2008年7月23日水曜日

湯川博士と原爆研究

 2008年7月18日付け朝日新聞(大阪版)に「湯川教授 原爆研究に関与せず」の題名で、「米国立公文書館に保存されていた資料から、第2次世界大戦中、京都帝国大が行った原子爆弾研究に、湯川秀樹博士はほとんど関与していなかったと、連合国軍総司令部(GHQ)が結論づけていたことがわかった」という記事が掲載された [1]。その概略は次の通り。

 関連の資料は、政池明・京大名誉教授(素粒子物理学)らが見つけたもので、GHQの科学顧問だったフィリップ・モリソン氏らによる機密解除報告書などからなっている。モリソン氏は、米の原爆計画であるマンハッタン計画に参加した核物理学者で、日本の原爆開発能力を調べるため、日本に派遣された。終戦翌月の45年9月に京都で、旧海軍の委託による原爆研究、「F研究」の実験を指揮した荒勝教授と、理論の責任者だった湯川教授に尋問し、湯川教授が不在のときに研究室の本や資料を調べた。報告書は「湯川教授は中間子論の研究にすべての時間を割いており、原爆の理論研究はほとんどしていなかった」と結論づけている [2]。F研究のチームは終戦直前、旧海軍との会議を開き、湯川氏も出席している。ウラン鉱石の入手が困難なことなどから、「原爆は原理的には製造可能だが、現実的ではない」との結論を出したとされている。


 日本の原爆研究そのものが、これといった進展を見せていなかったことから、湯川博士が原爆研究に関与しなかったことは、米国の資料によるまでもなく、ほぼ自明のことと思われるが、資料はこのことを裏付けたものといえよう。

 しかし、GHQから客観的に「原爆研究に関与せず」と認められても、湯川博士自身の内心では、『源氏物語』を読んでいるといって(原子爆弾の基礎になる原子核関係の論文の講釈をしていたものと思われる)、一週間に一度、軍の研究所へ通い、戦争に協力する仕事をしていたこと [3] は、戦時中の拒否できない状況下だったとはいえ、自責の念に耐えなかったであろう。そして、それが博士の後の平和運動への一つのエネルギー源ともなったのではなかろうか。

 なお、上記の記事はワシントン発となっているが、記事中に名前のある政池氏(大学で私の1年後輩)は、日本学術振興会ワシントンセンター勤務を終えて、今春すでに帰国している。ワシントン滞在中に報道機関に渡した資料のコピーによって、いまようやく記事が作成されたか、あるいは、氏とともに資料を見つけた仲間が最近報道機関に知らせたのであろう。

  1. インターネット版(asahi.com)での題名は「ユカワは原爆研究に関与せず」。
  2. 新聞記事には、モリソン氏の報告書の一部と思われる文書の写真が、説明なしでつけてある。その文は次の通り。

      "3. Information about Yukawa is somewhat harder to be certain of than about an experimenter. From his own account, and from papers I saw in his office dated in late 1944, he has spent all his time on the mesotron theory, highly abstract work in which he has maintained a worldwide fame since 1938. He showed no interest in question I asked on diffusion theory, in which he would have been engaged if he were on project work to any . . . "

  3. 「湯川博士と源氏物語」Ted's Coffeehouse (2007年2月8日).

2008年7月13日日曜日

「湯川先生はネット上でまだお元気」

 法橋登氏が『教育通信』2008年6月号に書かれた湯川博士関連の随筆、「ネット上の素領域」のコピーを送って下さった。氏の許しを得て、その概要を「湯川秀樹を研究する市民の会」のウエブサイト『湯川 Wiki』に掲載した。以下は、それと同内容のものである。




 随筆は「1. 湯川先生の宗教対談」、「2. ネット上の湯川秀樹」、「3. ネット上の素領域」の3章からなっている。第1章は、先に『大学の物理教育』2007年3月号に書かれて紹介済みの「湯川先生のラジオ放送と宗教対談」という話に、インターネット関連の考察やネットから知ったことをつけ加えたものなので、紹介を省略し、第2、3章の内容を紹介する。

 第2章では、ネットで「湯川秀樹」を検索すると、『湯川秀樹著作集』に収録されなかった著作や湯川とのインタビューをもとにして素領域論のエッセンスをとらえた、京都生まれの編集・著述者、松岡正剛の解説が出てくることと、西田幾多郎と岡潔も、湯川が高校時代から影響をうけた哲学者、数学者として、松岡が紹介していることを述べている。

 岡によれば、問題の発端と結末が同時に分かるのが情緒(仏教用語では無分別智)で、発端と結末を論理の鎖で結ぶのが理性(分別智)の働きであり、西洋人は論理型、日本人は情緒型が体質にあっているとのことである。湯川も、キリスト教大聖堂の堅固な石造建築を見て同じことを感じたそうだ。著者は、「中間子論も素領域論も湯川には問題の発端と結末が同時に見えたのだと思う」と述べている。

 岡は著書『春宵十話』の中で、相対論から40年で原爆を仕上げた物理学者を指物師(大工)と呼び、証明に400年かかったフェルマーの予想のような将来発芽する種子を土に播いておく数学者を百姓(農民)と呼んでいるとのことで、著者は「湯川の素領域論もそんな種子の一つと思う」と記している。

 さらに松岡正剛によれば、湯川は中国大陸から渡来した浄土的・出離的平安仏教の正統派最澄には違和感をもっていたが、最澄と並ぶ平安仏教の開祖でありながら渡来仏教を日本の土着・基層文化である縄文文化に結びつけた空海には関心があったこと、また、日本のニュートンと呼ばれた江戸中期の自然哲学者・教育者三浦梅園と身分制限のない日本で最初の給費制総合私学「綜芸種智院」を創立した空海の思想的関連性を指摘したのは湯川が初めてだということも紹介している。

 第3章では、松岡が、非局所場や素領域のアイディアは火焔土器に象徴された縄文文化の原初的生命エネルギーから発しており、「点粒子の奥にはハンケチで畳めるほどの空間がある」という湯川の言葉をネットで伝えていることを紹介している。法橋氏は、「『ハンケチで畳めるほどの』は、『代数構造をもつ』という意味と思うが、プランク・スケールの時空間を考える物理学者もいる」と述べている。

 ネットには、さらに「物理学者はミンコフスキー空間の受け入れに無批判である」という湯川の不満と、「時空連続体も素粒子のように可能性と現実性の間を往き来しているのではないか」という湯川の考えが伝えられていることを述べ、「湯川先生はネット上でまだお元気なのである」と結んでいる。




 「ネット上の素領域」をここに紹介したことによって、湯川先生のネット上のお元気さは、ますます伝播する。

2008年6月25日水曜日

湯川博士のノーベル賞講演 (3)

 湯川博士のノーベル賞講演の和訳 [1] のことを記した湯川会会員の方のメールには、「訳が3人がかりでなされているところを見ると、湯川博士の英語は難解らしい。内容の理解を優先させるため、和訳で勉強をしては」という趣旨のことも述べられていた。私は返信に、「折角2ページ近くを英文で読み進めて、あと3ページ半ほどなのだから、このまま原文で進めるのがよい」旨を書いた。理由はここに述べただけで十分だっただろうが、つい次のようにつけ加えた。

 私は著名な物理学者たちの和訳力を必ずしも信用しません。中間子第1論文の片山泰久訳 [2] にも、「場を伴う量子」という誤訳がありました(accompany の用法や『旅人』中の記述から考えても「場に伴う量子」が正しい)。[なお先般、S. W. ホーキング著、佐藤勝彦・監訳『時間順所保護仮説』(NTT出版、1991)が誤訳だらけであることをブログに書きました(http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/tttabata/eid/568366)。]

 著名な物理学者たちの和訳力を信用しないためには、ここに挙げただけの理由では不足な感じがする。しかし、そのあとで湯川博士のノーベル賞講演の和訳を見たところ、最初の訳文が次のような拙いものであり、理由がさらに裏づけられることになった。

 中間子論の起源は、重力や電磁気力の場合の力の場の概念を、核力にもあてはまるように拡張する試みから始まった。

 この訳がなぜ拙いかに気づかない方は、「起源」とは「始まり」の意味であることに注意し、「彼は馬から落ちて落馬した」という文と比較されたい。なお、ノーベル賞講演の和訳者たちの名誉のために、最初の文以外には、このような迷訳はなさそうであることを付言しておく。

(完)

  1. 湯川秀樹著, 中村誠太郎, 福田博, 山口嘉夫訳, 発展途上における中間子論, 湯川秀樹自選集2 (朝日新聞社, 東京, 1971) p. 335.
  2. 湯川秀樹著, 片山泰久訳, 素粒子の相互作用について I, ibid. p. 261.

2008年6月24日火曜日

湯川博士のノーベル賞講演 (2)

 ローリー・ブラウンが「acceptable な英語」と書いていたことから、私は湯川会のグループメールに生意気にも、自分も湯川博士中間子第1論文の英語が必ずしも上手ではないと思った、とまで書いた。それで、その証拠を示す必要があろうかと、中間子第1論文の代わりに、目下勉強中の、博士のノーベル賞講演 [1] の始めの3センテンスの書き換えを試み、その結果をまたグループメールで送った。ノーベル賞講演の原文の冒頭部分は次の通りで、129語ある。

The meson theory started from the extension of the concept of the field of force so as to include the nuclear forces in addition to the gravitational and electromagnetic forces. The necessity of introduction of specific nuclear forces, which could not be reduced to electromagnetic interactions between charged particles, was realized soon after the discovery of the neutron, which was to be bound strongly to the protons and other neutrons in the atomic nucleus. As pointed out by Wigner1, specific nuclear forces between two nucleons, each of which can be either in the neutron state or the proton state, must have a very short range of the order of 10−13 cm, in order to account for the rapid increase of the binding energy from the deuteron to the alpha-particle.

 私はこれに手を入れて、以下のように、もう少し短くて読みやすくしてみたのである。112語になっていて、約1割短縮されている。

The meson theory was started to extend the concept of the force field by adding nuclear forces to the gravitational and electromagnetic forces. Soon after the discovery of the neutron, it was noticed that protons and neutrons were strongly bound in the atomic nucleus by the forces irreducible to electromagnetic interactions between charged particles, and the necessity to introduce specific nuclear forces was realized. To account for the rapid increase of the binding energy from the deuteron to the alpha particle, the specific nuclear forces between two nucleons, each in either the neutron or proton state, must have a short range on the order of 10−13 cm, as pointed out by Wigner.1

 学生時代の私にとっては、あらゆる面で神様のような存在だった湯川博士だが、ノーベル賞講演をされたのは博士が42歳のときで、いまの私より31歳も若い。博士の英文を添削できるようになったのも、年の功というものだろう。なお、原文の "a very short range" 中の "very" は主観的な表現であり、現今の科学論文にはなじまないので省いた。"Very" short かどうかは、数値を見れば分かる(講演では "very" を入れて強調するのも悪くはないが)。

(つづく)

  1. H. Yukawa, Meson theory in its developments, Nobel Lecture, December 12, 1949 (available at http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1949/yukawa-lecture.pdf).

2008年6月23日月曜日

湯川博士のノーベル賞講演 (1)

 湯川秀樹を研究する市民の会(湯川会)では、さる6月15日の例会から、湯川博士のノーベル賞講演 [1] を英語の原文で勉強し始めた。その題名 "Meson theory in its developments" について早速、「Development は抽象名詞だと思うが、複数形になるのだろうか」という意味の鋭い質問が出た。その場では、はっきりした結論が出なかったが、帰宅後、英英辞典 "Longman Dictionary of Contemporary English" で "development" を調べてみると、この単語は意味によっては可算名詞にも非可算名詞にもなるのである。意味は5通り挙げられていて、そのうち2通りが非可算名詞、3通りが可算名詞になっている。

 1番目の意味は "the gradual growth of something, so that it becomes bigger or more advanced" とあり、「成長、発展」の意のようだが、このときは非可算名詞。3番目の意味として、"the act or result of making a product or design better and more advanced" とあり、このときは可算名詞。ここで『ランダムハウス英和大辞典』で、これに相当すると思われる訳を探すと、「(発達の)成果、結果」というのがあり、その用例として、"recent developments in the field of science" が挙げられている。

 そこで、私は湯川会のグループメールで、湯川博士がこの3番目の意味で使ったとすれば、複数形でよいわけで、題名 "Meson theory in its developments" の和訳は、私が当日言った「発展中の中間子論」でなく、「成果に見る中間子論」、あるいは意訳して「中間子論の成果」とするのがよさそうだ、と書き送った。

 すると、別の会員から、『湯川秀樹自選集2』[2] の中に、「発展途上における中間子論」として、ノーベル賞講演の和訳が収められていて、その本の「まえがき」に、湯川博士自身が「『発展途上における中間子論』は、一九四九年のノーベル賞受賞講演で、…」と書いているので、博士自身は "developments" を「発展」の意として用いたようだ、とのメールが届いた。

 私はこれに対して、次の趣旨のメールを返した。

 湯川博士が「発展途上における中間子論」の意味で "development" を複数形にしたのならば、はっきりいって間違いである。外国の学者の誰かが、「湯川は中間子論を acceptable な英語で書いて発表した」と書いているのを読んだことがある。「acceptable な英語」とは、上手な英語という意味ではなく、読める英語、通じる英語、といった意味である。私も中間子第1論文の英文を、TEX版をチェックするなどして熟読した結果、必ずしも上手ではないと思った。

 「Acceptable な英語」と書いていたのが誰だったか思い出せなくて、湯川博士について触れてある私の所有洋書を片っ端から調べたが、見つからない。ふと思い立って、"Google Book Search" で Yukawa と "acceptable English" のキーワードを使って検索したところ、すぐに [3] と分かった。そこには次のように書いてある。

 Yukawa had made an attractive unified theory of nuclear forces and published it, in acceptable English, in a widely available journal. . . .

(つづく)

  1. H. Yukawa, Meson theory in its developments, Nobel Lecture, December 12, 1949 (available at http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1949/yukawa-lecture.pdf).
  2. 湯川秀樹, 湯川秀樹自選集2 (朝日新聞社, 東京, 1971).
  3. L. M. Brown, Nuclear forces, mesons, and isospin symmetry, in "Twentieth Century Physics Vol. 1," ed. by L. M. Brown, A. Pais and A. B. Pippard, Page 383 (Institute of Physics Publishing, Bristol, 1995).