2005年3月1日火曜日

障子に春の気配

高校時代の交換日記から。

1952 年 3 月 9 日()晴れ

(Sam)

 小学生時代にはよくやらされることだが、一カ年の思い出を絵巻物に書かなければならないのだという。とうとうまる一日かかってしまった。
[1]

(Ted)

 昨日「芸術?」と書いたことに関係のある歌劇を「音楽の泉」が聞かせてくれる。♪ ランラーラランラン ラーララーララン ラーンラララーン ランラーララン … ♪
 部屋は閉め切ってある。北東に当たる前方の障子は青みを、南西に当たる後方のは黄色みを帯びて、じつに明るい。時どき、陰って、またぱっと明るくなり、空と日光に対する憧憬的な感情をそそる。急いで直りつつあるのだろう霜焼けが猛烈にかゆい。前の障子を少し開けてみる。すーっと寒い風が来るのは気のせいだろうか。光は思ったほど鮮やかではない。障子を閉めると、また明るくなる。

 BK 杯争奪タイガース・ブレーブス戦第 2 戦。天保が好投! しかし、2、3 年前のように、飛び上がるほど嬉しいとは思えなくなってしまった。浜崎さん [2] のそれ [3] だったのが、「反省点綴」の中に代名詞で、それも「M 君」の言葉の引用で、ただ一度出てくる人物 [4] のそれになったりしたのだから …。(ゆらゆらゆら … 地震か?)
 いやいや、こんなことを書いているときではない。もっと吸収作業に忙しくなろう。

 引用時の注
  1. 近所の子どもたちを指導したのだろう。
  2. 浜崎真二(1901–1981)は当時、阪急ブレーブスの監督、最高齢登板記録(48 歳)保持者。阪急監督時代は今西、天保、野口ら、巨人キラー投手を巧みに使った用兵の妙で知られた。1978 年、野球殿堂入り。
  3. 「ファン」を意味する。浜崎さんも私も大連からの引揚げ者という関係で、ファンになった。
  4. 中学同期の一女生徒のこと。このあとの「それ」にも「ファン」を代入すると、その女生徒「のファンになったりした」という妙ないい方になるが、プロ野球のことよりも女生徒が気にかかる年頃になったという自覚を記したのだろう。

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