2005年3月3日木曜日

「結核は恐ろしいんです」

高校時代の交換日記から。

1952 年 3 月 14 日(金)晴れ

(Sam)

 二限続けての試験。大変そうに思われたが、大したことはなかった。
 計算尺の使い方を習う。
 保健体育はきょうが最後の講義の時間であった。「結核は恐ろしいんです」を何回も繰り返しいわれた。あと残った数ページは済ませたことにして、というわけで、p. 86 まで終った。
 アセンブリーがクラブに変わる。第十七号紙の批評と今年度の反省が行われる。


(Ted)

「3(x – 1) = 2y + 3 であるとき、5x2 + 4 y2 の最小値を求めよ」だけがまずかった。KJ 君がしたように、始めの式を 2y = の形にして 2 番目の式に代入すれば、簡単に 90/7 と求まる。しかし、KJ 君はもっと大きな数字をいっていたし、TKZ 君は 30 とかいっていた。
 バスケットボールのコートの中央にある 2 重の円は、どちらが制限円で、どちらがセンター・サークルなのだい?
 結核の予防になる栄養素は? 『私たちの科学 4』 [1] を見ると、「ビタミン A と C の欠乏症を見かけませんか。…略…からだの外部だけでなく口や腸の内部の粘膜も乾いて顕微鏡で見ると傷だらけになっています。そこから病原菌が入って肺結核や流行性感ぼう…」とある。ビタミン C は書いたが…。
 4/7 を終って完全な答案が一つもないとは、1 学期からの中で最も悪い。

 金大合格者発表。法文学部に IN 君、理科乙に KD 君 [2]など、1 年間親しんだ名前が新聞活字になって並んでいるのが見出される。

 引用時の注
  1. 当時の中学理科の教科書。
  2. どちらも新聞部 3 年生。

2005年3月2日水曜日

卒業式の予行

けさの月

 写真はけさ、南西の空に見られた月(2005 年 3 月 2 日 6:30)。

卒業式の予行

高校時代の交換日記から

1952 年 3 月 10 日(月)雨

(Sam)

 四限のホームが一限になり、大掃除が行われることになった。そのため、せっかく計画したことがオジャンになってしまった。
 むたむたになっていた体育館がきれいになり、第四限には滞りなく体操ができた。

1952 年 3 月 11 日(火)雨

 授業を午前中で打ち切り、卒業式の予行をする。在校生では二年生全員と一年生の各ホーム代表五名が出ることになる。三年生は男女合わせて四十名ばかりしか来ていなかった。
 「ここで全員が起立するんだ」「ここで卒業生は腰かけるんだ」といったことぐらいをしただけだった。「君が代」と校歌の斉唱も一回しただけで終った。「蛍の光」などは歌わないのらしい。
 そのあと、被服室において送別会の反省会を行った。発言は BN 生徒会長と四人の先生と、それに話題が演劇のことに集中したので、演劇部の NS 女史が応答していたのと、それだけである。何かいわなければならないと思いながらも、ついその機会を失してしまって、けっきょくは菓子を貰うだけにいたようなことになってしまった。


(Ted)

 ・・・・・・
 不愉快。「だが、おれは愉快なんだぞ!」と叫びたいような、叫ぶまい、憤るまいと、抑制していたいような…。Egoism から発した感情だろうか。何が原因であるにせよ、悪いことだ。超然としていよう。「いまを限りに…」こんなことがいえるだろうか。これまでに何度もダメにしたようだ。SM 君、TKG 君、IM 君、OB 君… [1]。

 引用時の注

  1. いずれも同じホームルームのメンバーである。翌日の日記からみても、ホームルーム時に私の気に入らないことがあり、その不快感について書いたようだ。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載、そのサイトのブログ記事は Echolog と呼ばれ、Echolog には全利用者の投稿順に ID number が付けられた)

J 03/04/2005 07:49
Hi Ted,
Your Echolog ID is 99999 !!

Ted 03/04/2005 09:05
Yes, it is! I wonder who got the number 100000. In fact, I found the other day that my Echolog was the 99996th. So I hastily put three unfinished manuscripts as "Echolog under preparation," and thought those would be enough for me to get the number 100000, because it took some time to send them to the Echoo! site, allowing possible posting of one or two Echologs by others. I should have put one more manuscript as under preparation! But 99999 is also a good number.

卒業式の日

高校時代の交換日記から。

1952 年 3 月 12 日(水)晴れ

(Sam)

 午前九時半までというと、ばかにゆっくりしていられる。ちょうど九時半に学校に着くように計算して行ったのに、着いてから体育館でしたたか篭球ができた。
 卒業生はその九割までが長髪である。一人だけ背広を着て来たのもいた。校長の話も、PTA 会長の話も、「大志を抱け」とか「なくてはならぬ人物となれ」とか、いい古された言葉を繰り返し強調するものだった。やっぱり、「蛍の光」は歌わなかった。式はじきに済んだから、昼にはまだ早かったので友人と卓球をした。バットが一本しかなかったから、一人は木片でしなければならなかった。木片のバットでありながら、勝ってばかりいられて愉快だった。

 どれに優劣をつけたらよいか分からない。たいていの場合そうだが、これもそうだ。原画展。川西英代の木版のものが、中でも特徴があってよいと思う


(Ted)

 少し弱い日光の中に埃の舞っているのが認められるのと同じような具合に、途中で上昇したり横へ流されたりしながら落下してくる、ごく細かな雪片が視界にある。目の前の電柱の、こうして坐っておれば 1 m くらい上にある横木に、赤い碍子があることに初めて気がつく。

 次のような問題を始め、少なくとも5、6 題は考えて出そうと思っていた来週のホームルーム時の「話の泉」がスポーツに変更されたことも不愉快の一因だったかもしれない。
 「学年末も近づきましたが、これから述べる文章はそれぞれ『何か』の終りにある文章です。その『何か』を答えて下さい。
 ◎球が運動場から出てしまったときは、ワンベースしかとることが出来ない。
 ◎以上の決議を国中に告げ知らせるため、それをヒエログリフィック、デモティックおよびギリシャ文字の 3 通りに書いて石に刻み、方々の神殿に建てることにした。
 ◎日本国政府のために、アメリカ合衆国政府のために。
 ◎蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
 ◎そしてすべては他の人々の、そして主要なことには私の幸福のためだ…」

 卒業式に出なくてもよかったので、午前中と午後 2 時過ぎまでは、端座のし通しだった。外へ出ると、目が覆いを取られたような感じがした。HN 君のところには、IS 君が来ていた。彼の下の名はぼくのと同じで、それを仮名書きしたときの始めの 2 文字だけを使う(最初の文字は長音にする)のが彼の愛称となっている。

 悲劇的場面を想像することが多すぎる。これでは精神が実際行動を阻む結果となりかねない。止めよう。

2005年3月1日火曜日

障子に春の気配

高校時代の交換日記から。

1952 年 3 月 9 日(日)晴れ

(Sam)

 小学生時代にはよくやらされることだが、一カ年の思い出を絵巻物に書かなければならないのだという。とうとうまる一日かかってしまった。
[1]

(Ted)

 昨日「芸術?」と書いたことに関係のある歌劇を「音楽の泉」が聞かせてくれる。♪ ランラーラランラン ラーララーララン ラーンラララーン ランラーララン … ♪
 部屋は閉め切ってある。北東に当たる前方の障子は青みを、南西に当たる後方のは黄色みを帯びて、じつに明るい。時どき、陰って、またぱっと明るくなり、空と日光に対する憧憬的な感情をそそる。急いで直りつつあるのだろう霜焼けが猛烈にかゆい。前の障子を少し開けてみる。すーっと寒い風が来るのは気のせいだろうか。光は思ったほど鮮やかではない。障子を閉めると、また明るくなる。

 BK 杯争奪タイガース・ブレーブス戦第 2 戦。天保が好投! しかし、2、3 年前のように、飛び上がるほど嬉しいとは思えなくなってしまった。浜崎さん [2] のそれ [3] だったのが、「反省点綴」の中に代名詞で、それも「M 君」の言葉の引用で、ただ一度出てくる人物 [4] のそれになったりしたのだから …。(ゆらゆらゆら … 地震か?)
 いやいや、こんなことを書いているときではない。もっと吸収作業に忙しくなろう。

 引用時の注
  1. 近所の子どもたちを指導したのだろう。
  2. 浜崎真二(1901–1981)は当時、阪急ブレーブスの監督、最高齢登板記録(48 歳)保持者。阪急監督時代は今西、天保、野口ら、巨人キラー投手を巧みに使った用兵の妙で知られた。1978 年、野球殿堂入り。
  3. 「ファン」を意味する。浜崎さんも私も大連からの引揚げ者という関係で、ファンになった。
  4. 中学同期の一女生徒のこと。このあとの「それ」にも「ファン」を代入すると、その女生徒「のファンになったりした」という妙ないい方になるが、プロ野球のことよりも女生徒が気にかかる年頃になったという自覚を記したのだろう。

三島由紀夫の自死

 最近、三島由紀夫の『仮面の告白』について少しばかり考える機会があったのだが、折しも、雑誌『図書』の近着号に鶴見俊輔が三島由紀夫の自死について書いている [1]。三島は 1970 年 11 月 25 日、ライフワーク長編『豊饒の海』最終章「天人五衰」を完結したあと、東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室で自衛隊の覚醒と決起を促したが果たすことなく、「天皇陛下万歳」を三唱して古式に習い割腹して自死したのであった。そのとき 45 歳。[2]

 鶴見はその短いエッセイの前半において、吉本隆明の三島への追悼文 [3] を引用し、それを「すぐれた文章と思う」という。吉本の文はいくらか難解であるが、「つまらぬ哲学はつまらぬ行動を帰結する」とあるところを見れば、三島の哲学をつまらないもの、その自死をつまらない行動と見たようだ。

 鶴見は三島の自死を聞いたとき、うろたえ、いまでもその「うろたえ」が残っていると書く。このことと吉本の文への賛辞から、鶴見は三島の自死を異常といわないまでも、特異なものと見ていると思われる。しかし、鶴見は「彼が自分をほろぼすしかたには、自分を超える姿勢が見える。自分を超えるその形を、私は、軽く見ることはできない」とも述べている。これは、吉本に完全に同意して三島の自死を全くつまらない行動と見てしまうこともできないという思いの併置である。なお、鶴見は三島の政治行動・政治思想には同調できないことも記している。

 自衛隊の覚醒と決起を促したのは、まったく、アナクロニズムというよりも、怪奇である。また、生きている限り、あるいは少なくとも比較的健康である限り、命は大切にしなければならないとも私は思う。そういう意味で、私も吉本の三島への追悼文に賛同するものである。ただし、作品の評価は、作家個人の生き方とは切り離してなされるべきものであろう。文芸評論において、作品中に作家の生き方がどのように影を落としているかは論じられて当然であるが、三島の自死の形が何割かの読者を彼の優れた作品群から遠ざけたとすれば、不幸なことである。——という私も、じつは最近まで、どちらかといえば遠ざかっていたほうであるが。——

  1. 鶴見俊輔「弔辞」図書 No. 671, p. 43(2005 年 3 月)。
  2. 「三島由紀夫年譜」、ウェブサイト『三島由紀夫文学館』。
  3. 吉本隆明『追悼私記』(JICC 出版局、1993;ちくま文庫、2000)。

関連文献(後日の追記)
  • 朝日新聞、「天声人語 」(2005 年 11 月 25 日)。 "… 三島由紀夫は、初期の代表作「仮面の告白」の自序原稿の一つに「人みな噴火獣(シメエル)を負へり」と …" とある。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

Y 03/01/2005 08:35
 芥川龍之介、太宰治、川端康成、三島由紀夫 … と、名作家だけでも、自殺している作家は多いですからね。
 けれども、その中でも、確かに三島由紀夫の自殺の仕方は、政治行動の形をとっていて特異ではありますが、もちろん到底、そのような政治思想、政治行動のゆえのみで自殺したのではないでしょう。
 私は作家が自殺で生涯を終えるのは、肯定するのですけれどね。特に、作家自身の人生より、彼が命をかけて生み出した作品のほうが世に残るから、といった理由ではなく …。

Ted 03/01/2005 09:19
 そうです。三島の自殺は政治行動の形をとってはいますが、根本には、彼自身の生き方についての美意識があったでしょう。
 Y さんが、作家が自殺で生涯を終えることを肯定される理由は何でしょうか。物事を肯定する裏には、はっきりした理由があるとは限らないかも知れませんが。

Y 03/01/2005 15:58
 作家の自殺に限らないのですが、私は、人生は結果論ではないと思っているからです。どんな悲惨な終わり方、無念な終わり方、満たされた息の引き取り方でも、いいのではないかと。
 もちろん自殺には、自分に対する最も大きな倫理的責任が関わってきますが、私も病気持ちで、特に結婚後は、申し訳なさゆえに自殺、ばかりを考えた人間ですから、それについては、「人間には、最終的に自らの命を自ら絶つ権利がある」と、考えています。その権利を行使するかしないか、ということだと思っています。もちろん他者が、自殺を日々考え続けたそのひとの内面の苦しみにどれだけ寄り添うことができるか、それを考えれば、上述の権利を自分で行使するか・しないかの問題のほうが、「やはり人間は自分自身でしかありえない、自分自身としてしか生きえない」という人間の根本原理と思われるもの、と直結していると私は思うからです。… で、私、死んでいませんものね。
 もうひとつ、歴史に名を残すような作家には、作家として本当に自分は自死するのか、という(社会的、といった言葉以上の)苦悩があったはずです。彼らの、実人生と作家人生との二重の人生。三島由紀夫という作家の自殺も、そのような思いで関心を向けなければならないと思います。

Ted 03/01/2005 20:10
 私も、「作品の評価は、作家個人の生き方とは切り離してなされるべきものであろう」と書きましたのと合わせて、「人の価値は、その人の最期の形で決まるものではない」と思っていますから、Y さんの「人生は結果論ではない」と同じ考えを持っているといえましょう。
 Y さんの「人間には、最終的に自らの命を自ら絶つ権利がある」というお考えも、私は否定しません。ただ、私は、自分が「自殺を日々考え続ける」ような「内面の苦しみ」にぶつかった場合には、それを何とか克服して生きる方を選びたいという考え、ないしは、実際にそのような苦しみに直面した経験のない者としての楽観的希望、を持っているということになりましょう。
 三島由紀夫の場合には、苦悩が大きかったというより、老醜をさらしたくないという美意識から、ライフワーク長編の完結時点で半ば欣然として自死を選んだように私は思いますが、いかがでしょうか。