私と長女が『親子展』を開催した「ギャラリー風雅」の前景。
Front view of "Gallery Fūga, where I and my elder daughter held "Father–Daughter Exhibition."
2. 旧友への手紙 1、2
女性の同級生 E・O(現姓 M)さんは、筆者の住む堺から比較的近い高槻市に住み、筆者を覚えていてくれて、俳画を趣味にしているというので、9 月に大阪で開催する水彩画とキルトの『親子展』の案内状を送り、「『親子展』会場で、古い級友と 70 余年ぶりに再会するという、珍しい経験が出来そう」との期待が記されています。これを機に、O・T 君、 S・Y 君、E・O さんたち、御祓小学校 1~3 年夏休み前までの友だちとの絆が強められることを願って止みません。
[引用者の注]E・O(現姓 M)さんは『親子展』の最終日に来てくれた。電話での思い出話に続いて、再度、思い出話を語り合った。70 年あまり前の彼女は活発なお嬢さんだったが、いまは膝に人工関節を入れた身となっていた。テニスのやり過ぎのせいだそうだが。彼女と仲のよかった、私が小学校入学時に隣の席にいた、そして、わが家の長女と同名の同級生、Y・S (現姓 W)さんは、夫を亡くし、いまは高齢者施設に入っているとか。長い時の経過を改めて感じた。
私は『親子展』の案内状を送った E・O さんへの手紙の中で、「いともしとやか」な性格だった Y・S さんには、活発な性格だった E・O さんに対するように気軽に電話出来ない気がするので、ついでの折によろしく伝えてほしい旨を書いた。E・O さんのいうには、Y・S さんは決して「いともしとやか」ではなく、木登りなどもする、おてんば娘だったとのことである。私の観察が行き届かなかったのだろうか。しかし、再会することのないだろう Y・S さんの「いともしとやか」という印象は、幼い木登り娘のイメージ(「山賊の娘ローニャ」のような)が新たに重なりながらも、私の記憶中で改まりそうにない。
さる 7 月 14 日に郷里・金沢へ墓参に行ったついでに、私が小学校入学前から小 3 の夏休み末まで住んだ七尾を訪れるとともに、そこから穴水までの「のと鉄道」の短い旅を楽しんだ。七尾では、いまやそこに在住する唯一の知人である N 氏宅を訪れ、旧・御祓(みそぎ)小学校同級生の何人かの消息が分かるだろうかと、七尾高校の同窓会名簿の私と同じ卒業年度のページを貰って来た。そうして知った 3 人の旧級友たちに電話したところ、その中の女性 1 人は私を覚えていてくれたが、男性 2 人、O・T 君と S・Y 君は私を思い出せなかった。彼らに私のことを思い出して貰う一助にと、長文の手紙を後日書き送った。[…略…]と、長文の手紙を紹介した記事です。手紙には、筆者を思い出してくれる一助になればと、御祓小学校を去って間もない頃の写真[大連嶺前小でのクラス集合写真(1945 年 2 月撮影)からとったもの]を同封しています。70 年余前の、時折脳裏を去来する断片的な懐かしい学校や日常生活の思い出が記され、O・T 君のみならず、私たちが読んでも、筆者の小学校低学年の、学校を中心とした当時の生活の有様をうかがい知ることができる興味深い内容だと思いました。また、古くからの友だちとの交友を大切にされる筆者の、不断の努力に感銘を受けました。
O・T 様
炎暑の候となりましたが、お元気でお過ごしでしょうか。
先日は突然電話しましたのに、長時間、思い出話に付き合って下さり、ありがとうございました。貴君が私のことをご記憶でなかったのは、同じ教室で共に学んだのが 70 余年も前という遠い昔のことで、無理もありません。[…略…]
時折脳裏を去来する懐かしい思い出の一端を書き留めておきたい気もあって、長文の手紙になり、失礼いたしました。
では、くれぐれもご自愛下さい。ごきげんよう。
女性の同級生 E・O(現姓 M)さんは、筆者の住む堺から比較的近い高槻市に住み、筆者を覚えていてくれて、俳画を趣味にしているというので、9 月に大阪で開催する水彩画とキルトの『親子展』の案内状を送り、「『親子展』会場で、古い級友と 70 余年ぶりに再会するという、珍しい経験が出来そう」との期待が記されています。これを機に、O・T 君、 S・Y 君、E・O さんたち、御祓小学校 1~3 年夏休み前までの友だちとの絆が強められることを願って止みません。
[引用者の注]E・O(現姓 M)さんは『親子展』の最終日に来てくれた。電話での思い出話に続いて、再度、思い出話を語り合った。70 年あまり前の彼女は活発なお嬢さんだったが、いまは膝に人工関節を入れた身となっていた。テニスのやり過ぎのせいだそうだが。彼女と仲のよかった、私が小学校入学時に隣の席にいた、そして、わが家の長女と同名の同級生、Y・S (現姓 W)さんは、夫を亡くし、いまは高齢者施設に入っているとか。長い時の経過を改めて感じた。
私は『親子展』の案内状を送った E・O さんへの手紙の中で、「いともしとやか」な性格だった Y・S さんには、活発な性格だった E・O さんに対するように気軽に電話出来ない気がするので、ついでの折によろしく伝えてほしい旨を書いた。E・O さんのいうには、Y・S さんは決して「いともしとやか」ではなく、木登りなどもする、おてんば娘だったとのことである。私の観察が行き届かなかったのだろうか。しかし、再会することのないだろう Y・S さんの「いともしとやか」という印象は、幼い木登り娘のイメージ(「山賊の娘ローニャ」のような)が新たに重なりながらも、私の記憶中で改まりそうにない。
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