていた。大放研に 1 年 8 カ月足らずおられたのち、播磨さんは結婚して東京工大へ移られた。木村研時代から 3 年あまり、私は常時、播磨さんの聡明で朗らかな話し声(京都弁での)に接してきた次第である。
播磨さんは東京工大でガンマ線ビルドアップ・ファクターの経験式作成を進められ、他方、私は電子線の物質透過に関するいろいろな経験式を作成するようになった。対象はガンマ線と電子線と異なっていながらも、経験式作成という共通性のある仕事上、しばしば交流させて貰い、得るところが多かった。また、東工大の図書館には、自分の論文を引用してくれた論文を調べるのに便利な雑誌 "Science Citation Index" があることを彼女に教えて貰ったので、阪府大在職中には、東京での学会に出席した折に大抵その雑誌を見に行き、彼女の都合がつく時には会って話して来てもいた。
近年、播磨さんは大阪で開催される大放研 OB & OG 会にほとんど欠かさず参加され、その折ごとに楽しく話をさせて貰った。昨年 5 月に同会でお目にかかったのが最後となった。その時、 A・M 君や私の日本物理学会誌への投稿のことを話して、後日私の投稿の掲載ページのコピーをメールで送ったが、返信はなく、東京へ帰られてから体調がよくないのかとも思っていたのだった。
アメリカ原子力学会賞を受賞された播磨さんのすばらしい業績は、放射線遮蔽関連分野で末長く役立つことであろう。晩年には、放射線物理教育にも熱心に取り組んでおられたようである。長年のご好誼に深く感謝し、ご冥福を祈る。
私は播磨さんの受賞対象となった論文を正確には知らない。グーグル・スカラーの検索で引用頻度の高い順に出た彼女の論文 5 編を以下に記しておく。
追記(2015 年 3 月 5 日)
播磨さんが受けられた賞の詳細について、高エネルギー加速器研究機構の放射線遮蔽グループに所属して長年播磨さんと共同研究をして来られた平山英夫氏に尋ねたところ、播磨さんがその受賞について書かれた記事、『核データニュース』No. 41, pp. 1–11 (1992) のデジタルコピーを送って下さった(私も日本原子力研究開発機構からの受託研究をしていた関係で、当時『核データニュース』の配布を受けていたので、かつて、それを読んだことがあるのを、翌日になってようやく思い出した)。その記事によれば、播磨さんが受賞されたのは、"American Nuclear Society 1991 Radiation Protection and Shielding Division Professional Excellence Award" である。
上記の記事には、その賞の歴代受賞者の紹介や授賞式の様子から、多くの人々の協力で進められたガンマ線ビルドアップ・ファクターの研究のことまでが詳しく述べてあり、文末には 25 編の関連論文が記載されている。播磨さんが中心になってまとめられたビルドアップ・ファクターは、"ANSI/ANS-6.4.3-1991: Gamma-Ray Attenuation Coefficients & Buildup Factors for Engineering Materials" に採用されたということである。
播磨さんは私の京大理学部物理学科の 4 年先輩に当たるが、私が同学科の原子核実験・木村研究室の修士課程 1 年に在学中の 1958 年秋、同研究室へ研修生として参加された。湯川研究室で理論を学んだ彼女が、大阪府立放射線中央研究所(大放研)へ就職する準備のためだったのである。私はそうとも知らないまま、翌年、同じ大放研への就職を決め、翌々年(1960年)、一緒に就職することになった。
大放研では、同じ第一部(物理部門)に所属し、課は異なったが、居室は当初、第一部内の三つの課のメンバー全員が一つの大部屋を使っていた。播磨さんは放射線応用課でガンマ線を使う仕事をされ、私は放射線線源課で電子線を使う仕事をしていた。大放研に 1 年 8 カ月足らずおられたのち、播磨さんは結婚して東京工大へ移られた。木村研時代から 3 年あまり、私は常時、播磨さんの聡明で朗らかな話し声(京都弁での)に接してきた次第である。
播磨さんは東京工大でガンマ線ビルドアップ・ファクターの経験式作成を進められ、他方、私は電子線の物質透過に関するいろいろな経験式を作成するようになった。対象はガンマ線と電子線と異なっていながらも、経験式作成という共通性のある仕事上、しばしば交流させて貰い、得るところが多かった。また、東工大の図書館には、自分の論文を引用してくれた論文を調べるのに便利な雑誌 "Science Citation Index" があることを彼女に教えて貰ったので、阪府大在職中には、東京での学会に出席した折に大抵その雑誌を見に行き、彼女の都合がつく時には会って話して来てもいた。
近年、播磨さんは大阪で開催される大放研 OB & OG 会にほとんど欠かさず参加され、その折ごとに楽しく話をさせて貰った。昨年 5 月に同会でお目にかかったのが最後となった。その時、 A・M 君や私の日本物理学会誌への投稿のことを話して、後日私の投稿の掲載ページのコピーをメールで送ったが、返信はなく、東京へ帰られてから体調がよくないのかとも思っていたのだった。
アメリカ原子力学会賞を受賞された播磨さんのすばらしい業績は、放射線遮蔽関連分野で末長く役立つことであろう。晩年には、放射線物理教育にも熱心に取り組んでおられたようである。長年のご好誼に深く感謝し、ご冥福を祈る。
私は播磨さんの受賞対象となった論文を正確には知らない。グーグル・スカラーの検索で引用頻度の高い順に出た彼女の論文 5 編を以下に記しておく。
- Yoshiko Harima, "An historical review and current status of buildup factor calculations and applications." Radiat. Phys. Chem. Vol. 41, p. 631 (1993).
- Yukio Sakamoto, Shun-ichi Tanaka and Yoshiko Harima, "Interpolation of gamma-ray buildup factors for point isotropic source with respect to atomic number." Nucl. Sci. Eng. Vol. 100, p. 631 (1988).
- Yoshiko Harima, Shun-ichi Tanaka, Yukio Sakamoto and Hideo Hirayama, "Development of new gamma-ray buildup factor and application to shielding calculations." J. Nucl. Sci. Tech. Vol. 28, p. 74 (1991).
- Yoshiko Harima and Hideo Hirayama, "Detailed behavior of exposure buildup factor in stratified shields for plane-normal and point isotropic sources, including the effects of bremsstrahlung and fluorescent radiation." Nucl. Sci. Eng. Vol. 113, p. 367 (1993).
- Yoshiko Harima and Yasushi Nishiwaki, "An approximate transmission dose buildup factor for stratified slabs." J. Nucl. Sci. Tech. Vol. 6, p. 711 (1969).
追記(2015 年 3 月 5 日)
播磨さんが受けられた賞の詳細について、高エネルギー加速器研究機構の放射線遮蔽グループに所属して長年播磨さんと共同研究をして来られた平山英夫氏に尋ねたところ、播磨さんがその受賞について書かれた記事、『核データニュース』No. 41, pp. 1–11 (1992) のデジタルコピーを送って下さった(私も日本原子力研究開発機構からの受託研究をしていた関係で、当時『核データニュース』の配布を受けていたので、かつて、それを読んだことがあるのを、翌日になってようやく思い出した)。その記事によれば、播磨さんが受賞されたのは、"American Nuclear Society 1991 Radiation Protection and Shielding Division Professional Excellence Award" である。
上記の記事には、その賞の歴代受賞者の紹介や授賞式の様子から、多くの人々の協力で進められたガンマ線ビルドアップ・ファクターの研究のことまでが詳しく述べてあり、文末には 25 編の関連論文が記載されている。播磨さんが中心になってまとめられたビルドアップ・ファクターは、"ANSI/ANS-6.4.3-1991: Gamma-Ray Attenuation Coefficients & Buildup Factors for Engineering Materials" に採用されたということである。