2016年1月19日火曜日

「鑑みる」の用法 2 (How to Use the Japanese Word "Kangamiru" -2-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家のロウバイ。この冬は格別早く、12月末から咲き始めた。2016 年 1 月7 日撮影。
Wintersweet in our home. This tree began to have blossoms exceptionally early this winter (from near the end of December). The photo was taken on January 7, 2016.

「鑑みる」の用法 2

 2011 年に書いた記事、『「鑑みる」の用法』がなぜか、私のこのブログの記事中、最もよくアクセスされている。そして、最近になって、神楽さんという方から丁寧なコメントを貰った。神楽さんは、私が間違いとした「〜を鑑み」を用例として挙げている辞書がいくつもあることを教えた下さった。それらは次の通りである。

神楽さんが記した辞書の用例
  1. 『現代国語例解辞典第二版』(1993)「現状を鑑みるに」
  2. 『岩波国語辞典第五版』 (1994)「時局を鑑みるに」(筆者の注:「先例に鑑みて」の用例も併記されている)
  3. 『明鏡国語辞典』(2002)「国際情勢を鑑みるに楽観視は許されない」
  4. 『精選版日本国語大辞典』(2006)「臣が忠義を鑑みて」(太平記)
  5. 『集英社国語辞典第三版』(2012)「時局を鑑みるに」
 また、神楽さんは、インターネット上で私と同様の主張をしている記事は、「誰かに指摘された個人的経験を根拠にしている」という「危うい」ものと指摘し、そういう記事として次の三つを挙げている。

神楽さんが挙げたインターネット上の記事
  1. 『「に鑑みる」「を鑑みる」』
  2. 『日本語に対して敏感であれ』
  3. 『 Q ○○に鑑みる—国語は変移が定着したか?』
記事 2 は現在アクセス出来ないようである。記事 1 と 3 の著者たちの経験は、「昔、銀行員時代に稟議書の文章で「鑑みる」の用法について注意されたことがある」、「二十歳で ある大学の全学労組の書記長をやっていた時(1959)、団交の申し入れ書で皆さんと同じ表示をしたら、執行委員長の先生(ロシア語担当教授)に注意されて、直しました」というもので、どちらも古い経験である。

 私がこの件についての記事を書くことになった契機も、最近は昔覚えたのと異なる用法がなされている、と思ったからだった。書くにあたって、念のために次の 1〜3 の辞書を参照したが、それらの用例は、たまたますべて、「に鑑み」だった。(4、5 は、この続編を書くにあたり、追加参照した。4 は、オンライン版で、先の記事を書く際にも参照したようにも思うが、記憶が不確かである。5 は、かつて長女が使って、今は私の本棚にあるが、今回初めて参照した。この用例は「を鑑み」だった。)

私が見た辞書の用例
  1. 『広辞苑第三版』(1983)「時局に鑑みて生産の増大をはかる」
  2. 『大辞泉第一版増補版』(1998)「時局に鑑みて決定する」
  3. 『新明解国語辞典第四版』(1997)「時局に鑑みる」
  4. 『大辞林第三版』(2006)「先例に鑑みて…」 「過去の失敗に鑑み…」
  5. 『岩波古語辞典』(1974) 「天道を恐れて、生れつきを鑑みて」(周易秘鈔。筆者の注:この文献は、桃山時代に写本が出来たと推定されている。こちら参照)
私が国語の学習をしたのは高校生時代がほとんど最後だから、1950 年代までの教育あるいは情報の影響ということになる。「神楽さんが挙げたインターネット上の記事」1、3 と私の記憶を合わせれば、「に鑑みる」が正しいと学んだ個人的経験は、必ずしも「危うい」として切り捨ててしまうべきものでもなく、古い教育または情報を反映しているという解釈が得られる可能性がある。

 ただし、古くは「に鑑みる」しか使われなかったかというと、これは、「神楽さんが記した辞書の用例」4 が『太平記』(『ウィキペディア』によれば、1370年頃)という、いかにも古いものであることによって否定される。さらに、「私が見た辞書の用例」5 の「を鑑み」の出典も古い。

 以上を考え合わせると、ある時代から 1950 年代頃にかけて、古い「を」の用例を無視して、「に」が正しいとする教育がなされていたか、あるいはそういう情報が流れていた、という可能性が浮かび上がる。

 しかし、私が国語教科書のどういう文のどういう箇所で「に鑑みる」を覚えたかという記憶は全くない。ただ一つ思い当たるのは、「昭和天皇の終戦放送(玉音放送)」として知られる「終戦の詔書(大東亜戦争終結ニ関スル詔勅)」の冒頭、「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し…」である。私はこの冒頭の語句をそっくり覚えていたのではないが、「現状とに鑑み」の部分は、詔書の末尾近くの「堪ヘ難きを堪ヘ忍び難きを忍び」と合わせて、記憶によく残っている。1945 年の敗戦当時に小学校 4 年生だった私は、必ずしも 8 月 15 日の放送を聞いて覚えたのではないにしても、その後、ラジオやテレビのドラマなどで繰り返し聞かされたこともあったためか、これらの部分が特に印象深い。

 終戦当時に生きていた、のちの国語辞書編集者を含む大人たちの耳には、詔書の「に鑑み」の用例がもっとしっかり記憶されたことだろう。詔書で「鑑み」の直接の対象になっているのは「世界の大勢と帝国の現状」だが、すぐ後に、「私が見た辞書の用例」1〜3 のいずれにもある「時局」の語も出て来る。「『広辞苑』によれば」という言葉が新聞・雑誌などでよく見かけられることから分かるように、幅広い人々に利用されている『広辞苑』の、初版が出たのは 1955 年で、敗戦の年からそれほど遠いことではない(「十年一昔」の言葉もあるが、昨年が終戦から 70 年目だったのと比べての話である)。これはあくまでも仮説であるが、「終戦放送」と『広辞苑』のリレーによって「に鑑み」という用法が、終戦後から 1950 年代にかけて定着させられたものの、それがその後薄らぎつつある、というのが実態ではないだろうか。

 なお、「神楽さんが挙げたインターネット上の記事」1 には、グーグルでブール方式の検索をした結果が紹介されている。それによれば、
  • 「に鑑み -を鑑み」(「に鑑み」を含み、かつ、「を鑑み」を含まないコンテンツ検索結果)約999,000件
  • 「を鑑み -に鑑み」(「を鑑み」を含み、かつ、「に鑑み」を含まないコンテンツ検索結果)約440,000件
ということで、「に鑑み」が「を鑑み」よりも 2 倍以上多く使われているらしいことが現れている。これは、2010 年 2 月 6 日の検索結果である。試しに今(2016 年 1 月 19 日)検索してみると、
  • 「"に鑑み" -"を鑑み"」約662,000件
  • 「"を鑑み" -"に鑑み"」約683,000件
となった。私の検索では引用符を使用して、検索をより正確にした(引用符を使用しない「に鑑み -を鑑み」の検索では、例えば「鑑み」の意味を説明するコンテンツのどこかに、離れて「に」があっても、数え込まれてしまう恐れがある)。したがって、上に引用した 2010 年の結果との厳密な比較は出来ないが、少なくとも現状では、「に鑑み」と「を鑑み」の使用頻度に大差はないか、「を鑑み」の方がやや優勢なようである。

 本続編の結論は、われながら意外なところにたどり着いた。

 この問題を再考する契機となった神楽さんのコメントに感謝する。

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