2015年9月23日水曜日

2015 年 6 月 21 日〜8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -3- (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 21 to August 15, 2015 -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


『水彩画とキルト 親子展』会場風景。
A View of "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition."

2015 年 6 月 21 日〜 8 月 15 日分記事への M・Y 君の感想 -3-

3. 藤岡由夫から荒勝文策まで政池君の調査が朝日紙記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」に

 「藤岡由夫から荒勝文策まで」には、「先般、インターネットの質問サイト Quora で、アメリカのフリー・ジャーナリストから私へ、藤岡由夫が唱えた原子の fluid drop model がなぜ "ekiteki" と呼ばれるかという質問があり、それに答えたところ、次つぎに質問が来た。後日、同ジャーナリスト氏から、『荒勝はベルリン大学で、アインシュタインのもとで学び、その親しい友人仲間の一人となった』と記された本があるとの、追加の連絡があった」というようなことが述べられています。

 液滴模型に関しては、古くから物理の学習書には原子核の統計的模型の項に気体模型と原子核を液体のしずくになぞらえて取り扱う液滴模型の二つの模型についての説明がありますので、私は今更どうして上記のような質問がなされたのかと思っていました。[引用者注:藤岡が唱えたのは「原子」についての模型で、のちに提唱された「原子核」の液滴模型とは別のものです。]

 「政池君の調査が朝日紙記事に」のブログ記事には、
先日「藤岡の原子液滴模型からアインシュタイン・荒勝関係まで」という記事を英語版のブログサイトに載せた折に、政池君にそれを知らせたところ、彼から忠告の電話を貰ったばかりである。彼も以前、その記事に登場するアメリカのフリー・ジャーナリストから接触を受けたが、日本でも原爆研究が行われていたことを喧伝して、アメリカの原爆投下をあくまでも正当化しようとする修正派歴史家の一人と思われるので注意するようにとのことだった。いわれてみれば、そのジャーナリストと私のやりとりの間にもそうした危険性が確かにうかがわれた[…]。
と付記されていました。これを読んで私は合点が行きました。

 米国においては原爆投下の正当化について、一部の退役軍人の間で強く主張されています。1995 年にワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で被爆資料などを含めた展示が計画されましたが、退役軍人らの反対にあい、事実上中止されたとのことでした。7 月 30 日の朝日紙に「原爆投下何を伝える マンハッタン計画跡地公園化案を公表 米『歴史見せ方』意見募る」という記事が掲載され、以下のように解説がなされていました。
米国の国立公園局とエネルギー省は 28 日、第 2 次世界大戦での原爆の製造・投下につながった『マンハッタン計画』の跡地に関する『基本計画書』の案を公表した。年内に国立公園が正式に誕生するが、[…]マンハッタン計画を歴史的にどう位置づけるかなど『歴史の見せ方』は今後も広く意見を集めていくという。
核抑止力、核廃絶などの相反する考え方がある中、これらの施設を見て正しく歴史を認識できることは大切なことです。

 「政池君の調査が朝日紙記事に」では、
大学研究室の同窓生で友人の政池明君(京都大学名誉教授、高エネルギー物理学)は、かねてから核開発の歴史について調査しているが、このほど、ウラン 235 の遠心分離装置開発に関する資料を、清水栄・京大名誉教授の遺品のノート中に見つけたことが報道された。『朝日新聞』大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事に政池君は朝日紙記者の取材に対して、「真理を探求すべき科学者が、原爆開発にどうかかわったのか知りたい。すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」と語っている。
と述べられています。この点について以下にコメントします。

 政池君は「第 2 次世界大戦下の京都帝大における原子核研究とその占領軍による捜索 (3) 原爆研究の記録―その1」(『原子核研究』Vol. 57, No. 1, Sept. 2012)の「4. ウラン濃縮」の項に、米国公文書館で極秘から公開となった文書を引用して、
 その後ファーマンの報告では前述のように「荒勝は実験用の遠心分離器を設計したが、その遠心分離器を建設していた工場が破壊され、建設中の装置が失われた。」と記している。フィッシャー[Y 君の注:少佐、GHQ 経済科学局。ノースウエスタン大学物理学教授、分光学の権威]も「日本海軍の原子エネルギーとウラニウム資源」の報告の中で京都大学と東京計器で建設中だった遠心分離機についてふれている。木村毅一の話によると「ウランの分離には遠心分離法を採用することにした。ウラン[Y 君の注:フッ化ウランガス]を容器の中で回転させると U238 は外側に、U235 は内側に集まることを利用した。」
と、遠心分離機の内容を述べています。さらに、「清水栄によると荒勝研でも独自に遠心分離機を設計した」とも書かれ、「図 1. 京大で設計された遠心分離機の上部(清水家蔵)」として、遠心分離機の上部の手書きスケッチが示されています。したがって、今回の新聞報道は、清水京大名誉教授の遺品のノートからウラン 235 遠心分離装置開発に関する資料多数を見つけたのを機会に、上述の事実の確実な裏付けが得られたということだろうと思います。

 最後の「真理を探究する科学者云々」に関しては、荒勝京大名誉教授編(荒勝先生の配下の当時の原子物理研究に関連した諸教授が執筆)『近代物理学』(1954年、培風館)には「§13・8 原子炉」の後に「§13・9 原子爆弾」の節があり、
 原子力利用の発見は二十世紀科学の一大革命である。単にそれは科学のみならず政治経済など人間生活のすべての方面に著しい影響を与えている。その最初のものが原子爆弾という非常に破壊的な形で現われ、現在においてもその主力は軍事的方面に向けられているが、[…]"これが常に善に用いられ決して悪に用いられることのないように" しなければならない。
と、強い反省の意を込めて結ばれています。政池君は上述論文の最終回「(4) 原爆研究の記録―その2」の「7. まとめに代えて」で、
 大戦中に世界の原子核理論の研究者の多くが原爆研究に全力で取り組む中で、湯川が原爆の研究よりも中間子論の研究に力を注いでいたことは事実のようである。とはいえ京大の荒勝、湯川はもとより、荒勝、湯川両研究室の多くの研究者が原爆研究に関与したことは看過できない事実であり、彼らの「科学研究至上主義」を現代においてどのように捉えるべきかについてあらためて論ずる必要があろう。
と述懐しています。過去の事実を探求して、朝日紙記者に語られた「すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」との政池君の真摯な言葉は、世界中の人びとに重く受け止められなければなりません。(つづく)

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