2015年2月12日木曜日

「いきぶ」:幼児期の思い出 ("Ikibu": Memories of My Childhood)

[The main text of this post is in Japanese only.]


春を待つ桜並木。
Cherry trees waiting for spring.

 さる 2 月 7 日(土)の午後、フジテレビで『デューク・エイセス 冬の心を歌う』という番組があり、最後に相馬御風・作詞、弘田龍太郎・作曲の「春よ来い」が歌われた。♩春よ来い 早く来い/あるきはじめた みいちゃんが/…♩という歌詞である。

 私が 4、5 歳の頃から 9 歳まで住んでいた N 市の家の隣にも「みいちゃん」という、同い年の女の子がいて、小学校へ入る前には、よく一緒に遊んだ。近くに同年齢の男の子がいなかったことや、私が体が弱くて、静かな遊びを好んだことも原因となって、他にも二人の近所の女の子たちとよく遊んでいた。

 そのため、遊ぶときには、彼女たちに合わせて、「わたし」を一人称として使っていた。小学校(当時は「国民学校」といった)入学後まもなく、教室で休み時間にふと、「わたし」を使ったところ、ませた女の子たちから、「男の子は自分のことを、"ぼく" というのよ。いってごらん」などといわれた。

 次の機会にその子たちの前で自分のことをいうのに、「わたし」を使うまいと緊張したあまりだろうか、家で使っていた幼児語の一人称を、つい飛び出させてしまった。それは「いきぶ」という言葉だった。今度は、ませた女の子たちから、「自分のことを、面白い言葉でいったわね。なんといったの。もう一度いってごらん」などといわれた。私は幼稚園へ行かなかった(当時は小学校入学前に、皆が幼稚園へ行くとは限らなかった)ので、とてもウブな新一年生だったのだ。

 2004〜2005 年に NHK TV で「あなたも挑戦! ことばゲーム」という番組があり、その中に「ブヌヌでバナナ」というコーナーがあった。日本語の単語の各文字を、五十音表の上あるいは下へ一文字あるいは二文字ずつずらせて聞かされる言葉から、元の言葉を早く当てることを競うゲームである(果物、スポーツなどのヒントがあらかじめ与えられる)。

 「いきぶ」は、母か兄が私のことをいった「赤ん坊」の「あかぼ」の部分に対して、「ブヌヌでバナナ」のゲームに似た変化をさせたものである。いや、「ブヌヌでバナナ」式の規則正しい変化では、「いきば」でなければならない。したがって、正確には、「変化させた」というより、幼児的になまったというべきだろう。

 私より 6 歳年長だった兄は、私が 3 歳の時に死んでしまい、一人っ子の甘えん坊として育った私は、小学校へ入るまで長らく、母と話すときの一人称として、「いきぶ」を使っていたのである。

 N 市へ引っ越す少し前頃に、父が私のために、片仮名の五十音表を大きく書いてくれた。「アイウエオ」はすでにかなり知っていたが、父は「アカサタナハマヤラワ、イキシチニヒミイリヰ」と横に読んで、「タツオ君はこれも、もう得意だろう」といった。その時、私はまだ五十音表の横読みを覚えてはいなかった。しかし、私が「あか」を「いき」に変えて、「いきぶ」といっていたことから、父は私が横読みを知っていると想像したのではないかと、ずっとのちになって思ったことであった。

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