2013年4月30日火曜日

学士会関西茶話会 (Kansai Tea Party of Gakushikai)


[Abstract] I attended at the 12th Kansai Tea Party of Gakushikai (Bachelors' Association of Seven Universities) held at Kyoto University Rakuyu-kaikan, Kyoto, on Saturday, April 27, 2013. Ikuko Shitamichi, Associate Professor at the Tokyo College of Music, gave a talk entitled "Song of Seven Universities: Their charm and Musical Characteristics." After her talk, participants sang the songs related to Kyoto, Tokyo and Hokkaido Universities, by the lead of three former cheerleaders of Kyoto University. (Main text is given in Japanese only.)

 4 月 27 日(土)、京大楽友会館(1 枚目の写真)で開催された第 12 回学士会関西茶話会に参加した。14:30 に開会し、まず、東京音楽大学准教授・下道郁子さんの「七大学をめぐる歌:その魅力と音楽的特徴」と題する講演があった。いまも歌い継がれている各大学の代表歌の魅力を音楽の専門家の立場から分析した話で、旧制一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」(正式名称は、第十二回紀念祭東寮寮歌)、旧制三高逍遥の歌「紅萌ゆる丘の花」、それに北海道大学寮歌「都ぞ弥生」を中心に述べられた。下道さんは、学士会発行の雑誌の一つ『U7』の 37 号から 48 号にかけて「七大学をめぐる歌」という文を連載していたとのことである。私はそれを読んでいなかったが、おおよその内容は当日の話に盛られていたことだろう。

 次いで京大応援団 OB 3 名のリードによって(2 枚目の写真;左端こちら向きの女性が下道さん)、「紅萌ゆる丘の花」、「琵琶湖周航の歌」、「嗚呼玉杯に花うけて」、「都ぞ弥生」を参加者全員が歌った(一番から最後までの歌詞を全部歌ったのは初めの二つのみ)。私も初めの二つは大きな声で唱和した。そのあと、立食式の茶話会があった。今回の参加者数は、会員 40 名、同伴者 10 名。関西茶話会としてはこれまでの最多だったそうである。配布された出席者名簿によれば、参加会員の大学卒業年は 1950 年から 1973 年におよび、ちょうど半数の 20 名が私(1958 年卒)より早く卒業した人たちだった。

2013年4月28日日曜日

4月下旬、わが家の庭の花々 2 (Flowers of Our Yard in Late April -2-)


 写真は上から、タツナミソウ、ムラサキツユクサ、フレンチ・ラベンダー、モッコウバラ、ラナンキュラス(赤)。いずれも 4 月 26 日に撮影。

Photos show from above: Skullcaps, Ohio spiderwort, French lavender, banksia rose and ranunculus (red). All the photos were taken on April 26, 2013.

2013年4月26日金曜日

4月下旬、わが家の庭の花々 1 (Flowers of Our Yard in Late April -1-)


 写真は上から、ラナンキュラス、アマドコロ、テッセン、アッツザクラ、エニシダ。1、2 枚目は 2013 年 4 月 23 日、他は 26 日に撮影。

Photos show from above: ranunculus, angular Solomon's seal, Asian virginsbower, red star and broom. The first two photos were taken on April 23; others, on April 26, 2013.

2013年4月23日火曜日

2013年3月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of March 2013)

[This post is in Japanese only.]






写真は 3 月中に撮影しながら掲載する機会のなかった花々。上から、プリムラ(24 日撮影)、ハナニラ(同)、トサミズキ(26 日)、ゲンペイモモ(30 日)、
ベニバナトキワマンサク(左)とトキワマンサク(右)(31 日)。

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 3 月分への感想を 2013 年 4 月 20 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 鹿教湯温泉1~5

 5 回にわたる旅行記をところどころ省略して集めてみると、下記のようになっています。
 3 月 7 日に妻と長野県上田市の鹿教湯温泉を訪れ、10 日まで滞在した。[……]鹿教湯という名は、鹿に姿を変えた文殊菩薩が、信仰心の厚い猟師に温泉の場所を教えたという開湯伝説に因んでいる。南西から北東に向って伸びる温泉街の通りのほぼ正面に鹿教湯富士(1,029 m)が見える。[……]
 旅の 2 日目には、今月の毎金曜日に斎藤ホテルが催行しているバス旅行「養命酒工場見学と喬木村いちご狩り」に参加した。同ホテルのバス旅行は、昔の駕篭による旅にちなんで「斎藤駕篭屋」と名づけられている。[……]
 [養命酒駒ヶ根工場の]敷地内では、縄文・弥生時代から平安時代にかけての遺跡が発見され、縄文・弥生時代の住居を復元した場所もある。短距離ながら、4 通りの自然散策コースも設けられている。養命酒の製造工程はほとんど自動化されていて、作業している人々は少ない。[……]
 [……]「和みの湯宿 なかやま」[での昼食後、そこから]ほど近い光前寺へ自由散策。ここは杉の林の中にあり、樹齢数百年の巨木も多く、境内全域が「光前寺庭園」の名で国の名勝に指定されている。続いてバスで[……]喬木村のイチゴ農場へ。試食したイチゴの品種は「ゆめのか」、「紅(べに)ほっぺ」、「章姫(あきひめ)」。同日の夕食後はホテルでロビーコンサートを聞き、くつろいだひとときを持った。[……]
 旅の 3 日目は、[……]ホテルで貰った「鹿教湯温泉案内図」を頼りに、妻と付近の散策に出かけた。ホテルの横手へ少し行くと、内村川という細い谷川がある。そこにかかる五台橋のたもとの旧源泉地に、文殊の湯という共同浴場がある。五台橋を渡って右手へ進むと、「鹿教湯」の名にゆかりのある文殊菩薩をまつった文殊堂がある。また、左手には薬師堂がある。薬師堂の前の道を進むと紅葉橋があり、その少し先で右に曲がれば温泉街のメインストリートへ出る。このあと、われわれはメインストリートを隔てて文殊堂や薬師堂の反対側にある小山の上の月見堂や展望台を目指した。
 [……]月見堂と稲荷神社を経て展望台までの上り道は、登山が趣味の妻には散歩程度のものだが、私にとってはちょっとした登山であった。小石や落ちている小枝、松笠、ぬれているところなどを踏んで滑らないようにとの妻の注意に助けられながら到着した。[……]展望台[の]説明板には「鹿教湯温泉を眼下におさめ、四季折々、内村川、長沢川に沿った美しい田園風景が見られます。お腹の底から大きな声で叫んでみるのも一興です」とある。[……]
 温泉街へ下りて、「信州手打ちそば 辰巳屋」で、くるみそばの昼食をとる。[……]食後、内村ダムまで歩いてみようと思った。しかし、ホテルで貰った「鹿教湯温泉案内図」がその辺りについては不親切であり、たどった道が正しいかどうか分らなくて、途中で断念した。[……]——帰宅する日には少し寒くなったものの、温かい日々に恵まれたよい旅だった。
 記事中の写真とスケッチ、そしてリンクされている鹿教湯温泉周辺の案内図を見ながら読めば、付近の地形や名所などの風景がよく分り、ご夫妻が信州の山にかこまれた鄙びた温泉で、ゆったりくつろがれた様子がありありと伝わってきます。ホテルが、遠路の送迎の便宜を図り、客に滞在を楽しんで貰うようにいろいろと企画し、まち作りにもに努力している様子も感じられます。私は鹿教湯温泉を初めて知りました。インターネットで調べますと、湯治で人気がある温泉のようです。

2. 春一番
 [……]先日来、NHK BS プレミアムでジェームズ・ステュアート主演の映画を三本見た。『ハーヴェイ』(1950)、『グレン・ミラー物語』(1953)、『スミス都へ行く』(1939) である。[……]『グレン・ミラー物語』は大学 1 年のときに見て、自分もジューン・アリスン演じるヘレンのような女性と結婚したいと思ったものだ。その望みがかなったかどうかは、ご想像に任せる。きょうは妻の 77 回目の誕生日である。
 後半の文章にはユーモアを感じます。奥様の 77 回目の誕生日おめでとうございます。上述の「鹿教湯温」の展望台に登るくだりを読むと答えのヒントが得られるでしょう。

3.「花は花は花は咲く」
 [……]春になって、いろいろな花が一斉に咲き始めた。上掲の写真は、いずれもわが家やウォーキング途中で、3 月 11 日から 18 日の間に撮影したものである。[……]花々を見ていると、東日本大震災の被災地・被災者の復興を応援するために制作されたチャリティーソング「花は咲く」(作詞=岩井俊二、作曲・編曲=菅野よう子)の歌詞の一部分「花は 花は 花は咲く」が、頭の中を駆けめぐる。
 ところで、この歌詞はなぜ「花が 花が 花が咲く」ではないのだろうかと、ふと思った。古くからある歌の多くは、「何々が咲く」の形となっている。「みかんの花が咲いている」、「からたちの花が咲いたよ」、「この道はいつか来た道/ああ そうだよ/あかしやの花が咲いてる」など。昔(私自身の時代でなく、私の母か兄の時代だったか)の小学校一年生の国語の教科書には、「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」があった。また、花ではないが、「出た出た月が」という歌もある。これらを思い合わせると、「花は咲く」は奇妙に思われたのである。
 大野晋の『日本語練習帳』(岩波新書、1999)を取り出してみると、助詞「は」と「が」の相違を説明したところに、ちょうど「花が咲いていた」と「花は咲いていた」を例文にしてある。その説明は、簡単にいえば、「が」の上には新情報が来るのに対し、「は」を使った文では「は」の下に新情報が来るということである。…中略…すなわち、「花」は「いつか生まれる君のために咲く」という新鮮な見方に基づく情報を述べている。[……]なお、2 番の最後の節は次のようになっている。
 花は 花は 花は咲く
 いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く
 いつか恋する君のために
[……]「いつか恋する君のために咲く」という詩情豊かな情報が付加されている。
 筆者はこのように、「が」と「は」の用法の違いについて分りやすく説明しています。言葉の表現の繊細さをあらためて知り、大変勉強になりました。

2013年4月21日日曜日

行事続き (Events Make Me Busy)

 このところ、いろいろな行事に参加するなどで忙しく、一つ一つ詳しく書いている暇がない。そこで、ここにそれらのいくつかをまとめて簡単に記す。

Lately, I am busy going to a variety of events and cannot afford any time to write one by one in detail. So, I describe here about some of those events rather briefly.

 4 月 5 日、大阪・ヒルトンウェスト内の桃谷楼で関西嶺前会(大連嶺前小学校同窓会関西懇親会)。参加者 45 名、うち 1948(昭和 23)年卒予定の同期生は私を入れて 6 名。

On April 5, the Kansai Region reunion of Dalian Reizen Primary School was held at Tōkokurō in Hilton West, Osaka. There were 45 participants, in which six, including me, were of the 1948 class.

 4 月 13 日、堺市民会館で「I LOVE 9条 さよなら原発:落合恵子さんが語る いのち・平和・核」。参加者 930 名。いのちと平和を守る運動は、「持続的なエネルギー」を持って進めなければ、と落合さん。

On April 13, the meeting I Love Article 9; Goodbye, Nuclear Power Plants: Keiko Ochiai Talks about Life, Peace and Nuclear Power was held at Sakai Civic Center. There were 930 participants. Ochiai said that we should do the movement to keep the peace and life with "sustainable energy."

 4 月 17 日、妻と京都市美術館で「ゴッホ:空白のパリを追う」と「リヒテンシュタイン:華麗なる侯爵家の秘宝」の二つの展覧会を見る。前者ではゴッホの彼らしい絵に到達するまでのいろいろな試みの作品や、パースペクティブ・フレームという道具を使って風景をデッサンした時代のあったことの紹介が興味深かった。後者では「キリスト哀悼」、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」などのルーベンスの作品が、とくに素晴らしかった。

On April 17, my wife and I went to Kyoto Municipal Museum of Art to see two exhibitions: Van Gogh in Paris: New Perspectives and Master Works from the Collections of the Prince of Liechtenstein. In the former, a variety of attempts to reach the later style of Van Gogh and a model of perspective frame used by him for drawing landscapes in a certain period were interesting. In the latter, works of Rubens, for example, The Lamentation and Portrait of Clara Serena, were especially wonderful.

 4 月 18 日、堺市立西文化会館で「春の歌声喫茶」。3 曲のリクェストを書いて出したが、採用されたのは「椰子の実」だけ。それでも、私の愛唱歌も多く歌われたので、大いに楽しんだ。二つの沖縄の歌の前にリーダーが「平和を願って」といったのは、「原爆許すまじ」のリクェストに書いたコメントだけが採用になったのだろうか。

On April 18, Spring Utagoe Coffeehouse in Westy was held at Nishi Culture Hall (Westy), Sakai. I submitted three requests for songs, among which only Yashi no mi (The fruit of the palm tree) was adopted. However, so many of my favorite songs were sung that I enjoyed the event very much. The song leader said, "Hoping for peace," when she proposed to sing two songs of Okinawa. This introductory comment was probably taken from my request card for Gembaku o yurusumaji (No more atomic bombs).

2013年4月19日金曜日

わが庭のちょっとした花博 (Small Flower Expo in Our Yard)


 写真は上から、シャガ、スミレ、シバザクラ、ハナミズキ(赤)、ハナミズキ(白)、シンビジウム(ピンク)、シンビジウム(白)、フリージア。わが家の庭で、2013 年 4 月 10、15 日に撮影。

Photos show, from the top: fringed iris, violet, moss phlox, flowering dogwood (red), flowering dogwood (white), boat orchid (pink), boat orchid (white) and freesia. Taken in our yard on 10 and 15 April 2013.

2013年4月17日水曜日

映画『アンナ・カレーニナ』 (The Film Anna Karenina)


 さる 4 月 8 日、近くのシネマコンプレックスで、ジョー・ライト監督によるイギリス映画『アンナ・カレーニナ』を見た。私がトルストイ原作の邦訳を読んだのは、高校 1 年生のときであり、アレクサンドル・ザルヒ監督、タチアナ・サモイロワ主演のソ連製映画(Ref. 1;文献リストは英文の下)を見たのも 45 年ほど前のことになり、それらとの比較は難しい。しかし、おおざっぱな個人的好みとしてはソ連製映画に軍配を挙げたい。

 今回のイギリス映画でヒロインを演じたキーラ・ナイトレイの容貌や演技はかなり個性的で、アンナの新しい解釈という意味では興味深かったが、トルストイ作品のイメージからは、いくらか、はみ出している感じがした。この点では、私の印象は、「キーラ・ナイトレイはひたすら美しい人形に終始する」という藤原帰一氏の批評(Ref. 2)と全く異なる。これは、女性の美しさや行動に対する世代感覚の相違によるのかもしれない。他方、この映画では、平行して進むレーヴィンとキティの恋に重みがおかれていて、ここでは原作の精神が尊重されている、と私が思った点では、藤原氏の評とほぼ一致する。

 ライト監督は、場面の変る毎に舞台形式の映像を使い、そこからズームインして普通の映画に移るという工夫を施していた。その発端は、同監督がロシアではなく英国での撮影を強いられた結果、普通の映画化ではリアルさを欠くのではと危惧したことだったという。そして、結果的には「本来の自分の望みに忠実にではなく、周囲に期待された人生を演じながら生きていたロシア社交界の人々の内面をリアルに、より深く描ける」という別の効果をも得られた、と報道されている(Ref. 3)。しかし、その工夫は、目新しくはあったが、別の挿話に変るたびに突如舞台形式に戻る転換が、ストーリーに比べて脳裏に強く残り過ぎる感があった。外国の批評家たちのこの映画に対する評価も、Ref. 4 で見ると、賛否相半ばしているようである。


On April 8, I went to the nearby cinema complex to see the British film "Anna Karenina" directed by Joe Wright. I read a Japanese translation of Tolstoy's novel of the same title in my freshman year at senior high school and saw the Soviet film (Ref. 1), directed by Aleksandr Zarkhi with Tatyana Samojlova's starring, about 45 years ago. So, a comparison of the new film with the original novel or the earlier film is quite difficult. However, I would like to say that the Soviet version of the movie was better than the new British film, according to my rough, personal preference.

The look and performance of Keira Knightley, who played the heroine in the new movie, was pretty unique, and it was riveting in the sense of a new interpretation of Anna, though it was different, to some extent, from the image of Anna in Tolstoy's work. In this regard, my opinion is quite different from the criticism by Kiichi Fujiwara, who writes, "Keira Knightley played a role of a beautiful doll from the beginning to the end" (Ref. 2). This difference may be due to the gap between ideas of different generations about women's beauty and behavior. On the other hand, I think, in agreement with Fujiwara, that it was good that the idea of the original about the love story of Levin and Kitty, proceeding in parallel, was much respected in the new film.

Every time when it comes to a new scene, the film by Joe Wright turned into the form of the stage show and gradually zoomed into the real scene of an ordinary film. This method was reported to have been devised from the director's fear that the film might lose the reality in the usual adaptation when he was forced to make it in the UK rather than Russia. It was also reported that, as a result, he had been able to get another benefit of "realistic and insightful portrayal of the inner side of the people of the Russian society, who lived not the life faithful to their own will but the life expected by other people around" (Ref. 3). Though it was a new surprise, the sudden change of the style back into the stage play every time for a new episode gave me a too strong impression compared with the story itself. I have also learned from Ref. 4 that there are almost equal numbers of pros and cons about this film among overseas critics.

References
  1. Anna Karenina (1967 film), Wikipedia, The free encyclopedia (1 March 2013 at 07:07).
  2. 藤原帰一, アンナ・カレーニナ:舞台劇という仕掛けで模倣でない古典批評に, 毎日 jp (April 1, 2013).
  3. 自分の感情に訴えかける作品:ジョー・ライト監督 映画「アンナ・カレーニナ」, msn 産経ニュース (March 29, 2013).
  4. Anna Karenina (2012 film), Wikipedia, The free encyclopedia (17 April 2013 at 03:27).

2013年4月15日月曜日

四月半ばの風景と花々 (Landscapes and Blossoms in Mid-April)



津久野南団地の遊戯広場に赤と白のハナミズキが色を添えている。
Red and white blossoms of dogwood trees are adding an elegant taste of colors to the sight of one of playgrounds in Tsukuno-minami Housing Complex.



泉北スポーツ広場横の土手に新しくサクラ並木が作られたようだ。成長が楽しみである。
New arrays of cherry trees seem to have been made on the bank at the side of Semboku Sports Square. We can enjoy the growing of those trees through coming years.



八田荘公園の落葉樹に新しい葉が出始めている。
New leaves are beginning to appear on deciduous trees in Hattashō Park.



シモクレンの花がまだ咲いている。
Blossoms of Mulan magnolia are still in bloom.



フジの花も咲き始めた。(写真はいずれも、きょうのウォーキング中の撮影。)
Blossoms of Japanese wisteria have begun to bloom. (All the photos above were taken on my way of walking practice today.)


2013年4月14日日曜日

アセビ (Japanese Andromeda)


 わが家のアセビは、咢が薄黄緑色(1 枚目の写真)で、遠目にはその色が目立たなくて、花の咲いている様子は、白っぽく清楚な感じである。他方、鳳公園のアセビの咢は赤色(2 枚目の写真)で、派手である。遠目には、茶色っぽく見えて、毒々しくもある。実際、アセビはグラヤノトキシン I という有毒成分を含んでいるという。ところが、今年、わが家のアセビの木にも一つの枝に咢が部分的に赤みを帯びた花がついた(3 枚目の写真)。 赤もこれくらいならば可愛い、とは「親の欲目」か。

Blossoms of the Japanese andromeda tree in my yard have calyxes of light yellow-green color (the top photo), which is not noticeable from a distance. So, these blossoms give us a neat and fresh feeling. On the other hand, blossoms of the Japanese andromeda trees in Ōtori Park have red calyxes (the middle photo) and, at the distance, are seen to be brownish and even poisonous. In fact, this plant contains a toxic ingredient called grayanotoxin I. This year, a branch of the tree in my yard had blossoms with calyxes partially reddish (the bottom photo). I think that calyxes with such a small amount of red color are quite cute, though this might be what is said in the proverb, "All his geese are swans."

2013年4月12日金曜日

ヤエザクラ、ハナズオウなど (Double Cherry Blossoms, Chinese Redbud, etc.)


 写真は昨 4 月 11 日ウォーキング中に撮影した花々。上から 2 枚はヤエザクラ、3 枚目はハナズオウ、4 枚目はヒメオドリコソウ、5 枚目はタンポポ、最後はヤマブキ。

Photos above, taken during walking exercise yesterday, shows blossoms and flowers now in bloom: the first two, double cherry; the third, Chinese redbud; the fourth, red deadnettle; the fifth, dandelion; and the last, Japanese kerria.

2013年4月10日水曜日

東京で、2013年春 -3- (In Tokyo, Spring 2013 -3-)


 4 月 4 日午前 9 時 45 分に、JR 東京駅丸の内中央改札口で M・Y 君(毎月の「○年○月分記事へのエム・ワイ君の感想」の著者である、大学生時代からの友人)と待ち合わせた。まず、東京駅 丸の内駅舎のよい眺めの得られる丸ビル 5 階テラスと日本郵便の商業施設「KITTE(キッテ)」4階の旧東京中央郵便局長室を案内して貰った。上掲の写真 1 枚目と 2 枚目はそれぞれ、これらの場所から撮ったものである(1 枚目は、クリックすると拡大イメージをご覧になれる)。

 次いで、三菱一号館美術館で開催中の「奇跡のクラーク・コレクション—ルノワールとフランス絵画の傑作—」展へ案内して貰った。同美術館は、「丸の内ブリックスクエア」を構成する施設として、2010 年に開館したものである。上記の展覧会は、米国マサチューセッツ州にあるクラーク美術館のコレクションから、中でも質の高い印象派を中心とするフランス絵画をまとめて紹介しており、5 月 26 日まで開催されている。3 枚目の写真は、ルノワールの作品「劇場の桟敷席」をあしらった同展チケットの上部である。

 展示されている作品は、ルノワールのほか、ミレー、ピサロ、マネ、モネらのものを含み、全部で 73 点もあり、そのうち 59 点が初来日だという。いくつかの部屋を見て、十分に堪能したと思ったら、ドアの先にまだひと部屋が残っていた。私自身を含めて、印象派ファンが何度でも訪れたくなるような展覧会である。

 美術館前の明るいレストランで M・Y 君と昼食をともにしながら語り合ったあと、東京駅で別れた。楽しい 3日間の記憶を胸に、ひかり 513 号で 15 時 30 分に新大阪帰着。(完)


At 9:45 am April 4, I met Mr. M. Y., a friend of mine since university days, at Marunouchi central entrance of JR Tokyo Station. First, he guided me to the fifth-floor terrace of Marunouchi Building and the previous room of the Director, Tokyo Central Post Office, on the fourth floor of "Kitte," both of which gave us a good view of Marunouchi building of JR Tokyo Station. The first and second photos above were taken at these places (clicking the first photo makes you see an enlarged image).

Next, we visited Mitsubishi Ichigokan Museum to see the exhibition "Great French Paintings from the Clark." The museum was opened in 2010 as a facility to make up "Marunouchi Brick Square." The exhibition, to be held until May 26, is showing paintings of outstanding quality, mainly those by Pierre-August Renoir and other French Impressionists, from the Sterling & Francine Clark Art Institute (simply called the Clark) in Massachusetts, United States. The third photo shows the upper part of the ticket for the exhibition, decorated with Renoir's "At the Concert, a Box at the Opera."

In addition to Renoir's works, there were those of Jean-François Millet, Jacob Camille Pissarro, Édouard Manet, Claude Monet, et al, and the total number of works amounted 73, including 59 paintings that came to Japan for the first time. After looking at works in several rooms, we felt to have enjoyed so much, but there was one more room ahead of a door. This is an exhibition of the kind that makes fans of Impressionism paintings, to which I belong, want to visit again and again.

Then, Mr. M. Y. and I talked over lunch at a bright restaurant in front of the museum, before parting at Tokyo Station. With the memory of three delightful days, I returned to Shin-Osaka at 15:30 by the bullet train Hikari 513. (End)

2013年4月8日月曜日

東京で、2013年春 -2- (In Tokyo, Spring 2013 -2-)


 4 月 3 日の同窓会のあと、宿泊している学士会館へいったん戻ってから、大連嶺前小学校の同期生 O 君の来訪を待つ間、北の丸公園付近、東京国立近代美術館前あたりを散策した(上掲の写真参照)。

 O 君は約束の時間よりも遅れて、ちょうど学士会館のレストランが開く 5 時半頃に現れた。中華料理の「紅楼夢」で 8 時半頃まで、ビールと料理を楽しみながら歓談した。彼の力作『天界航路:天野芳太郎とその時代』(筑摩書房、1984;632 ページ)を貰った。

 彼には、他にも『恐るべき空白:死のオーストラリア縦断』(早川書房、1969)と『駐米大使野村吉三郎の無念:日米開戦を回避できなかった男たち』 (日本経済新聞、1994)の著書があることを、帰宅後にアマゾンのウェブサイトで知った。彼はいままで、これらについて吹聴することもなかった上に、帰宅後に私が会話中の誤りをメールでわびたのに対し、自分も誤っていたと返事して来た。いかにも謙虚な人である。(つづく)


After the reunion last Wednesday, I once returned to Gakushikaikan. Then, I went for a walk near the National Museum of Modern Art, Tokyo, in Kitanomaru Park (see photos above) to spend the time before meeting the classmate of Dalian Reizen Elementary School, Mr. O.

Mr. O showed up around 5:30. It was later than the appointed time but just the time for restaurants in Gakushikaikan to open. We enjoyed talking over beer and Chinese dishes at "Kōrōmu" until 8:30. He gave me his voluminous work, Tenkai-kōro: Amano Yoshitaro to Sono Jidai (The Route in Heaven: Yoshitaro Amano and His Age) (Chikuma Shobō, 1984; 632 pages), as a gift.

After returning home, I learned from Amazon Web site that Mr. O had also published two other books, Osorubeki Kūhaku (Terrible Blank) (Hayakawa, 1969) and Chūbeitaishi Nomura Kichisaburō no Munen (Chagrin of the United States Ambassador, Kichisaburō Nomura) (Nihon Keizai Shimbun, 1994). He has never told me about these books. Further, he wrote me that he was also wrong, in response to my email message in which I apologized my misunderstanding in conversation with him. These facts indicate that he is quite a man of modesty. (To be continued)