2013年8月13日火曜日

京都で (In Kyoto)

[Abstract] On August 6, I went to Kyoto to meet Ms. C and her family, who are visiting Japan from Sweden. I arrived a little earlier than the time of appointment and walked in the precincts Chion Temple and along the street where the boarding house of my student days was located (see the photos above). Unfortunately, the cafe Shinshindo, where we planned to meet, was temporarily closed, but we were able to have a pleasant time at the cafe restaurant Camphora in the campus of Kyoto University. (Main text is given in Japanese only.)

 8 月 6 日、スウェーデンから来日中の C さん一家と京大北門近くの進々堂で 15 時半に会う約束をした。午前中に地域九条の会の宣伝署名行動に参加することになっていたので、その時間に間に合うかどうか危ういところだったが、十分早く切り上げさせて貰い、また、マイク宣伝を一緒にした仲間の一人に家の近くまで車で送って貰ったお陰で、12 時半に家を出て京都へ向かうことが出来た。阪急電車京都線で四条へ着いたのは14 時半頃だったが、百万遍方面へのバスがなかなか来なかったので、百万遍到着は 15 時 10 分頃。想定したように家を 13 時に出発しておれば、約束の時間に後れた計算になる。

 約束の時間までに余裕があったので、学生時代その付近に住んでいたときには、足を踏み入れたことが一度あったかどうかという程度である百万遍智恩寺の横からその境内へ入り、写真を何枚か撮って、正面から出た(1 枚目の写真はそのうちの一枚)。なお時間があったので、かつて下宿していた家を見に行った(2 枚目の写真、右手前の家)。周辺の家がほとんど建て替えられてしまった中で、その家は昔のままだった。ただし、生け垣が板塀と車の出入り口に変り、二階の壁面や窓も変っている。写真でははっきりとは見えないが、玄関脇の木の表札は私が下宿していた当時、小学校低学年だった息子さんの名になり、それもかなり古びている。下宿をしていたのは 50 余年も前のことだから無理もない。

 進々堂へ約束の 5 分前に行くと、あいにく 8 月 4〜6 日は臨時休業との貼り紙がしてある。そこで、間もなく到着した C さん一家と京大時計台記念館内のレストランへ向かったが、ここも休み。結局落ち着いたのは正門脇のカフェレストラン「カンフォーラ」。C 氏は数年前に京大に留学していたので、昔ここで学んだ私よりも現在の京大構内について詳しく、ここへは彼に案内して貰った次第だ。「カンフォーラ」の名は京大のシンボル「楠」の学名 Cinnamomum camphora から来ていると、いまインターネットで知った。

 C さん一家の構成員は夫妻と 6 歳の D 君、そして私は今回始めて相まみえた 1 歳 2ヵ月の L ちゃんである。D 君はカフェのテーブルに 3 種類の車を組み立てることの出来るレゴのセットを持ち出して遊び、夫妻は優しく組み立て方を指導していた。L ちゃんは、前半、夫人に抱かれて眠っていたが、後半目覚めて、愛らしい笑顔を見せていた。C 氏は、日本の環境問題と取り組む運動体とそれらの反原発運動とのかかわりについて 4 年計画で研究するそうだ。私たちは 17 時過ぎまで、カフェで楽しいひと時を持った。

 帰宅後、日本の環境問題研究の権威者に宮本憲一・大阪市大名誉教授がおられ、最近も『しんぶん赤旗』あたりで名前を見たことを思い出し、翌日、フェイスブックのメッセージ欄で C 氏にそのことを述べて、目下の研究期間中に宮本先生の話を聞きに行ってはどうかと勧めておいた。

 私の幼友だちの故 Y・A さんは、若い頃の宮本先生に金沢大学で習い、彼を尊敬していたので、もうかなりの年配かと思っていたが、『ウィキペディア』で調べると、私よりわずか 5 歳だけ年長だった。そして、宮本先生の名前を最近見たのは、さる 5 月に行なわれた「九条の会・おおさか」講演会(作家の赤川次郎氏が講演)についての『しんぶん赤旗』の記事と、赤川氏自身が同じ講演会にふれた『図書』誌 7月号のエッセイだったことを、京都へ行った三日後になってようやく思い出した。宮本先生は「九条の会・おおさか」の呼びかけ人の一人として、いまも元気でご活躍のようである。

2 件のコメント:

Carl Cassegard さんのコメント...

Thank you very much for coming all the way to Kyoto! It was very nice talking to you and walking through the campus with you. I'm sorry you had to interrupt your "9-jo no kai" activities for coming to see us. I wish you all the best luck in campaigning and I hope you succeed!

Tatsuo Tabata さんのコメント...

Dear Carl, Thanks for your kind comment. It was the 68th anniversary of atomic bombing on Hiroshima that day. So, I sang the second verse of the song "No More Atomic Bomb (原爆を許すまじ)" in the street campaign message of our local Article 9 Association. That verse reminds us of the Tohoku Region after the Fukushima Daiichi nuclear disaster. Now I've found an English version of this song here: http://www.utagoekissa.com/EgenbakuwoyurusumajiVOCALOID.html. There is also a parody, "原発を許すまじ" (http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=4071072, http://www.youtube.com/watch?v=j6rR5PK3zcA).