2011年2月24日木曜日

幼友だちが逝く (A Childhood Friend of Mine Dies)

Abstract: Ms. Y. A. was a good friend of mine from our childhood in Dalian. I heard from a common friend of ours that she died on January 11. This blog post is dedicated to her. (Main text is given in Japanese only; Note Added Later, in English.)

写真は昨日、Aさんを偲んで「故郷を離るる歌」を口ずさみながら歩いた、鳳神社前へ北から通じる道。この辺りの昔の写真が最近ツイッターの友人 yakuruma 氏のブログに掲載された。

The photo shows the street where I walked yesterday singing "The song of leaving home" as a tribute to Ms. Y. A. This road leads to the entrance of Otori Shrine from the north. An old photo of this area was recently posted by a Twitter friend of mine, yakuruma, on his blog site.

 日本の敗戦後、私が小学校5年生で大連にいたとき、中国が支配することになった同市の政府は、日本人住居の半数を中国人向けに明け渡すことを求めた。その一環として、近所のAさん一家が、わが家の2階に引揚げ前の3ヵ月間ほど同居することになった。お陰で、私と同学年(クラスは異なっていた)だったA家の三女Y子と私は親しい友だちになった。日本への互いの引揚げ先も近く、彼女が独身を通したこともあって、その友人関係はずっと続いていた。

 昨年9月半ばにたまたま金沢在住の彼女に電話したところ、かなり進行した肺がんを治療するため、翌日から入院すると聞いた。私は驚いて慰めただけで、病院名を聞き忘れた。すぐに、彼女と私の共通の友人K・Tさん(以下、Tさんと書く。彼女は、Y・Aさん—以下、Aさんと記す—と高校・大学が同じで、私と中学が同じ)に電話して、そのことを伝えた。Tさんは、それを受けて、その日のうちに何度かAさんに電話したが、応答がなかったという。そして、Tさんからの年賀状に、Aさんの様子が分かれば教えて欲しいとの書き込みがあった。Aさんからは珍しく年賀状も来なかったので、2月になってから2日にわたって電話してみたが、誰も出なかった。

 私は約20年前にAさんの長姉の住所を聞き、それを住所録に書き留めておいたことを思い出し、鎌倉のその住所へAさんの近況を尋ねる葉書を出した。だが、その葉書は「あて所に尋ねあたりません」の判を押されて、戻って来た。私はこれらのことをTさんに葉書で知らせた。

 それに対するTさんからの返信で、Aさんが1月11日に亡くなっていたことを昨日知った。Tさんは、Aさんの家の近くに住む高校時代の友人から葬儀のことを聞きながらも、あいにくその前夜、雪道で滑って転び、腰を痛めていたので、参列出来なかったそうだ。以下にTさんからの知らせに対する礼状を書き写して、Aさん追悼の一端とする。




 Aさんが亡くなられたとのご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございました。彼女から私には年賀状も来なかったので、相当よくない状態だろうとは思っていました。入院の前日、たまたま電話で話すことが出来たのは不幸中の幸いといわなければなりません。私にとって、兄妹のように心おきなく話し合える人でした。若い頃に格別元気だった友人たちは、みな人生を急いで駆け抜けて行くかのようです。

 昨秋、近くの会館で「うた声喫茶」の催しに参加しました。その折に知った歌集の中に、Aさん姉妹が大連での同居時代によく歌っていたドイツ民謡「故郷を離るる歌」の日本語歌詞を見つけました。最近それを覚えて、ウォーキングの際に歌っています。きょうも哀悼の意を込めて歌って歩きました。

 痛められた腰はその後よくなられましたか。お大事になさって下さい。




 なお、高校時代の友人で母校の教員をしていたU君の年賀状に、例年になく、私についての思い出などいろいろと手書きしてあったので、1月末頃に、彼に礼の電話をした。そのとき、Aさんも彼と同じ頃に私の母校に勤めていたらしいことに気づき、U君がAさんを知っているか聞いてみた。彼は、「Aさんは、正義感の強い人で頭もよく、近寄り難かった。君の幼友だちと知っておれば、話をするきっかけにもなったのに」と話してくれた。Aさんは、石川県高教組の役員として活躍し、その後、住基ネット訴訟の原告団に参加した。2年半ほど前に会ったときには、同人誌に短編を書いたり、憲法九条を守るための「九条の会・石川ネット」の仕事をしたりしていると聞いた。

Note Added Later: On my Facebook wall, where this blog post is linked, I got a message from Mary Ellen Goree, "I am very sorry for your loss." In reply to this, I wrote, "Thanks, Mary Ellen, for your kind words. Ms. Y. A. worked as a high school teacher at my home town, was active in a local labors union of teachers and was recently writing short novels in a literary coterie magazine and working for the group to keep Article 9 of the Japanese Constitution that declared the renunciation of wars. She didn't get married and kept a good relationship with me like a sister and a brother. She lived her life like the road in the photo linked here, not so broad but straight."

10 件のコメント:

  1. yaguruma(yakuruma)です。多幡先生の思い出の記事に私の写真へのリンクを入れて頂いて光栄です。私の存じ上げない方ですが、Aさんのご冥福をお祈りいたします。

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  2. YAGURUMA さん、コメントとお祈り、ありがとうございます。YAGURUMA さんの掲載された昔の写真の場所は、おおよそ、この辺りでしょうか。場所を変えて何枚か撮りましたが、昔の写真では、道路の直線部分がかなり長いようなので、それに近い感じのものを選びました。建物は相当変っているようです。

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  3. コメントへのご返信有難うございます。私自身、撮った場所を覚えていないのですが、同じ道であるように思います。いまグーグルマップで見たのですが、拡大すると十字路の箇所では360度の地上写真が見れるんですね。それで四つ辻にあった小さな神社を見つけました。http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=34.549871,135.455231&spn=0,0.000427&t=h&z=21&brcurrent=3,0x6000db51157efd17:0xd65d01f1fa01bdb1,1&layer=c&cbll=34.549871,135.455231&panoid=xNkymUFB0BBGE1LGLfSNzQ&cbp=12,322,,0,6.36
    このようなところまで写っているとは驚きました。神社の右側の道がその道ですが、グーグルの写真では北を向いていますが、ここよりも北でないことは確実です。ここから南に歩いてゆくと第二阪和国道で分断されています。実は第二版和国道が出来た後、一度だけ歩いたことがあるのですが、分断されていて、随分変わったものだと思ったことを覚えています。写真の場所がこの分断された場所の北であったか南であったかも良く覚えていないのです。グーグルマップの写真を時間をかけて見てゆけば色々分かってくるように思います。いずれにせよグーグルマップには驚くばかりです。

    なお、ツイッターにてこの道が熊野街道であるというような事を申しましたが、これは間違いであるようです。この道よりももう一つ東側の道が熊野街道のようです。マップでは鳳小栗街道、と出ていました。この辺りのこともまた機会があればグーグルマップで調べて見たいと思います。

    記憶というものは不確かなものですね。改めて思い知らされました。

    とりあえず写真の場所に関してお知らせまで

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  4. グーグルマップの四つ辻の位置から推定すると、ここで前方へ伸びている道は浜寺船尾町の中を南北よりわずかに半時計回りに傾いた道の一つのようですね。私が写真を撮ったのは、鳳神社のすぐ前を北進し、少し東に傾斜してさらに北進する鳳北町の中の道です。

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  5. グーグルマップで見つかりました。http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=vl
    場所によっては航空写真と地上写真では時期的に必ずしも一致していないようです。
    子供の頃に感じていた距離感やら空間感覚がかなり修正された印象です。グーグルマップでこのような場所を改めて確認するということで結構色々と反省させられ、ややショッキングなところもあり、興味深い体験でした。

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  6. 書いていただいたリンクは、グーグルマップの私が以前見た所が出るだけでしたが、「鳳北町」で検索してストリートビューをクリックすると、私が写真を撮った通りが出ました。ついでに、わが家の周辺も見ました。ずいぶん詳しく写真が撮られていて、驚きました。

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  7. 済みません。リンクの貼り方を間違っていました。地図画面右上の[リンク]をクリックすれば貼り付けるべきアドレスが表示されたはずなのですが、トップのアドレスバーのアドレスをコピーしてしまいました。
    何れにしましてもグーグルマップには驚きです。怖いほどですね。

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  8.  見ている地図やストリートビューのURLの見つけ方が先ほどは分かりませんでした。教えていただき、ありがとうございます。
     ストリートビューで表札をぼかしてある所もありますが、わが家のは、バッチリ見えました。グーグルに苦情を言えば、ぼかして貰えるのでしょうか。

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  9. 人の顔は全部ぼかしてあるみたいですし、ぼかしてある表札もあるようですから、苦情を言われたほうが良いのではないでしょうか。

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  10.  しかし、道を歩く人には表札は見えるのですから、とくにぼかす必要もないという気もします。きょうの「日経ビジネス オンライン」で誰かが、日本人は「顔」を隠したがり過ぎる、というようなことを書いていました。

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