2015年3月12日木曜日

2015年1月12日~2月28日記事へのエム・ワイ君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from January 12 to February 28, 2015 -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ハナモモの花。堺市・鳳公園で、2015 年 2 月 28 日。
Blossoms of hana peach (Prunus persica); taken in Otori Park, Sakai, on February 28, 2015.

2015年1月12日~2月28日記事へのエム・ワイ君の感想 1

 M・Y 君から最近の "Ted's Coffeehouse 2" への感想を 2015 年 3 月 11 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 追悼:播磨良子博士 (1931〜2015)

 播磨さんのこと、懐かしく拝見しました。「木村研究室の修士課程 1 年に在学中の 1958 年秋、同研究室へ研修生として参加された。湯川研究室で理論を学んだ彼女が、大阪府立放射線中央研究所(大放研)へ就職する準備のためだったのである」とあります。このことは、私もこのたび初めて知りました。私は安見先生の指導のもとに、M 助手や 2 名の修士 2 年の方たちのグループでコッククロフト・ウォルトン型加速器を使い、原子核実験の研究をしていました。このグループに播磨さんが加わりました。気を使い、遠慮もあったのでしょうか、手伝いをしながら、実験というものを興味深く観察されている様子でした。実験以外の理論系の若手の方々の話などをして下さいました。

 私が当時英会話を習っていたデンマーク人女性(東山の泉湧寺に下宿し、河井寛治次郎に師事して陶芸を研究していた人)の友人であったスイス人のソフィアーさんを、どういう経緯か憶えていませんが、京都案内をすることになりました。播磨さんに協力をお願いしたところ、快く同意下さり、南禅寺界隈を散策しました。播磨さんはソフィアーさんと気さくに会話し、南禅寺では寺の方の親切で、普段入れない庭園を拝観させて貰いました。記憶に残る楽しいひと時でした。また、ある日、木村研の遠足で右大文字山越えをして、琵琶湖まで行きました。播磨さんは妹さんを連れて参加しました。ここで、泳げる人は泳ぎました。私の泳ぎは我流でしたが、運動と趣味を兼ねてやっていましたので、その仲間に入りました。播磨さんは皆が泳ぐのを浜辺で眺めていて、私のクロールの泳ぎについて、この点がなっていないと一言、親切に指摘してくれました。播磨さんは高校時代水泳部に属していたのです。

 この追悼文に、アメリカ原子力学会賞を受賞されたことも述べられています。私は東工大の播磨さんが所属されていた研究室の清水彰直教授と、仕事の関係でお付き合いしていました。清水教授もビルドアップ・ファクターの研究で世界的な業績を挙げられ、その結果が原子炉の設計に適用されています。播磨さんの受賞を記念して、東京工業大学原子炉工学研究所長の肝いりで、受賞記念祝賀会が開催されました。播磨ご夫妻が主賓で、原研、高エネルギー研、電力、原子力関係の会社の知己が招待され、出席しました。こじんまりとして温かい、心のこもった祝賀会でした。播磨さんの業績への賞賛はもとより、お二人が立派な家庭を築かれたことを所長が強調して讃えられたことが印象に残っています。

 播磨さんは、湯川研究室、木村研究室での研修、大阪府立放射線中央研究所、ご結婚、東工大と道を進み、立派な家庭を築きかれ、研究でも世界的な業績を残されました。政府はいま、女性の活躍する社会の実現を唱導しています。その先駆者の一人というべき、京都育ちの、肩ひじ張らない播磨さんが、学生時代から折にふれてお付き合い下さったことに感謝しています。ご冥福をお祈り申し上げます。

 この追悼文は「アメリカ原子力学会賞を受賞された播磨さんのすばらしい業績は、放射線遮蔽関連分野で末長く役立つことであろう。晩年には、放射線物理教育にも熱心に取り組んでおられたようである。長年のご好誼に深く感謝し、ご冥福を祈る」と結ばれています。なお、3 月 15 日付けの追記に、長年播磨さんと共同研究をして来られた平山英夫氏(高エネルギー加速器研究機構・放射線遮蔽グループ)から筆者が貰った資料をもとに、播磨さんが受けられた賞の内容がまとめられています。

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