In Japanese only
M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2011年1月分への感想を2011年2月19日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。
1. クォラでの最初の仕事 (My First Activity on Quora)
海外のツイッター友だちが、英文での質問サイト Quora への登録を誘ってくれた。[…]私の得意とする一つの問題は「鏡のナゾ」である。Quora 中の既存トピックスを検索したところ、まさにそれに該当する質問があり、三つの回答が寄せられていたが、それらは満足出来るものではない。そこで早速、私の回答を記入した。
とのことです。英文ブログ記事 "The mirror puzzle: Reversal is attributed to the direction defined last" に回答の内容が記載されています。その要点は、次の通りです。
質問:「鏡はなぜ左右を逆にし、上下を逆にしないか」
解答:
(1) 質問の現象=物体またはその鏡像のそれぞれに固有の座標系から見ると、左右の非対称性が逆転している。
(2) この理由=鏡にうつすと、鏡面に垂直な一つの向きが逆転する。したがって、非対称な物体の鏡像は、その対掌体(一例:左手の対掌体は、その対である右手)と呼ばれるものになる。非対称体をどの一方向について逆転させても、対掌体が得られる(あるいは、対掌体はそのようにして得られたものと考えてよい)。また、物体(または鏡像)の左右方向は、上下と前後の方向をその物体(または鏡像)の外観から決めた後で初めて決めることができる。したがって、対掌体(鏡像)の上と前は、常に外観上、もとの物体(実物)の上と前と、それぞれ同じ側にあるとみなされ、対掌体で逆転する方向は、最後に決まる方向、すなわち、左右方向に押しつけられてしまうのである。大切な点は、左右の決め方の特性にある。Richard Feynman、Martin Gardner その他の多くの人の説明は、この点を見落としている。
筆者の Quora への初めての投稿が、造詣深く、しかも筆者独自の見解であったことは同慶の至りです。鏡像問題については、このブログに過去にも多く書かれています。2007年12月9日付け「またまた鏡像問題」(目下リンク切れ)、最近取捨選択して復元された2004年11月27日付け「鏡の世界」、同29日付け「鏡の世界:解答偏」など。「鏡の世界」には筆者が「鏡像の謎」に取り組むことになった訳が述べられています。「同:解答偏」には解答が噛み砕いて書かれており、上記の英文を読むのに大変参考になりました。
2. 「この道」("This Road")
「今月の NHK テレビのハイビジョンチャンネルでは、イタリア関係の再放送特集があり、その国でかつて学んだ人たちや、いまそこで活躍している人たちの番組をいくつか見た。その中に、以前よくテレビで拝見した声楽家・五十嵐喜芳氏が、恩師の家や墓、遺族を訪ね、旧友に再会もする番組、『いつまでも歌い続けたい旅人』があった(2001年11月25日のものの再放送)。[…]
氏がオペラ座を訪れて、私が最近愛唱している歌の一つ、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「この道」を歌う場面があった。客席には、同じく声楽家の娘さんだけがいるという状況のもとでのことだ。「お母さまと馬車でいったよ」の歌詞のある3番は歌われなかった。氏はお母さん子で、母堂が亡くなったあと1年ほど、歌う声が出なかったと番組の中で語っていたことから、3番の歌詞は彼には涙なしに歌えなくて飛ばしたのであろうと想像した。
私は途中から、この番組を見ました。氏がイタリア留学中、よいイタリア語の指導者、よい師、よい友を得て、イタリア社会に順応し、音楽の才能に磨きをかけられたことを、この番組は存分に表現しており、感銘を受けました。氏は歌手としてより、プロデューサーとして日本のオペラ界に尽くされたとのことです。オペラは他の音楽と異なり、言葉(物語り)、立派な舞台や劇場と聴衆が一体となった、その国の文化そのものです。TVで、ミラノスカラザなどで上演されるオペラを見ていると、この感を強くします。他のジャンルの音楽では、世界を股にかけて活躍するわが国の世界一流の音楽家が多い中、オペラはこれからだと思います。その地の歌劇団に入り込み、そこで活躍する必要がありましょう。このような番組が若いオペラ志望者に、その地に馴染み将来を切り開く道を教示する一助となればよいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿