2015年2月1日日曜日

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 5 (M.Y's Comments on My Blog Posts until January 1, 2015 -5-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


寒い日のウォーキング途中、神社の灯篭のあかりに引き寄せられた。
2015 年 1 月 13 日撮影。
In the course of walking on a cold day, I was attracted to the light of a lantern in the shrine.
The photo was taken on January 13, 2015.

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 5

 M・Y 君から貰った "Ted's Coffeehouse 2" 2015 年 1 月 1 日までの記事への感想の続きを紹介する。



3. A・M 君へのメール

(2) 2014 年 12 月 11 日付け返信
A・M 君
 一昨日はご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございました。その中に、来月、NPO法人「あいんしゅたいん」主催の講演会で日本とドイツの原爆研究についてお話をされるとありましたので、以前 online で購入しました "Scientific American" 誌の特集号 "The Science of War: Nuclear History" (2002) のコピーを圧縮ファイルでお送りします。多少なりともご参考になるところがあれば幸いです。
 T・T
 ここで言うドイツの原爆研究とは、M 君が日本物理学会誌 Vol. 69, No. 4, p. 227 (2014) の「歴史の小径」に投稿された「ハイゼンベルグ原子炉の謎」に関することと思います[引用者の注:「ハイゼンベルグ」と「ハイゼンベルク」の表記が混在しますが、それぞれ M・Y 君の引用先原文のままとなっています]。5 月 21 日付けの『サイエンスポータル』に「臨界寸前だったハイゼンベルク原子炉」という記事で紹介されていました。この記事の要所を紹介します。
 ウラン核分裂は 1938 年末にドイツで発見された。その直後に起こった第 2 次世界大戦中ナチスが原爆を開発するのではないか、という恐怖が米英の連合国に強かった。それが米国の原爆開発の誘引になったことはよく知られている。ドイツが原爆を開発するとなれば、その中心人物とみられていたのは、量子力学の建設者で、不確定性原理を提唱した理論物理学者のハイゼンベルクだった。ハイゼンベルクらは、ドイツ南西部の山間の美しい山あいの町、ハイガーロッホにある教会の地下の洞窟に重水炉を建設し、終戦直前の 45 年 2 月末に実験したが、核分裂の連鎖反応が維持する臨界に達しなかった。ナチスの降伏直前に米国が送り込んだアルソス特殊部隊によって 45 年 4 月に、近くの畑に埋められているのを接収され、徹底的に調べられた。現在は再現された炉心が現地の博物館で公開されている。M 氏らは、この構造をもとに計算して、原子炉がほんの少し大きければ、臨界に達していたとする結果をまとめ、日本物理学会誌 4 月号に連名で「ハイゼンベルグ原子炉の謎」とし題して報告している。第 2 次世界大戦前から、重水のほとんどはノルウエーのリューカンにある工場で製造され、備蓄されていた。原爆開発と関連して、この重水は最も重要な戦略物質となり、連合国とナチスの間で激しい争脱戦が繰り広げられた。1943 年 2 月に実際にあったノルウエーの 6 人の決死隊による爆破作業はカーク・ダグラス主演の映画「テレマークの要塞」にも描かれた。こうした連合国側の必死の重水阻止作戦が奏功し、ハイゼンベルク原子炉の臨界を止めたといえる。ハイゼンベルクが 1941 年秋にコペンハーゲンのボーア宅を訪れて会談した実話は 89 年に戯曲「コペンハーゲン」に描かれ、日本も含め世界中で上演された。ドイツの原爆計画や大戦中のハイゼンベルクの活動は、本人が多くを語らなかったこともあり、謎がまだ多いと M 氏は話している。

 M 君は「ハイゼンベルグ原子炉の謎」において、次のようなことも述べています。
一方ボーアは上記の書簡で、ハイゼンベルグが『ドイツは必ず勝利する。また我々は原爆を開発するためあらゆる手段を取っている』と述べたことに衝撃を受けた」と記している。さらに「『ハイゼンベルグがナチス当局と共謀し、おそらく両陣営に科学者たちがそれぞれの政府に従わない合意を提案するふりを装って連合国の原子爆弾開発計画を頓挫させるためボーアを巧みに操ろうとする含みがあったとボーアは解釈している』とアクゼルは記している。ハイゼンベルグがこの会談で何を目的として何を述べたかは歴史上の大きな謎としていまだに残されたままである。
 M 君は本稿の執筆について、私信で「ハイゼンベルグと言えば物理学を学んだ人には almost God のように思われていますので、手に余るテーマでしたが、京大原子核工学の K さんに原子炉物理学を教えてもらい、I 君にモンテカルロの計算をしてもらって、やっと書き上げることが出来た次第です。短い文章でしたが、随分時間がかかってしまい、思いのほか苦労しました」と述懐していました。

 筆者から M 君に送られた "Scientific American" 誌の特集号 "The Science of War: Nuclear History" は、 事実を真摯に探究される M 君になんらかの参考となることでしょう。(完)

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