2015年4月27日月曜日

焼津と三ケ日への旅 (Trip to Yaizu and Mikkabi)

[The main text of this post is in Japanese only.]


「かんぽの宿・焼津」からの眺め。駿河湾が見える。
View from Kamponoyado-Yaizu. Suruga Bay is seen.


「かんぽの宿・浜名湖三ケ日」からの眺め。奥浜名湖を望むレークサイド・リゾート地に位置するため、多くの別荘が見える。
View from the Kamponoyado-Hamanako-Mikkabi. The hotel is located in the lakeside resort area overlooking the Lake Oku-Hamana. So, many villas are seen.

 4 月 23 日から 25 日まで、妻と東海方面の「かんぽの宿」を利用する旅に出た。初日は「かんぽの宿・焼津」を利用するため、新幹線で静岡へ行き、東海道在来線乗り換えた。乗り換え地で途中下車し、静岡市美術館が開館 5 周年記念に開催している『大原美術館展』を見た。大原美術館は 2 月に訪れたばかりだったが、「大原美術館設立への道」、「珠玉の西洋絵画」、「日本近代美術の名作」、「民芸運動の作家たち」、「生きて成長していく美術館」の 5 部からなるこの展覧会の、全 75 点も見応えがあった。

 翌 24 日には「かんぽの宿・浜名湖三ケ日」へ移動する途中、浜松で途中下車し、浜松市楽器博物館を見学した。「世界の楽器を偏りなく同じ目線で平等に紹介している」という展示は、なかなか楽しめた。70 歳以上無料、個々の楽器をその演奏音も加えて詳しく説明するイヤホンガイドも無料で、30 分おきほどに行われている学芸員やボランティアによる説明もよかった。ここで長時間を過ごしたため、浜松の他の場所を見る時間がなくなった。

 2 カ所のかんぽの宿では窓からの眺めをスケッチをしたが、宿泊地で見物した場所はなく、また、静岡市美術館が駅から 3 分、浜松市楽器博物館が駅から 7 分という近距離だったため、この旅での三日間の歩数は、家にいてウォーキングを三日間する場合より少ない、約 17500 歩だった。

2015年4月22日水曜日

三つの絵画展へ (Visited Three Exhibitions of Paintings)

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『チューリヒ美術館展』会場の撮影スポットで。背景はフィンセント・ファン・ゴッホの「サント=マリーの白い小屋」のコピー。
I'm standing at the shooting spot of the exhibition "Masterpieces from the Kunsthaus Zürich" with the background of a copy of Van Gogh's "White Cottages at Saintes-Maries."


『郷倉和子 百寿の梅』展を開催中の香雪美術館の門。
The gate of Kōsetsu Museum, where the exhibition to celebrate the 100th year of the Japanese-style painter Kazuko Gōkura is being held.


兵庫県立美術館『堀文子[一所不住・旅]展』の看板。
Sign of the exhibition "Hori Fumiko Retrospective: Unending Journey" at Hyogo Prefectural Museum of Art.

 さる 4 月 17 日、妻と私は神戸市立博物館で開催中の『チューリヒ美術館展』を見に行った。モネ、ゴッホ、ホドラーたちから、ムンク、ココシュカ、マティスたちを経て、ピカソ、クレー、ダリたちまでの 74 点を楽しんだ。その夜は、神戸に宿泊し、翌 18 日は、午前中に神戸・御影の香雪美術館で『郷倉和子 百寿の梅』展を見た。2000 年と 2001 年の大作「春日蜿々(紅梅)」「春日蜿々(白梅)」を含む約 40 点が展示されていた。18 日の午後、兵庫県立美術館で『堀文子[一所不住・旅]展』を見た。こちらは 回顧展の形式になっていて、1939 年の「自画像」から、昨年の「冬枯れの萩の姿」までの約 130 点は見応えがあった。

 この旅は、私が 17 日に 80 歳の誕生日を迎えた記念の小旅行でもあったが、堀文子さんは 96 歳を超えて、また、郷倉和子さんは 100 歳を迎え、どちらもなお描き続けている人たちである。彼女たちの止まらない創作意欲にあやかりたいものだ。

 なお、長女が私の傘寿を記念して、私の水彩画と彼女のキルト作品で親子展をしようといってくれている。その際に共通の題材の作品を一組出そうということになり、私はいま、長女のドクダミのキルト作品に似たドクダミの絵を描いている。郷倉和子、堀文子両展にもドクダミを描いた作品が一点ずつあったのは興味深かった。どちらも他の野草と一緒に描かれていて、私が描いているようにドクダミだけを取り上げた作品ではないのだが。

 両展の会場の売店にそれらの絵葉書がなかったのは残念だった。しかし、帰宅して 17 日付け朝日紙に堀文子展を紹介した特集記事があったのを見ると、その中にドクダミを含む作品の写真があった。「名もなきものシリーズ どくだみ 露草 姫小判草」と題する作品で、2013 年という最近の制作になるものである。

 ドクダミの花が 4 輪あること、右端の 1 輪が右に傾いていること、中ほど近くに最も大きな葉が右斜め下へ向かって垂れていることなど、私の絵は堀さんの作品を真似たと思われるほど、その作品と共通点がある。ただ、4 輪の中の 3 輪が、堀さんの作品ではほぼ水平に並んでいる(真ん中の 1 輪は少し下がっているが)。この点は、長女のキルト作品に似て、私の絵とは異なる。私は、それらに対応する 3 輪を画面の左下から右上へかけてのほぼ対角線上に並べている。郷倉さんのドクダミは葉だけで、花はついていなかった。

2015年4月11日土曜日

ホームページの引越し (Moving of My Web Site)

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旧ホームページ、インデックスページの上部中央部分。
Upper-center part of the index page of my former Web site.


旧ホームページのアクセスカウンター表示の推移。
Cumulative number of visitors to my old Web site as a function of date.

 1998 年 12 月に開設した私のホームページ(上掲の 1 枚目のイメージ中、"Dec 2, 1999" は、開設日でなく、アクセス・カウンターをつけた日である)は、NTT コミュニケーションズの "Page On" というサービスを利用していたものだが、さる 2 月末で、そのサービスが終了となった。経過措置として、5 月末まではアクセス可能にしてあるとのことである。しかし、私は 3 月末に新しいホームページへの転送サービス(1 年間有効)を申し込んだので、さる 9 日から、インデックス・ページへアクセスすると引越し先のインデック・スページ(http://ideaisaac.web.fc2.com)が出るようになった。

 アクセス・カウンターは、22 万を超える数を示しているが、数の増大の様子をグラフで見ると、2 枚目のイメージのようになっている(イメージをクリックすると拡大版をご覧になれる)。ホームページに代わって、ブログが盛んになり始めた 2006 年頃から、増加率が鈍って来たことが分かる。同じ頃から、私自身、ホームページの更新をあまりしなくなって来てもいた。引越し先のホームページはどれくらい閲覧されるだろうか、心もとない。

 なお、旧ホームページ・サイトでは、サイト内の各ページに同じカウンターをつけておいたので、全ページへのアクセスの合計がカウンターに表示されている。引越し先では、ページ数を減らし、カウンターを置くのはインデックス・ページだけにしておこうかと思っている。

2015年4月5日日曜日

東京、2015年春 (In Tokyo, Spring 2015)

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東京・千鳥ヶ淵のサクラ。
Cherry blossoms in Chidorigafuchi, Tokyo.


金沢菫台高校同期会会場から見えた東京スカイツリー。
Tokyo Skytree seen from the venue of our senior high school reunion.


同期会で配られた、北陸新幹線開業と関連ニュースを伝える郷里の新聞コピー。
Photo copies, distributed at the reunion, of local newspaper pages, which reported the opening of Hokuriku Shinkansen and related news.

 さる 4 月 2 日に開催された金沢菫台高校同期関東在住者会に参加するため、1 日に上京した。東京へ着いてすぐに、大連嶺前小同期生の T・O 君が準備に関係した『黄金郷を彷徨(さまよ)う——アンデス考古学の半世紀』展(東京大学総合研究博物館インターメディアテクで 6 月1 日まで開催中)を、同君の案内で見学した。152 ページからなる同展の立派なカタログによれば、古代ペルーに偉大な文明の存在したことが明らかになってきており、メソポタミア、インダス、エジプト、中国を「四大文明」とする古代文明観はいまや過去のものとなったといっても過言でないそうである。

 宿泊する学士会館へ到着直後には、昨秋の上京時と同様に、A・M、M・Y 両君との出身研究室ミニ同窓会を持った。A・M 君と私がそれぞれ持参した研究室関連資料中に、原データとそれに関する新聞記事という関係の深いものが含まれていたことが興味深かった。A・M 君は、彼の文、「荒勝文策関係資料:サイクロトロン破壊時の日誌」が載っている『京都大学総合博物館ニュースレター』No. 33 を M・Y 君と私にくれた(同ニュースレターの PDF ファイルはこちらからダウンロードできる)。(本記事末尾の「後日の注記」参照。)

 高校同期会の日は好天気となった。午前中に千鳥ヶ淵で、ちょうど満開のサクラ(1 枚目の写真)を眺めてから、会場へ向かった。会場は御徒町吉池本店ビル 9 階の吉池食堂で、ビルからは東京スカイツリーが眺められた(2 枚目の写真)。同期会参加者は、2 名が昨年とは入れ替わっただけで、人数は昨年と同じ 10 名(うち女子 2 名)だった。J・Y 君が、彼の住む横浜にある日本新聞博物館で『北國新聞』の 3 月 14 日付け夕刊と 15 日付け朝刊の原寸大コピー(A3 用紙 2 枚を貼り合わせて作成)を持参して全員に配布した。郷里・金沢までの北陸新幹線開業が大きく報じられていたからである(3 枚目の写真。トップ記事以外の記事も別紙にコピーされていたのを部分的に重ね並べて撮った)。

 同期会に続いて、インターネットで知り合った J・T 氏と学士会館で、「鏡の謎」に関連する問題についての話し合いをした。翌 3 日にも、同期会幹事の一人である R・M 君と東京駅で待ち合わせ、大丸 12 階の「京のぶぶづけ処・近爲(きんため)」で、ビールと食事を楽しみながら語り合った。東京駅の新幹線列車案内の電光表示に、「金沢」の駅名が出ているのも見て、帰途の列車に乗った。スケジュールが比較的密な上京であった。

 後日の注記:この時 A・M 君が持参した「原データ」とは、広島への原爆投下直後に荒勝研究室が調査した放射能測定に関するものだったが、それについての報道が 2015 年 6 月 26 日、各メディアによってなされた。中でも毎日新聞の記事「荒勝京大元教授:広島原爆、断定の原本…遺品から発見」が詳しい。記事には A・M 君の名も出ている。