夏目漱石著『夢十夜』の古書。
An old book of Natsume Soseki's Yume Juya (Ten Nights' Dreams).
上司の O 氏が「研究所の建て替えに当たって、必要な設備を考えてくれ。図書館や時間…」という。私は、〈図書館はいいが、時間とは…。開館時間を考えることは、設備を考えることにはならないだろう。あっ、O 氏は附置館といったのか。古い装置等がたまってきたから、博物館的な陳列をする付属の建物が必要だ〉と考える。〈しかし、研究所の建て替えは私の在職中に完成するだろうか。私は今、五十…。いや、今は 2015 年だから、1935 年生まれの私は 80 歳!〉
——ここで目が覚めた。朝方の夢だった。「80 歳」ということばが、われながらいかにも高齢に響き、驚いて目覚めたのである。現実の満 80 歳までには、あと 2 カ月半余りである。それでも、目覚めているときには、それほど高齢という意識はないのだが…。
古いテクニカル・リポートの PDF ファイルを作ったりしていたせいで見た夢だろう。先日 PDF ファイルにした大放研技報 No. 3 は、上司だった故 O 氏が福井大へ転勤してのち、還暦を迎えた折に、献辞を書き込んで作ったものだった。それにしても、「時間」と聞こえたのが「附置館」だろうとか、年齢の計算をするなど、夢の中にしては細かい思考をしたものである。
夢といえば、夏目漱石の「夢十夜」は、高校生時代に読んで、好んだ作品の一つである。そして、大学院生になったばかりの時、再び、この作品に出会った。研究室で私に割り当てられた、どっしりとした机の引き出しに、文庫本サイズに近い(文庫本と比べると、縦が 1 cm 長く、横が 1 cm 短いので、一見、新書版のような感じである)古本の『夢十夜』が入っていたのだ。一代あるいは何代か前にその机を使った人が残していったのだろう。
下宿へ持ち帰って少しずつ読み、私ほど漱石好きの後輩がこの机を使うことはなかろうという理由付けをして、修士課程修了時に、そのまま記念として、ありがたく頂戴してきた。表紙の次の白紙ページには、なんとか舟という姓の蔵書印があり、裏表紙の内部には「大阪 道頓堀東 昭和書院」(古書店だろう)の貼り紙、そして、その内側のページには「拾圓」の判が押してある。発行は大正 4 (1915) 年、東京日本橋・春陽堂で、発行時の値段は「六拾六銭」。「文鳥」、「夢十夜」、「永日小品」の三作が収められていて、全200ページ。
これは、私が持っている最も古い本である。目次と本文第 1 ページの間のところで分裂してしまい、そのままになっている。背部も、ところどころ剥がれ落ちたり、めくれたりしており、裏表紙には何カ所も水分がにじんだような跡がある。この機会に、分裂、めくれなどの部分をのりで修理しておこうと思う。
——ここで目が覚めた。朝方の夢だった。「80 歳」ということばが、われながらいかにも高齢に響き、驚いて目覚めたのである。現実の満 80 歳までには、あと 2 カ月半余りである。それでも、目覚めているときには、それほど高齢という意識はないのだが…。
古いテクニカル・リポートの PDF ファイルを作ったりしていたせいで見た夢だろう。先日 PDF ファイルにした大放研技報 No. 3 は、上司だった故 O 氏が福井大へ転勤してのち、還暦を迎えた折に、献辞を書き込んで作ったものだった。それにしても、「時間」と聞こえたのが「附置館」だろうとか、年齢の計算をするなど、夢の中にしては細かい思考をしたものである。
夢といえば、夏目漱石の「夢十夜」は、高校生時代に読んで、好んだ作品の一つである。そして、大学院生になったばかりの時、再び、この作品に出会った。研究室で私に割り当てられた、どっしりとした机の引き出しに、文庫本サイズに近い(文庫本と比べると、縦が 1 cm 長く、横が 1 cm 短いので、一見、新書版のような感じである)古本の『夢十夜』が入っていたのだ。一代あるいは何代か前にその机を使った人が残していったのだろう。
下宿へ持ち帰って少しずつ読み、私ほど漱石好きの後輩がこの机を使うことはなかろうという理由付けをして、修士課程修了時に、そのまま記念として、ありがたく頂戴してきた。表紙の次の白紙ページには、なんとか舟という姓の蔵書印があり、裏表紙の内部には「大阪 道頓堀東 昭和書院」(古書店だろう)の貼り紙、そして、その内側のページには「拾圓」の判が押してある。発行は大正 4 (1915) 年、東京日本橋・春陽堂で、発行時の値段は「六拾六銭」。「文鳥」、「夢十夜」、「永日小品」の三作が収められていて、全200ページ。
これは、私が持っている最も古い本である。目次と本文第 1 ページの間のところで分裂してしまい、そのままになっている。背部も、ところどころ剥がれ落ちたり、めくれたりしており、裏表紙には何カ所も水分がにじんだような跡がある。この機会に、分裂、めくれなどの部分をのりで修理しておこうと思う。
引き出しの中の夢十夜、長く大事にしてくれる人と出会えたのは幸いでした。人も物も入れ替わりが激しい日常にいる中でささくれがちな心もまるくなだらかになったような気がします。
返信削除私の手持ちで最も古い本(夫はもっと古い本を持っているかもしれませんが)は実家の母が学生時代に使っていた小さいサイズの角川の漢和辞典(昭和39年版)です。日常的に使うものではありませんが、たまに表紙の裏にある母の独身時代の署名を見て、若かりし頃の母を色々と想像してみたりしています。
Suzu-pon さん、コメントありがとうございます。ご母堂の若い頃を偲べる辞書をお持ちとは、いいですね。私も父の使っていた小さな和英辞典と国語辞典を長らく愛用していましたが、15年ほど前に家を建て替えるため仮住まいへ転居する機会に、あまりにも古くてもう役立たないと思い、処分してしまいました。残念ながら発行年を覚えていません。『夢十夜』に次いで古い私の蔵書も辞書です。中学時代の恩師が大学入学祝いに下さった南江堂発行の『雙解獨和小辭典』というもので(「雙解」というのは、和独が付いているという意味ではなく、訳語等が詳しいという意味のようです)、恩師はこれを古書店で購入されたのです。ドイツ語は、いわゆる「ひげ文字」で表記されていて使いにくいのですが、昭和4年発行のしっかりした製本なので、捨てがたく、保存しています。
返信削除