2020 年 2 月 29 日付の各新聞は、共同通信社による次のニュースを伝えた。
この 4 年後に、祖父は老衰で死亡したので、この頃は認知症が始まっていたと思われる。当時の日本の家屋には水洗トイレはまだ普及していなくて、現在のトイレットペーパーやティッシュのような製品もなかった時代である。トイレには普通、薄ねずみ色のザラザラした塵紙が重ねておかれていた。祖父は自分用の塵紙として、上記の日記にあるように、いろいろな紙を保存していたのである。現今のトイレットペーパーやティッシュを一度は使わせて上げたかったと、しみじみ思うこの頃である。
(2020 年 3 月 17 日、追加修正。)
[注]
トイレ紙、ティッシュ各地で品薄このニュースで、私は 70 年近く前の祖父の日常を思い出した。その思い出が、私がブログの使い始め頃に記事の一ジャンルとして紹介していた高校時代の日記に書いてあったことに、きょう、たまたま気づいた。その日記中の関連の一節は次の通り([注 1]から抜粋)。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で日用品を買い占める動きがあり、各地の店舗で 29 日、トイレットペーパーやティッシュペーパー、生理用ナプキンなどが品薄になった。インターネット上の「マスクの次に不足」とのデマ情報が原因とされ、関連団体や企業は「在庫は十分。冷静に行動して」と呼び掛けている。...
1952 年 2 月 12 日(火)曇り一時雨祖父は旧満州・奉天市(現在の中国・瀋陽市)の日本人小学校の初代校長を長く務めた功績でだったか、日本の敗戦前にその学校の校庭に胸像を作って貰ったような、立派な教育者[注 3]だった。しかし、定年退職後の敗戦前年に大連の自宅玄関で転倒して大腿骨骨折をした後は、半ば寝たきりになった。日記の当時は、大連から引き揚げて来て、祖父、母、私の 3 人家族で、金沢市 K 町の T さん宅 2 階に間借り暮らしをしていた。祖父は明治元年生まれだったから、この時、ちょうどいまの私ぐらいの年齢だったことになる。私はこの時、高校 1 年生だった。
[...]けさもサツマイモを見た祖父の食前の祈りが普通とは違った調子になった。母は、「じいちゃんはイモと鼻紙があればいいがやね[注 2]」といった。祖父の枕元には、ハトロン紙、古新聞、広告紙などを重ねて折りたたんだ束がつねにある。その収集物はひじょうに大切にされている。買って来いとも、出してくれともいわないが、祖父の鼻紙は欠乏しない。
この 4 年後に、祖父は老衰で死亡したので、この頃は認知症が始まっていたと思われる。当時の日本の家屋には水洗トイレはまだ普及していなくて、現在のトイレットペーパーやティッシュのような製品もなかった時代である。トイレには普通、薄ねずみ色のザラザラした塵紙が重ねておかれていた。祖父は自分用の塵紙として、上記の日記にあるように、いろいろな紙を保存していたのである。現今のトイレットペーパーやティッシュを一度は使わせて上げたかったと、しみじみ思うこの頃である。
(2020 年 3 月 17 日、追加修正。)
[注]
- 「Vicky も完ぺきではなく」、Ted's Coffeehouse 2(2005 年 2 月 12 日)。
- 「いいがやね」は「いいのですね」の金沢弁。
- 文部省から派遣されて、ヨーロッパの教育事情を視察する旅にも行き、戦前の各界活動家の履歴(名刺大写真付き)を載せた人物名鑑にも入っていた。その名鑑は引き揚げ後に知人が貸してくれたものだったか、しばらく祖父の手元にあった。いまならば、そのページを写真に撮っておくところだが、当時はそれが容易には出来なかったので、私は祖父の履歴の詳細を知らない。
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