2020年4月15日水曜日

カミュの『ペスト』を読み始める (Started reading Camus's "Pest")

[The main text of this post is in Japanese only.]


『新潮世界文学 48:カミュ I』(1968) 冒頭のカミュの写真。
The photo of Albert Camus at the beginning of "Shincho Sekai Bungaku 48: Camus I" (1968).

 新型コロナウィルスの影響で、カミュの小説『ペスト』がよく売れているというニュースを見た。そこで、私も先日、まだかなりの部分が応接間の本棚に積読になっている『新潮世界文学』中のその作品が入っている 1 冊を取り出して来た。

 まだ少ししか読み進んでいないが、次のような言葉が出て来て、その通りと思った。
戦争が勃発すると、人々はいう——「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにもばかげたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。
ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らは自ら自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである。[宮崎嶺雄・訳]
 初めの引用文は、世界に何人もいる戦争好きの政治家たちに読ませたいものである。二番目の引用文は、「ペスト」を「新型コロナウィルス」に、「彼ら」(小説の舞台であるアルジェリアの要港・オランの人々を意味している)を「世界の人々」に置き換えると、いまの現実に当てはまりそうだ。

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2020年4月3日金曜日

歌記事へのコメントから -5-:終戦直後の流行歌 (From My Comments on Song Articles -5-: Popular Songs Just after the End of the WWII)

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チューリップとスミレ。ウォーキング途中で、2020 年 3 月 26 日撮影。
Tulips and violets; taken on March 26, 2020 during walking exercise.

歌記事へのコメントから -5-:終戦直後の流行歌

 本記事は、ブログ記事「ちょっと休憩 ~ ♪」[1] へのコメントをもとにした文である。ブログ makuragakayogakudan のその記事は、更新を 1 週間ほど休む代わりに、コメント欄へ「皆さんの書き込みは、是非、たくさん~お待ちしております!」と述べたものである。その期待に応えるため、本ブログの先の記事にした「花」の思い出中の「[私が小 6 の時、]休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた」ことに関して書いたものである。



 私が小学校 6 年生だったのは、戦後 2 年目で、休み時間に歌われていた歌といえば、♪ 赤い花なら曼珠沙華/阿蘭陀屋敷に雨が降る ... ♪ と始まる『長崎物語(「じゃがたらお春」の唄)』がある(下掲の YouTube 動画参照)。徳川幕府が 1636 年に出した混血児の海外追放令でジャガタラ(現在のジャカルタ)へ追放になった 14 歳の少女「お春」を歌ったものだそうだ [2]。小柄な N 君が得意げに歌っていたのがいまも目に浮かぶ。作詞=梅木三郎、作曲=佐々木俊一で、由利あけみが歌ったレコードが 1939 年に発売されたという [3]。1930 年代の歌といえば、いかにも古いようだが、1939 年は私たちが 6 年生の時から 8 年前で、戦争中には流行歌などはほとんど作られなかっただろうから、当時はまだ新しい歌だったのだ。戦争中のいろいろな束縛から解放されて、この歌などがラジオからよく流れていたものと思われる。



 もう一つ「ジープでハロー」というような語句のある歌を、青い学生服(当時はまだ戦争中の名残で、国防色といわれた黄土色の学生服を着ている児童が多かった中で、その色は目立った)を着て「色男」のあだ名をつけられていた K 君が歌っていた記憶がある。いつかの同窓会の折にそのことを思い出し、K 君にその歌の題名を尋ねたが、彼はそんな歌を歌っていたことさえも覚えていなかった。いまインターネット検索してみると、それらしい歌(「ジープ」と「ハロー」は出てくるが、「ジープでハロー」とつながった語句はない)に、作詞=吉川静夫、作曲=上原げんと、歌=鈴村一郎、レコード発売 1946 年の「ジープは走る」があった[4]。♪ スマートな可愛いボデイ/胸のすくよなハンドルさぱき ... ♪ と、進駐軍のアメリカ兵が乗り回していた小型トラック「ジープ」、あるいはアメリカ兵自体を讃えた歌である(下掲の YouTube 動画参照)。K 君が歌っていたのはこれだったようだ。彼は「ハロー、ハロー」のところで手を上げる所作をしていたものだ。



  1. 「ちょっと休憩 ~ ♪」、ブログ makuragakayogakudan 記事(2020 年 3 月 29 日)。
  2. 「長崎物語」、ウェブサイト『懐かしのメロディー』所収。
  3. 長崎物語「じゃがたらお春の唄」、国立国会図書館デジタルコレクション。
  4. 「ジープは走る」、国立国会図書館 歴史的音源

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2020年4月1日水曜日

歌記事へのコメントから -4-:「花」の思い出 [From My Comments on Song Articles -4-: Memories of "Hana (Cherry Blossoms)"]

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 以下は、ブログ記事「花」[1] へのコメントをもとにした文である。この記事には、鮫島有美子による歌唱とタンポポ児童合唱団による歌唱の YouTube 動画が埋め込んであった。もとのコメントには前の記事へのコメントの間違いの修正を記してあったが、本ブログ内ではその修正は先の記事で済ませたので、その部分を省略するなどの修正をした。



 先の記事「卒業式シーズン」のコメントとして「『仰げば尊し』の思い出」を書いたが、その思い出の場面である、2011 年 8 月の旧金沢市立石引町小学校 6 年 2 組の同窓会で「仰げば尊し」に続いて歌ったのが、奇しくも今回の記事で取り上げられた「花」だった。ドイツ語でクラシックの歌を歌う合唱団に入っている元同級生のリードで、まず私の提案した「仰げば尊し」を歌ったあと、彼女自身の発案で「花」を歌ったのだ。ところが、彼女は 2 番の歌詞を途中で間違えて、そこで合唱は終わりとなった。私がその同窓会のことを書いたブログ記事 [2] には、「『花』は私の愛唱歌の一つであり、私が彼女からマイクを貰って続きをリードすればよかったのだが、...」と記している。

 ところで、同じ 6 年 2 組の同窓会の別の機会にも「花」を歌ったのだが、そのことはブログに書いてなく、2010 年以前のことだっただろうという不確かなことしかいえない。以下の記述にも事実とは相違があるかもしれない。2011 年の時と同じく、会場は石川県のどこかの温泉旅館だった。早めに到着した私は他の男性元同級生 2 人ばかりと温泉に入り、ここならば声がよく響きそうだと思い、「花」を、1 曲全部ではなかったかもしれないが、浴槽中で独唱した。そのあとの宴会の途中で、女性の参加者たちが、申し合わせたように「花」を歌い始めた。途中から、男性では私だけがそれに合わせて歌った。私だけではなかったにしても、熱心に歌った男性は私だけだったといってよいだろう。

 女性たちは先に男湯で歌っていたのが誰かを確かめようと図り、私はまんまとそれに乗せられたのだったかもしれない、といまになって思う。その時は、女湯まで聞こえるほど大きな声で歌った気はしていなかったので、彼女たちが「花」を歌ったのは偶然だと思っていた。しかし、偶然にしては出来すぎていないだろうか。

 私は小学生時代の 2 度の転校で言葉の相違を含むカルチャーショックを受け続け、そのため、6 年生の時は極めてシャイな児童になっていた。休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた中で、私は歌など歌ったことは全くなく、雑談の輪の中にいても、もっぱら聞いているばかりだった。雑談時に自らはあまり話さないという性癖はいまも大して変わらないが、歳を取って歌うようになった私を見た元女児たちは興味深く思ったことだろう。

 なお、このコメントを投稿した元記事中には、鮫島有美子の「花」の動画を「お手本」として紹介してある。最近の私は多くの曲で鮫島有美子の歌唱を手本にしており、この曲も例外ではない。そして、偶然にも元記事と同じく 3 月 26 日付けで掲載された「ねこじゃらしうたチャンネル」(私はチャンネル登録して毎晩聴いている)の曲も「花」だった。ここにそれを引いておく。



 「休み時間に流行歌を盛んに歌っていた児童もいた」という思い出に関連して、それらの流行歌について追加したいが、長くなるので、次回に回すことにする。

  1. 「花」、ブログ makuragakayogakudan 記事(2020 年 3 月 26 日)。
  2. 「小学校同級会」、ブログ Ted's Coffeehouse 2 記事(2011 年 8 月 29 日)。

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2020年3月30日月曜日

歌記事へのコメントから -3-:「仰げば尊し」の思い出 [From My Comments on Song Articles -3-: Memories of "Aogeba Tōtoshi" (a Song Sung at Graduation Ceremonies)]

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堺市クリーンセンター浄化ステーション庭園のチューリップ。
2020 年 3 月 25 日撮影。
Tulips in the garden of Sewage Treatment Plant, Sakai; taken on March 25, 2020.

歌記事へのコメントから -3-:「仰げば尊し」の思い出

 以下は、ブログ記事「卒業式シーズン」[1] へのコメントをもとにした文である。この記事には、「仰げば尊し」が紹介してあり、立川清登による歌唱と映画『二十四の瞳』中の歌唱の YouTube 動画が埋め込んであった。もとのコメントには記憶の間違いなどがあったので、ここでは大幅に修正している。



 私は春先によく風邪を引いたので、卒業式は小学校から大学院修士課程(これは卒業といわないので、修了式だが)まで、一つおきにしか出席できなかった。中学と大学の卒業式が抜けたのである。高校の卒業式や大学院の修了式で「仰げば尊し」を歌ったかどうかは記憶にないが、小学校では歌った。その頃は「いまこそ別れめ」の「め」が「こそ」との掛結びとしての助動詞「む」の已然形とはまだ知らなかったから、「いまこそ分かれ目」と思っていた。

 「仰げば尊し」を恩師の前で最後に歌ったのは、約 8 年半前(2011年 8 月)の旧金沢市立石引町小学校 6 年 2 組の同窓会の折だった [2]。A 先生を初め、女性 8 名、男性 10 名が参加していた。ドイツ語でクラシックの歌を歌う合唱団に入って各国を歌い歩いているという元気な女性が、翌日地元で出演する予定が入って早く帰ることになり、その前に彼女のリードで皆で何か歌を歌おうということになった。私は先生を讃えるためにと、「仰げば尊し」を提案し、それが採用になり、一番だけを歌ったと思う。A 先生は 4 年前に亡くなられ、その時の「仰げば尊し」が A 先生への歌での感謝としては最後のものとなった[6 年 2 組の同窓会自体は、この翌年、A 先生が卒寿、生徒の多くが喜寿(どちらも満年齢で)となったことを記念して集まり、これが最後であった [3]]。

 なお、立川清登は私の最も好む男性歌手の一人である。

  1. 「卒業式シーズン」、ブログ makuragakayogakudan 記事(2020 年 3 月 25 日)。
  2. 「小学校同級会」、ブログ Ted's Coffeehouse 2 記事(2011 年 8 月 29 日)。
  3. 「金沢での同窓会」、ブログ Ted's Coffeehouse 2 記事(2012 年 8 月 23 日)。

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2020年3月29日日曜日

歌記事へのコメントから -2-:元気づける歌 (From My Comments on Song Articles -2-: The Song That Cheers Us Up)

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ゲンペイモモ、中の池公園で、2020 年 3 月 25 日撮影。
Cherry plum in Nakanoike Park; taken on March 25, 2020.

歌記事へのコメントから -2-:元気づける歌

 以下は、ブログ記事「1 日 1 歩、3 日で 3 歩 …」[1] へのコメントをもとにした文である。この記事には、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」が紹介してあった。



 新型コロナウィルスが拡散しているこの時期にふさわしく、元気づけてくれる歌を紹介して貰い、感謝している。私は流行歌手が広めた歌をあまり知らないほうだが、「三百六十五歩のマーチ」はおおよそ知っていた。

 この歌の誕生が 1968 年ということなので、その年の出来事を調べると、メキシコ・オリンピック開幕、グルノーブル・オリンピック開催(冬季)、川端康成がノーベル文学賞受賞、小笠原諸島日本に復帰、3 億円強奪事件、日本の GNP がアメリカについで第 2 位に、郵便番号制度実施、日本初の超高層ビルである霞が関ビル完成(高さ 147 メートル)、日本人が初めて南極点に到達(村山雅美隊長率いる第 9 次越冬隊)などがある [2]。水前寺清子より 10 歳年長の私自身はその時働き盛り(?)で、いま大きく成人した孫 2 人の親である長女が幼稚園児だったことになる。

 なお、3 月の心斎橋での「アートクラブ 504」と岸和田での「みんなで歌う音楽会」は、26 日と 30 日にそれぞれ休むことなく開催される予定になっているが、家族が私の度重なる公共交通機関使用を心配するので、残念ながら、コロナウィルス感染者数が減少傾向になるまで不参加とすることにした。もっぱら YouTube の「ねこじゃらしうたチャンネル」や、鮫島有美子の CD に合わせて歌うことを楽しんでいる。

  1. 「1 日 1 歩、3 日で 3 歩 …」、ブログ makuragakayogakudan 記事、2020 年 3 月 24 日。
  2. 「1968年(昭和43年)流行・出来事/年代流行」(ウェブサイト『年代流行』 内)から抜粋。

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